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第八話 春陽会がもたらしたもの

 春陽展などの公募展に入選することは、絵を描くものにとって目標であり、励みであり、ステータスであり、地元の新聞にも入選者の名前が掲載されるなどの喜びがある。
展覧会では、自分の絵が会場に飾られることを楽しみにし、家族や親類、友人に招待状を送って見に来てもらうのが、文化祭のような趣である。
絵の愛好者や批評家に足を運んでもらえる、年に一度の大イベントだ。

誰がいつどこで見ているかわからない。点が線になり縁がつながる。見ず知らずの方が私の絵を見てファンになってくださり、親交が生まれる。
今のようにSNSがない時代は絵の関係者が多数訪れる公募展に出品して見てもらうことが周知される一つの手段であった。

春陽会のファンであった初老の男性が暑い盛りの頃、私の絵の写真を持って、銀座のギャラリーを何か所も巡り歩いて「私」を売り込みしてくれたことがあった。ギャラリー銀座汲美のオーナーが実際の絵を見てみたいと言ってくださったのは幸運な出会いだった。

コレクターや愛好者が集まり、絵描きが見に行きたくなる銀座汲美は目利きのオーナーの絵に対する真摯な思いがこもった、知る人ぞ知る画廊であった。当時は銀座4丁目、三越の隣のビル2階にあった。オーナーの磯良卓司さんも絵や立体を創作し、映画を撮り、詩や俳句を作った。

このギャラリーを起点に日本の中心で活躍する絵描きを多く知ることになり、思い返しても深い感慨を覚える。というのは、磯良さんは忽然とこの世から去ってしまったから。
ギャラリーから送られてくる個展のDMを心待ちにし、直感で好きだと感じた作家の個展を、札幌から日帰りで見に行く私の情熱も大したものであった。
そこで画家たちを取り巻く本物の空気に接し、ギャラリーの雰囲気とはこういうものかと肌で感じた。当時の札幌では画廊といえば、貸し画廊のイメージしかない。画廊の企画で絵を販売し購入してもらう慣習が乏しいのだった。
絵を売る、値札を壁に貼るのに違和感を持つ、そういう時代、土地柄であった。
いい絵をもっと見たい、知りたい、こんな風に描いてみたい、いつか自分も銀座で個展を開きたい、と熱望し駆け抜けた40代前半であった。

ここで知った画家は、伊藤彰規、及川伸一、太田保子、古田恵美子、森本秀樹、山崎万亀子、渡邊博、生江葉子、山中現、堀越千秋、木村鐵雄、高下せい子、緑川俊一、早川重章、野澤義宣、森敬子、横田海、五百住乙人、上野憲男(順不同)ほか書ききれない。上野憲男さんは私が師事した八木保次先生、伸子先生と旧知であったが先日亡くなられた。(1932-2021)

現在も淡々と描き続けている画家たちを敬愛し、そこから20年、自分自身も細々とよく描き続けてきたものと来し方を振り返る。

雪ふれば昭和の文字に染みゆけり  島達人「群肝」(むらぎも)から
磯良卓司 さん(1950-2007)



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