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どこかもの悲しく感じる桜の花に

関東でも例年よりも早く桜の開花が宣言されました。
でも、、、今回の騒ぎのために、桜の木の下でのお花見も宴会も取りやめるように勧告がなされ、ちょっと桜の花を見るのもいけないことをしているようなそんな気分でいる方も多いはず、、、

3月は別れの月でもあり、そして新しい出会いに心躍る月

その象徴ともいえる桜の薄ピンク色の花に、何か起こるかもしれない、という希望と期待を持って眺める人も多いのでしょう。

そんな感傷に浸るのも、そもそも、桜を意識し始めたのも大学生になったくらいの頃から、、

大学のある四谷には桜で有名な真田堀があり、
真田濠は寛永13年(1636)に完成した江戸城外濠という。江戸の真田濠は、蓮華の花が咲き誇る景勝地であったそうだが、私が入学した頃には、サクラの花見地としても有名だった。四谷駅から歩くと上からハラハラとサクラの花びらが舞い散り、雪柳とレンギョウの白と黄色とそしてピンク色の桜の花のコントラストがあまりにも美しく、まだ植物など興味のなかった私でさえ、目を奪われた覚えがある。

そして新入生のサークルなどの勧誘が始まる新歓では、上級生達に早速入部した学生たちがそのサクラの下で花見をするのが恒例。
サクラの木の下でこんな宴会が行われていたとは、高校時代までは知らなかったのでびっくり。
でもその後、アルバイト先の病院の息子さんが、この宴会途中で下のグランドに落下して、内臓破裂で命を落とすかもしれないという大変な事態になったことを知り、「桜の木の下での宴会は気を付けろ!」警報が鳴り出す。


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それからいくつもの桜を見ながら、私が初めての造園の仕事をもらった先は、ある企業の社長さんから。新築の家の庭にグリーンを植えてくれないか、という初めての造園植栽の依頼だった。都内の閑静な住宅街でコンクリート打ちっぱなしのかっこいいタイプの建築。はじめての仕事としては申し分ない仕事をいただき張り切っていた。これから籍を入れて一緒に住み始めるという再婚カップルだったが、旦那様となる方がガンに罹り治療中とのこと。まだガンという病気の実感もあまりなく、実際にお会いした時に、あ、、、と思うくらいの痩せ方をされていてちょっと心がびびってしまった記憶。その彼が、私が植物を植えている姿を見て、緑っていいねぇ、、と呟き、あのさ、やっぱり女性って指輪もらえると嬉しいものかね?と尋ねられた。そりゃぁ、、いくつになっても、もうすでに持っていらしても嬉しいものではないでしょうか??と。
頭の中で、わぁ!!彼女、もらえるのかな???
とワクワクしながら。
しばらくして、彼は着替えをしてちょっと出かけてくるね、、とお出かけ。

そして家が完成し、皆さん招待されて、うちうちでの結婚式。
そこで彼は指輪を、、、(おおっ!!!あのときのだっ!!!って心の中でグッドジョブをした私)

それからしばらくして彼は息を引き取った。
辛い身体を引き摺りながら指輪を選んだのかと思うと心がキュッとした。

その家のメインの木がサクラ。
もともとあったサクラの木をそのまま残したんだとか。
でも、ずっと気になっていた、このサクラの木が。
こう言ったら、怪しい人になってしまうけれど、ちょっと感じる系の私は
この木のことがずっと気になっていて、その根元に植える植物も随分悩んだり調べたりして、、

「桜の樹の下には屍体したいが埋まっている!
 これは信じていいことなんだよ。何故なぜって、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。」

は梶井基二郎の「桜の樹の下には」の文章。
これが頭の中から離れなかった、、

そして時は過ぎて、自分でも学生時代の仲間とサクラの季節に集まったり、特定の男性とデートで夜桜花見をしたりするのは楽しいものだった。
そして自分の乳がんが見つかったのも3月。いつもの仲間との花見に誘われて行った時にはまだ誰にも病気のことを知らせずに参加した。その時の桜は、私にはやっぱりもの悲しく感じた。

来年はこの桜を私は見ることができるのだろうか?

ギリギリで見つけたガンは、既に左胸に広がっており、何度聞いても全摘です。 と先生に言われる、、、笑。
むしろ、全身に転移していなかったことをラッキーと思ってもいいギリギリのところだったらしい。そんな時の桜は、目を背けたくなるような色褪せた色にしか見えなかった。 

そんな私もあれから7回目の桜の季節を無事に迎えることができた。
今年は、コロナ騒ぎでやっぱり桜を純粋に楽しめるような事態ではない。
なのか、どうなのか、、今年も私には水墨画のように薄いサクラの花びらに見える。

そんな桜にまつわる悲しいエピソードを持つ私もで唯一好きなサクラにまつわる話がある。

「桜姫 天照大神の天孫、天津日高日子番能邇邇藝能命(アマツヒタカヒコハノニニギノミコト) の太后として木花之佐久夜毘賣(コノハナノサクヤヒメ)は、富士山浅間神社 の祭神。この神様の名のサクヤは、実はサクラだという説。
サクラという語の語源は、本居宣長によると、コノハナノサクヤヒメに由来し、「万の 木の花の中に、桜ぞ勝れて美き故に、殊に開光映(さきはや)てふ名を負て、佐久良とは云り」 ということだといいます(『古事記伝』)。
ほかにもいろいろな説があり、この話が一番好き。
国文学の芳賀矢一は、『国民性十論』で「「サケの語源は Sake で恐くはサクラ Sakura と同語根の語であらう」として、「桜の花のパツと咲きみだれたうつくしさは、繁昌、栄華、富貴等一切を聯想する」と書いています。さらに、歴史学の和歌森太郎は、 サクラのサはサナエのサのように稲田の神霊を指し、クラはイワクラ(磐座)のクラと同じで、神霊 の依り鎮まる座を意味するとして、「こうした、サとクラとの原義から思うと、桜はもともとは神 霊の依る花とされたのかもしれない」(『花と日本人』)と言われ、この和歌森太郎説が広く受け容れられているようです。稲作文化の中で、山に住んでいる田の神が、田植えの時期になると人里に下りて来ると信じられるようになりました。
だから、どうぞどうぞと席を設けて、お酒や美味しいものを差し上げて、歌え踊れの宴会をしていたのですね。
今は、サラリーマン社会にて稲作の代わりに会社員としての勤めがあり、後輩もしくは新人がブルーシートで席を取り、上司や先輩方来るのを待ち、ビールやおつみまみを用意して、、、、と様変わりしたわけです。
お花見宴会ってこれが起源かぁ!
と思った瞬間に少しサクラに色がついてきた。

今年はこのコロナ騒ぎで、出勤停止となり、在宅でのリモートワークへの切り替え。サクラの木の下での宴会もできず、飲食店での宴会もできず、サァ、どうする???

田の神様、すんません、世の中こんな感じで、いやぁ、こっちもいろいろ大変で!外にでちゃいけないって言うしね〜参っているわけですよ。
てなことで、今年は、無しってことで!!

とは言え、これ以上食料不足に見舞われたら大変!!

サクラ=コメ

やっぱり花より団子で。
サクラの花はどこかもの悲しい想いに駆られるけれど、食べれなくなったらもっと悲しい。なぜなら、私は今生きているから。

大学時代は被らなかったけれど同じ真田堀のグラウンドでディスクを投げて走ったクラブの後輩のお米をぜひ。

https://www.disc-village.com/

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