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第7回:時間が僕のウルトラマンを変えました。

「ティガがテレビに出ている」
当時の僕は、V6の認識よりも先に、マドカダイゴ隊員を捉えた。
物心ついた頃からウルトラマンのVHSを永遠にリピートしていた僕にとって、
昭和と平成に境界線はなく、ウルトラマンという存在そのものが好きだった。
持っと言えば、隊員たちが持っている銃や、乗っている戦闘機、車が好きでいて、
そのくせやたら主人公に対しても憧れのある、
5~6歳の代表例とも言えるぐらいに「こども」だった。
ちなみにウルトラマンの中でも、ウルトラマンタロウが大好きで、
場面や状況を追い込むだけ追い込んでから、あっさりタロウが倒す描写や、
ウルトラマンに率先して協力し、隊員たちが怪獣を倒すことが歴代一番多いような気がする。
変身アイテムも左腕にひっそりと着け、小学生の交通指導をしている、
緑のおばさん(実際は人間の姿をしたウルトラの母)にそのアイテムをもらうという、
日常的な描写が当時の僕を湧きあがらせた。

投稿中の黄色い旗を振る保護者に対してはこれでもかと頭を深々と下げ、
「さぁ!変身アイテムをください!」とばかりに目を輝かせた。
散々語っているが、要は単純でバカと紙一重だったということである。

今でもウルトラマンは大好きで、
実家の部屋には変身アイテム、戦闘機、フィギュアなどがたくさん飾ってあるのだが、
やはり当時と全く同じ気持ちで見入ることができなくなったのも事実である。

それは昭和の撮影技術が…とか、時代が生むギャップなんてことではない。
そんなことは「マジで」どうでも良い。
うまく書き表すことのできない感情が湧いてくる。

「あ、ウルトラマンがビルを利用して怪獣を攻撃した…ビルが…」
「約40メートルのウルトラマンが都心を走れる場所は今でいうどこだろう…」
「民間人の非難はどこでしているのだろう…」
「この場合、被害額に応じた政府の動きは…」

正直、自分にウンザリだ。
かといって、「これはスタジオで撮っていて…」なんてことをしようものなら、
ウルトラマンの存在を今でも崇拝している僕の20数年の人生そのものを否定することになる。
だから興味のない人とは見ない。
「戦闘機から糸が見えた」
これで幻滅した経験があるからだ。

なにがそうさせた。
僕が大人になったからなのか…
変化する社会がそうさせたのか…

ただ、ウルトラマンの存在を考えたときに、
ウルトラマンは存在すると信じ続けている自分がいることには少しだけ、ほっとする。
いや、胸を張っている。(虚勢)

ただ、いつかウルトラマンに会えたとしよう。
その場合まず頭を下げて「あなたたちのおかげでここまで大きくなれました。」
とお礼を言う姿が頭に浮かぶ。
たくさんの宇宙人や怪獣が地球を征服、破壊しようとしたのを守ったわけだから。
それと同時に、たくさんの言葉や優しさを身に着けたのも事実としてある。

ウルトラマンエースでは、「優しさを失わないでくれ」と言っていたから忘れなかったし、
ウルトラマンティガでは、信じる人が皆、ティガとなって闇と戦った。
数えだしたらキリがないが、ぼくはそうやって大人=子供としてやってきた。

さて、ここまで熱く語ってきたわけだが、
是非、騙されたと思ってみてほしい。
世代ドンピシャの大人たちはもう一度見てほしい。
時間や環境が僕のウルトラマンに対しての見方を変えたように、
あの頃見えなかったウルトラマンからのメッセージが見つかるはずです。

僕は頻繁にウルトラマンを見ているので、
恐らく、今までもこれからも「マケル」ことはないんです。
良くも悪くも、時間がそうさせましたので…。

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