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【試し読み】斜線堂有紀の恋愛小説『枯れ木の花は燃えるか』

恋愛小説集『君の地球が平らになりますように』が絶賛発売中の斜線堂有紀さんから新作の短編小説を頂きました。斜線堂さんの恋愛小説に登場する地下アイドルグループ・東京グレーテルのメンバーが主人公です。今回の恋愛小説もまた、腹をくくって読んでほしい……浮気をした彼氏を、灰になるまで燃やそうとする女性のお話……。

斜線堂有紀(しゃせんどうゆうき)

第23回電撃小説大賞《メディアワークス文庫賞》を『キネマ探偵カレイドミステリー』にて受賞、同作でデビュー。『コール・ミー・バイ・ノーネーム』『恋に至る病』『楽園とは探偵の不在なり』『廃遊園地の殺人』など、ミステリ作品を中心に著作多数。恋愛小説集『愛じゃないならこれは何』絶賛発売中。

恋愛小説集『君の地球が平らになりますように』絶賛発売中!! 


枯れ木の花は燃えるか

 結婚の話まで出ていた相手の浮気が発覚するのは最悪である。それが四五〇〇万人もの登録者数を記録したSNSで発覚するのは、なおのこと最悪である。加えて、その浮気が浮気であると主張出来ないのは、救いようがないほど最悪である。乗算されていく最悪はすぐに底の底まで辿り着いて、希美の目にはもう見えない。


 ちゃおまよ『もう切るので最後に暴露します。帝都ヘンゼルのミンくん、日々ファン食いおつかれさま~。他にも騙されてる人いたらご愁傷様でーす』


 そんな言葉と一緒に投稿された写真は、ホテルのベッドで「ちゃおまよ」と、ミンくん──メンズ地下アイドルの民生(たみお)ルイ、が絡んでいるものだった。言い訳の余地がどこにもない。明らかにそういう写真だ。

 この『ミンくん』こそが、付き合って二年になる希美の彼氏である。そろそろ結婚とかしちゃおうか、と言っていたルイの顔が浮かんでは消え、代わりに絶望的なまでの怒りが湧き上がってくる。は? 浮気? しかもファン食い? そんなのアリ?

 恐ろしいことに「ちゃおまよ」のことはよく知っていた。ルイが何かを呟く度に、何故か自撮りを添付してリプライを送ってくる熱心なファンだ。つやつやの茶色い髪の先をお菓子みたいに丸めて、可愛めのワンピースで決めているラウンジ嬢タイプ。

 天才的な重加工がされている写真の中で、ちゃおまよはそれこそお人形さんのように完璧だ。暴露用のベッド写真でさえ、ちゃおまよの目は月一つ呑み込めそうな程に大きい。

 希美は常々、こういうファンが理解出来なかった。どうしてリプライに自分の写真を載せる? キラキラに盛った写真で何か伝わると思ってんの? 一般人がそれで何を主張してきてんの? 絶対胸の谷間見せてくんのは意味あんの? 一言で言うと目障りだった。

 だが、そういった自撮りはルイのような馬鹿相手には心底効果的だったというわけだろう。自撮りに釣られたルイは、まんまとこの女に手を出してしまった。それで、この末路だ。

 ちゃおまよの投稿はどんどん拡散されていく。テレビに出ているようなアイドルグループに比べて、帝都ヘンゼルの知名度はまだまだ低い。だが既に数百人の人間が『ファンを食った地下アイドル』という話題に食いついている。確かに、芸能人崩れがファンと繋がってたら面白い。ものの十秒で全容が把握出来る底辺同士の小競り合いはエンターテインメントなのだ。

 その成り行きを見守っていた希美のスマホに通知がくる。案の定、ルイだ。希美に何か思われないよう、先んじて手を打つつもりなのだろう。でも遅い。遅すぎる。はてさてどんな言い訳を連ねているのだろう、と開いてみると、そこにはたった一行だけのメッセージがあった。

『色々言われてるけど、あんま気にしないでね!』

 それを見た瞬間、希美はこの男を完膚無きまでに燃やしてやることに決めた。


 香椎希美は、そこそこの人気を保っている地下アイドルグループ、東京グレーテルの三期生である。

 担当している色は白で、キャッチコピーはピュアリーホワイトだ。白は純粋で純潔な色。花嫁のウエディングドレスの色。その所為で、特にそういう要素も無いのに、希美は東グレの風紀委員、ピュアで真面目な役割を担わされた。空いた色を適当に割り当てられただけなのに、品行方正を義務づけられたようだったのが嫌だった。

 地下アイドルになろうという人間の動機は色々ある。チヤホヤされるのが好きだった者、アイドルが単純に好きな者、コンカフェ上がりで何となく入ってきた者──希美の場合は復讐だった。

 希美は小さい頃から発育が良く、小学生の時点で大分大人びた顔立ちをしていた。そのお陰で、希美は色々なところで物凄く浮いた。容姿を有効活用して人生を楽に出来れば良かったのに、悲しいことに希美はそんな人間ではなかった。

 愛想とプライドを嫌な配分で取り違えた希美はあっさりと爪弾きにされ、いじめられるようになった。小学五年生から学校に行けず、復帰したのは高校生の頃だった。その時でさえ、希美は微妙にクラスから弾かれていた。

 高校を出て短大に入った希美は、鏡の中に映る自分の姿を、その価値をようやく認識した。大人びた容姿に年齢が追いついて、希美は落ち着いた美女になっていた。からかわれるのではなく、好意を向けられるパターンについてもちゃんと学んだ。

 自分のこれは、れっきとした刃である。

 そうして希美は、地下アイドルの世界へと飛び込んだ。

 場の選び方が天才的だった、と自分でも思う。モデルになれるほどの容姿ではない。華々しく活躍するアイドルになる根性は無い。女優の才能はそもそも無い。

 けれど、地下アイドルであれば。その世界の中であれば、希美の容姿は群を抜いていた。あまり他と被らないタイプであるという自覚もあった。希美はあっさりとオーディションに合格し、歌も踊りも人並みでありながら、そのルックスだけで人気を勝ち取った。

 思えば、希美に『ピュアリーホワイト』なんて馬鹿げたキャッチを付けた運営は慧眼だったのかもしれない。雪解けの雫のように、希美にはただただ冷たく清廉な美しさだけがあった。逆に言えば、それ以外は無かったのだけれど。

 まともに喋れなくても、人と目が合わせられなくても、希美は東グレにいる限り愛された。

 これは、かつて受け容れられなかった希美のささやかな復讐だった。自分をいじめていたクラスメイトは、恐らくこんな場には立てない。立てたとしても、希美には敵わない。あの場所に、希美より綺麗な女の子がいただろうか?

 だから、アイドル自体に愛着は無かった。希美のこれは、一種のセラピーなのだった。誰からも認められない、医者からは苦言を呈されそうなセラピー。

 それ故に、希美はアイドル活動そのものにじゃ情熱が持てず──結果的に、民生ルイに引っかかった。


 六人組のメンズ地下アイドルグループ、帝都ヘンゼル。

 名前から察せられる通り、ここは東京グレーテルと運営を同じくする姉弟グループだ。でも、後から作られた帝ヘンの方が、姉よりも少しだけ優秀である。追加メンバーも脱退も無く一期生一塊でやっているところも、有象無象の集まる東グレより少々上等である。

 民生ルイは、そんな帝都ヘンゼルの青色担当だった。

 出会ったのは二年前。それまではまともに目を合わせたこともなかった。同じ地下同士とはいえグループの人気が違うし、男女グループが絡むのはなかなかどうしてセンシティブな事案だからだ。従って、東グレと帝ヘンが合同ライブを行ったのは二回しかない。

 その内の一回で、希美は不幸にもルイと出会ってしまった。


「いじめられてたでしょ、あんた」


 考えれば考えるほど、ルイの最初の一言は最悪だった。

 狭い楽屋で、希美とルイは通り雨に行き合うように二人きりになってしまった。希美の一番嫌いなシチュエーションだ。本当はずっと無視を決め込もうと思っていたのに、思わず「は?」と言ってしまった。こんな反応、玩具にしてくれと言っているようなものだというのに。

 案の定、ルイはにんまりと笑った。

「馬鹿にしてるわけじゃないから。俺、いじめられっ子好きだからさ」

「コンプラもクソも無い炎上発言をどうも」

「いじめられてた子ってさ、絶対に隙を見せないって感じするから好きなの。何も考えてない子よりずっといい」

「それを口に出しちゃうあんたは馬鹿っぽいけど」

「そう? それでも、ピュアリーホワイトちゃんとは仲良くなれたから、俺のが賢いでしょ。あ、俺は帝ヘンの青いのだよー、民生ルイ。民生の民から何故か『ミンくん』なんて渾名が付けられちゃってるけどさ、あんたは俺のことルイでいいから。それじゃー、よろしく」

 相容れないし、相容れないから敵わない、と思った。

 LINEを交換したのは、断る方がしんどいと思ったからだ。素直に希美がスマホを出すと、ルイは一瞬驚いた顔をして子供のように笑った。

 彼が帝ヘンの中で人気である理由の一端が分かったような気がした。


 『ちゃおまよ』は、待ち合わせの場所に計ったように五分遅れてきた。

 もしかすると、単に遅れたわけじゃないのかもしれない。どこかから希美のことを観察し、使えるカードを増やしてからテーブルに着いたのかもしれない。その証拠に、希美には焦りや急いだ様子は欠片も無く、数時間前から希美を待っていたかのような余裕が漂っていた。

 そこには何とも言えない用心深さと抜け目の無さがあり──人に言えない関係を長く続けてきた女の匂いが漂っていた。口の固さと秘密の多さが、全身から芳しさを漂わせるようだった。

「どうも。『ちゃおまよ』こと、眞(まな)尾(お)真代(まよ)。よろしく。あんたが私に連絡してきた捨てアカ女?」

 『ちゃおまよ』は遅れてきたことを謝りもせずに尋ねた。希美は怯むこともなく頷く。彼女は希美を睨むと、溜息を吐いて言った。

「あーあ、まさか呼び出してきたのが香椎希美だとはね。……正直、接触してくるなら『ぱふぇぱふぇぱーふぇくと』かと思ってた。てか、ぱふぇも繋がってそうだよね。匂わせ投稿凄いし。妄想であってくれたら良かったな」

 『ぱふぇぱふぇぱーふぇくと』とは、『ちゃおまよ』と同じ自撮り送りつけリプアカウントである。希美の中では揃ってクソファンの箱に入っている女だ。希美の方も、いつか何かがあるのならあっちの女なんじゃないかと疑っていた相手である。

「そこらの普通の女じゃなくてすいません」

「かわいくない女」

「……というより、私のこと知ってるんですか?」

「知ってるってーの。東京グレーテルの香椎希美。あ、勘違いしないでね。あんたの知名度が高いんじゃなくて、掲示板で晒されてたから知ってただけ」

「晒されてたんですか、私」

「そうだよ。セフレなんだろうなって噂されてた」

 実際は本カノだったわけだけど、と心の中で付け足してから、希美は尋ねる。

「どうして分かったんですか? 私とルイの関係について」

「それはミンくんがガバガバだったからだね。あんたの部屋にいるっぽい写真上げて消してたり。特定班がいるんだよねー、疑惑を徹底的に調べるような奴らが」

 交際を大々的に喧伝したことはないが、希美の知らないところでボロは出ていたようだ。ルイの根本的な頭の悪さに溜息が出そうになる。その一方で、誰にも知られていなかった自分とルイの関係に気づいてくれた人間がいたのは嬉しかった。存在しない自分達の生活に、外側から輪郭が与えられたみたいだ。たとえその線が嫉妬と憎しみによって作られたものであっても、観測されるだけで嬉しい。

 このゴミみたいな男の本カノが、一般人じゃない現役のアイドルだって──香椎希美だって知って欲しい、と思っていたことがある。

 それはさておくとして、まずは目の前にいる女と話をつけないとならない。すっかり冷めたコーヒーを一口飲んでから、希美は回想する。


 自分の彼氏が燃えているのを知った希美は、すぐに捨てアカウントを作り『ちゃおまよ』に連絡を取った。あれだけ炎上していたというのに、彼女はSNSのDMを解放したままだった。


『民生ルイの情報を多く持っている者です。一度会ってお話し出来ませんか』


 そんなメッセージと共に、巷には出回っていないルイのプライベートショットを添える。「証拠」だ。

 これで返信してもらえるかは賭けだったけれど、三時間も経たないうちに『ちゃおまよ』から最初の返信があった。

『あんたも繋がり? あいつのこと、更に燃やせる?』

 そこからはとんとん拍子に話が進んだ。結果、希美は無事に都内の個室カフェで彼女と会うことが出来たわけだ。流石、有名人に手を出す繋がり女。フットワークが軽い。

 こうして見た本物の『ちゃおまよ』は、重加工を取り払っても十分なくらい綺麗な顔をしていた。

 勿論、画像で見た時は完成された──それこそ、映画の一シーンかのような洗練された雰囲気があったけれど、直で会ってこれなら全然詐欺の範疇じゃない。加工で美人に仕上がる人間は、そもそもちゃんと素地が上等なのだ。

 それも含めて、ルイがどれだけしっかりと選んだかが分かる。

 それなりに綺麗で、自分が遊ぶのに相応しい人間を。

「で、何」

 注文より早く、真代は言う。話が早いのは大歓迎だった。

「私は二年前からルイと付き合っている──いわば本カノ、です。なので、皆さんよりもずっと多くの材料があるんです」

 真代はぴくりと眉を寄せたが、希美の言葉を遮ることはなかった。

「私がルイをもっと燃やす為の材料を提供してあげます。だから、私の代わりにルイを燃やしてほしい。今ようやく二〇〇〇くらい回ってますよね、そこからは失速してる。ファンに手出す地下アイドルなんて、言っちゃ悪いけどありふれてますから。けれど、本カノである私が出すものを合わせたら、もっと燃やせる」

 勿論、帝ヘンのファン達は阿鼻叫喚の大騒ぎになるだろう。ルイは元の人気を保てないだろう。だが、それだけじゃまだ足りない。ちょっと謹慎して終わりだなんて、彼に纏わせる炎には甘すぎる。

 ややあって、真代が舌打ち混じりに尋ねた。

「どうして自分でやんないの?」

「……浮気されてたのは腹が立ちますし、ナメられてるなって許せないですよ。けれど自分ではやりたくないんです。私だってアイドルですし。あんなゴミ男のせいで火の粉を被るのは嫌」

「随分自意識過剰なんだね。大して売れてもない地下アイドルの、センターでもない女なのに」

「大して売れてもない地下アイドルのセンターでもない女が泥被る価値があるんですかね。売れていないメン地下の一人なんて」

 悪いが、こういう嫌みへの切り返しは大得意だ。伊達に今まで陰口を叩かれてきたわけじゃない。真代は案の定気圧されたように黙り込んだ。

「私はもうルイのことなんか好きでもない。だから、自分の手を汚さずに痛い目にあってほしいんです」

 希美の中にあるのはルイへの憎しみだ。滾るような怒りは、彼女を小中学生の汚泥に引き戻す。報いを受けさせてやる、というのが彼女の人生の大テーマだ。「いじめられてたでしょ」というルイの言葉が蘇る。

「それで……貴女は、いつからルイと?」

「一年くらいになるかな」

 真代は素直に答えた。予想していたよりも長い。希美がルイと付き合い始めたのは二年前だから、一年しか変わらない。

「あんたは?」

「……貴女より長いですよ。本カノなんだから」

「それはそれで意外だけどね」

 真代がせせら笑うように言う。


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