見出し画像

その41 子ども達が、ごみを拾わない訳(2257文字)

1 はじめに

 校内を歩いていると、紙くずや使い古したマスク等、いわゆる、ごみが落ちていることがあります。
 そのごみを見かけた時に、教員であるならば、子どもが『主体的』に、ごみを拾うようになって欲しいと思うのではないでしょうか。
 と言いながら、そんな大人である教員でさえも、ごみを放置することも少なくありません。
 その状況を思い浮かべることができる方が多いのではないでしょうか。

 大人として、教室や廊下に落ちているごみを、子ども達が『主体的』に拾ってくれるようになることを願っているはずです。
 しなし、果たしてこのことは、現実的に可能なのでしょうか。
 実際に、一般的だと思われる公教育の現場を題材に考えてみたいと思います。

2 学校での掃除

 まず、学校での掃除、清掃の現状についてお話しします。
 掃除、清掃といえば、給食が終わった後、午後からの授業が始まるまでの間に設定されていることが多いように思います。
 予め、年度初めに、掃除担当が、学級をひと単位として、学級の教室に加えて、トイレや特別教室、階段等の掃除場所を割り当てます。
 それを受けて、学級担任が、割り当てられた掃除場所に対する、学級の子どもの数だけの割り振りを決めます。
 学級の子ども達が、どの割り当て場所を何人で掃除するのかは、学級担任の方針・考え方により決められるのです。
 更に、子どもの希望制であったり、先生による当番制であったり、はたまた、その期間は、1週間、1か月、1楽器単位だったりと、先生主体により様々な実践が繰り広げられます。

 とにもかくにも、毎日決められた時間になれば、汚れの程度や子どもの清掃に対する考え方に関係なく、行われるのです。

 このように、子ども達にとって掃除というものは、先生から与えられるものという事実が強く存在します。
 ひいては、汚れているから取り組む、自分たちの生活スペースを衛生的にしたいから取り組むと考える余地は、子ども達にはありません。
 結論として、綺麗とか汚いとかの個々の感性によることなく、掃除の時間が来れば、先生から与えられた掃除場所に赴いて、掃除することになります。

 よって、掃除の時間に、思考力を働かせることは、ありません。

 このことは、元来、子ども達が持ち合わせていた考える力を発揮する機会が奪われているように感じざるを得ませんが、みなさん、どのように思われますか。

 もし、子ども達の担当する掃除場所が、体育館や音楽室であったなら、ボールや楽器の魅力に魅かれて、掃除そっちのけで、バスケットボールをしたり、ピアノを弾いたりなんていうことが起こります。

 このような掃除に対する、先生主導の前提条件が完備されるなかで、廊下に落ちていたごみを見て『主体的』に拾う子どもが、育つと考えられますか。

 このような教育現場で、もし起こり得るとすれば『自主的』に、ごみを拾う子ども像を想像することが限界ではないかと思います。

3 自主的とは…

 あくまで『自主的』にしか起こり得ないと考えています。
 国語辞典に、どのように書かれているかはわかりませんが、ここでいう『自主的』の定義は、「先生からやるように指示されていることを、その都度その都度指示されるのではなく、慮ったり、察したり、忖度したりして、行う態度」と考えられます。

 心底、掃除が必要だと思うのではなく、あくまで、学校という型の中で「怒られるから」とか「どうせやらなあかんねやったら」とか「先生は、これをやることが大事だと言っていたから」等という形式的な側面、受動的な側面、与えられた側面による行為・態度だと定義することができます。

4 主体的とは

 一方、『主体的』とは、子ども自らが「汚れがひどいから、掃除をしたい」、「ごみが落ちているから、掃除が必要」等、その行為をする必要性を自らの価値判断によって、行動に移す態度だと定義しました。
 現在の学校現場では、このような『よはく』があることは、考えにくいことではないでしょうか。

5 これからの掃除

 以上のことから、学校における、清掃の仕組みを一度リセットすることを提案したいと思います。

 「そんなことをしたら、学校のなかが不衛生になるじゃないか」とか「掃除もせずに、遊ぶ子どもがふえるじゃないか」という意見が聞こえてきそうです。
 確かにその通りだと思います。

 しかしながら、掃除がされずに、埃が、こんもりとたまっていたり、トイレが汚れていて使いたくない状態になっていたりということに、子ども自身が気がつかないことには、進んで掃除をする態度、気持ちが培われることはないのではないかと思います。

 掃除の時間だけは設定して、子ども達に次のように投げかけます。
 「今から10分間は、掃除の時間です。今から校内中のどこでもいいので『ここの掃除をしたいな』と思う場所や『ここ汚れているから綺麗にしたほうがいいな』という場所を見つけて、掃除をしてください。それでは、みなさん始めてください。」

 そうすると、遊んでいる子どもや、全く掃除がされない場所、反対に、多くの子ども達が集まって掃除をしている場所等々の状況が出てくることでしょう。

 これを悪い状況と捉えるのではなく、子ども達に、自分たちの学校は、自分たちで綺麗にするという考えを持ってもらう絶好のチャンスだと考えたいのです。

 今の時代は、受け身でいること、先生の言ったことを遂行するだけの能力に留まっていては、よくないのだと思えてきます。

 みなさん、どのように思われますか。

 イラスト Boku (ぼく)
https://www.instagram.com/boku_illustration?igsh=MTAzcWxqZGprMHljeQ%3D%3D&utm_source=qr

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?