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試し読み【アフターコロナの恋愛事情】『しずるさんと見えない妖怪  ~あるいは、恐怖と脅威について~』上遠野浩平

作者プロフィール

著者:上遠野浩平
第4回電撃ゲーム小説大賞を受賞、電撃文庫から『ブギーポップは笑わない』でデビュー。
同作はライトノベルの潮流を変え、後続の作家にも多大な影響を与えた。『事件シリーズ』『ナイトウォッチ三部作』など著作多数。 Jブックスからは『JOJO』シリーズのノベライズ『恥知らずのパープルヘイズ』を刊行。


しずるさんと見えない妖怪
 ~あるいは、恐怖と脅威について~

「私って怖がりで、ほんとに駄目ね」
「あら、そうかしら?」
「そうよ。なんにでもびくびくしちゃって、必要以上に怖がっちゃって、こんなんじゃなんにもできないって思うんだけど――」
「でもよーちゃん、それって悪いことかしらね」
「悪いでしょ。要は勇気がないってことなんだから。怖い怖いって言ってるだけで、それを言い訳になんにもしないのは、やっぱりよくないよ」
「よーちゃんは、この世で何が一番怖いのかしら」
「え? えと――一番? そう言われると……」
「私は、あなたがいなくなることが一番怖いわ、よーちゃん。あなたが辛い目に遭ったり、苦しんだりするのが一番怖いって思ってる」
「……しずるさん、それはずるいよ。そんなこと言うのは。……ずるいわ、ほんと」
「ふふふ、ごめんなさい。でも本心よ。そして、だから私には、よーちゃんは怖がりであって欲しいって気持ちがある」
「えーっ、どうして?」
「よーちゃんは今、勇気がない、って言ったけど、それは少し間違っているわ。怖がることと勇気の有る無しは、ほとんど関係のない話だから」
「関係ない、って……なんで?」
「勇気というのは、なんのために必要なんだと思う?」
「えっと、だから……怖いことでも立ち向かえるように、でしょ?」
「それが、少し違うところなのよ。よーちゃんは〝恐怖〟と〝脅威〟をごっちゃにしている」
「〝恐怖〟と〝脅威〟? いったい何の話なのか、よくわからないけど……」
「よーちゃんは小さい頃に、ご両親から〝おばけが出るぞ〟みたいなこと言われたりしなかった?」
「う、うん。クローゼットの中にはおばけがいるから、勝手に開けるな、とか脅されていたことがあったけど……でも」
「そうね、そう言われても、子供って結局開けちゃうよね」
「散らかすのをやめさせたかったからなんだろうけど――でも、今でも少し嫌な気分があるよ、あれは」
「でもね、よーちゃん、そういうのって必ずしも子供を脅すためだけに言うんじゃないのよ」
「うん、それはわかってるけど……どんな危ないものがあるかわからないから、でしょ。中に重いモノでも積んであったら危険だし――って、それって」
「そう。それが〝恐怖〟と〝脅威〟の違い。よーちゃんの嫌な気分が〝恐怖〟で、実際のクローゼットの危険性が〝脅威〟――このふたつは同じものを扱っているけど、でも一致することはない。今のよーちゃんはクローゼットを開けるときにいちいち怖がったりしないだろうけど、でも、だからといって重いモノが開けたとたんに崩れてくる危険性自体は消えたりしない」
「うーん、でも今ならその辺は注意してるから。さすがに子供の頃みたいに、無闇になんでもかんでも荷物を引っ張り出そうとしないし……でも、そうか。おばけを怖がらなくなったのと、勇気って関係ないね、確かに」
「よーちゃんは成長して、賢くなって、周辺の状況を正確に把握できるようになったから怖くなくなったのであって、別におばけに挑戦して、それを克服したわけじゃないでしょう。でも人間はこのふたつを一緒にしがちなのよ」
「怖くないから、大したことない――そういう風に考えてしまう、ってことかな」
「そう。それは勇気ではない。ただ無知なだけ。怖いと思うことから離れよう離れようとして、人はしばしば〝脅威〟をなかったことにしてしまう。怖がらないようにするというのは、怖くない怖くない、っておまじないみたいに唱えることじゃない。その原因を直視しなければならないの」
「それが〝勇気〟なのかな」
「その通りよ。さすがよーちゃん。人の話を理解することにかけては、世界一の切れ者よね」
「もう、からかわないで――でも、一番怖いこと、か……たとえばの話だけど」
「うんうん」
「私が風邪を引いてて、そしてしずるさんにうつしちゃって、それがもとで、しずるさんが、その――熱を出しちゃったりしたら、私はとっても怖くなってしまうと思うの」
「そこは遠慮せずに、入院患者である私が死んでしまったら、と言ってもいいのよ」
「い、いや――だから」
「でもね、よーちゃん――その相手は私に限らないと思うわ」
「え?」
「よーちゃんの、私以外の大切な人にも、それはうつってしまうのだから、その〝脅威〟は私相手に限定されない。それこそあなたのご両親や、クラスメートや、いいえ、たまたま隣にいただけの無関係な人にも、その〝脅威〟は存在するのよ」
「そう言われればそうだけど……でも」
「もちろん、これは逆の場合だってあり得る。私の方が、あなたに危険な病気をうつしてしまう可能性だってある」
「そ、そんなこと言ってたらなんにもできなくなっちゃうよ」
「そうなの。そこが困ったところなのよ。でも私たちがいくら困っても、それで〝脅威〟の方はちっとも影響されないのよね」
「じゃあ……どうすればいいの?」
「わからないわ。よーちゃんはどう思う?」
「えええ? しずるさんにわからないことが、私にわかるわけないじゃない!」
「それでも、よ。それでも考えなきゃならない」
「む、無理よ……私には難しすぎるもの」
「じゃあ、私が駄目なら、他の誰かに頼る?」
「そ、それは――」
「事情に詳しい誰かさんが、自分の代わりに考えてくれて、その言うとおりにしていればいいって、そう思う?」
「そうするしかないのなら、仕方ないかも……でも」
「そうね、それは〝脅威〟のことを、その正体や性質を、皆がよくわかっているっていう前提での話よね。しかし、そうでないのなら――未知の危険が迫っていて、誰もその対処法を明確にできないってことになったら、その事情通の誰かさんの意見を鵜呑みにはできないでしょうね。なにしろ、その人もまた自分の〝恐怖〟にとらわれているのだから」
「あー……そっか。なまじ自分を事情通だと思っているから、大したことない、怖くない、って思いやすいでしょうね、きっと」
「自分もまた皆と同じように〝知らない〟のだということを受け入れられない。その方が目の前の〝脅威〟よりも怖いことになっているから、自覚しないうちに虚勢を張ってしまうのよ。自分に嘘をついているのだけど、当然それにも気づけない。そうなると、ほんとうは危険なのに、安全だ、問題ない、とか言って、他の人たちを危ない状態に追い込んでしまうことになる」
「う、うーん……それも怖いけど、でも逆に、とにかくひたすらに危ない危ないっていうのも、それはそれで問題ありそう」
「それはそうね。だからどうすればいいのかって話なんだけど、よーちゃんならどうする? どういう意見だったら受け入れようって思う?」
「……しずるさんの言うことを聞きたいんだけど、それは駄目なんでしょ」
「そうね。私にはわからないのだから」
「ううう、ほんとに意地悪……でも、そうね、私も考えなきゃね――ええと、怖がることで、正しい理解から遠ざかってしまうのだから――じゃあ冷静になるにはどうすればいいのかな。むしろ逆に、すごく怖いことを考えて、そこからあれこれ考えを巡らせてみる、とか……? うーん、自分でも何言ってるかわかんなくなってきたわ」
「いいえ。よーちゃんは今、正しい道筋の、その入り口に立っていると思う」
「え? なにが? なんのこと?」


この作品の続きは『非接触の恋愛事情』にてお楽しみください。

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