日記がうまく書けない
仕事の息抜きに知人の日記ブログを読んでいて、ここ最近うっすら感じていたことがより確かになった。わたしは日記を書くのが下手だ。
日記に限った話ではないけれど、わたしには文章を書くとき妙に説明調になってしまうという困った悪癖がある。これは小説やエッセイを書いて食べていきたいと考えている人間にとっては致命的な欠陥だ。(いまものすごく、説明調にならないようにと気を付けて書いているが、とても骨が折れる上にあまり効果を感じない)
今年の9月に引っ越してから、noteで毎週日記を公開してきた。書けないときがあっても、なるべく後から思い出して書くようにしているが、すぐに書いたもののほうがまだ良い文章が書けている気がする。
ここ数年ずっと頭の中にもやがかかっているような状態で、うまく考えがまとまらないことに苦しんでいる。それを解消するための訓練として、日記を書いて自分の考えを言葉にすることを意識的にしている側面もあるが、単純に自分の書いた文章を多くのひとに読んでもらいたいという欲望が一番の原動力になっている気もする。
日記を書いていて悩みが3つある。ひとつめ、毎日似たようなことしかしていないのに、書き続ける意味があるのか分からない。ふたつめ、毎週公開しているが、読者がほとんどいない。そしてみっつめ、日記がうまく書けない。
そもそも日記とは、何を書くものなのだろう。
いまわたしは、note上の日記とはべつに、紙の手帳にも日記をつけている。これは何度も挫折してはまた再開してきたものだけれど、元をたどれば大学生のころに夏の短期留学のときに付け始めたものだった。そのときは、初めての海外生活だったので、きっと体験することすべてが新しいだろうと思って書き始めたのだった。それからその2年後の長期留学の間にも書いていた。けれどどちらも、「体験」を重視して書いていたので、その日したことを中心に書く、いわば行動記録に近いものだった。そしてそれがいまも続いている。そういうふうに日記を書く癖がついているから、noteで連載している日記も自然と行動が中心になる。
けれども世の人々がなべて日記に行動だけを書いているかと言えばそうではないだろう。
前述の知人の日記には、もちろんその日にやったことも書いてあるけれど、それ以上に、それを通じてどう思ったか、何を考えたかのほうに重きが置かれている。そしてそれをわたしは興味深く読んでいる。
他人に読んでもらう前提で日記を書いているとして、もちろんそのひとがどういう生活を送っているのかに興味を持って読んでくれるひとも、いることにはいるだろうけれど、それよりも考えたこと、感じたことを知りたいと思うひとのほうが多いのではないだろうか。
書きたいものと実際に書けるものの間に隔たりがあるというのは、物書き共通の悩みかもしれないけれど、最近のわたしはそれが一層ひどい。
ほんとうは、もっと誌的で感覚的な文章が書きたいのに、いざ筆を執ってみると、出来上がるのはかちかちに凝り固まったレポートみたいな文章ばかり。思うにわたしは自己認識とは裏腹に、それほど感覚派の人間ではないのだろう。
感覚、感情、そういうものがうまく言葉にできないのだ。でもそれは、文章に限った話ではないかもしれない。「自分はどう思うか」が頭の中でうまく言葉にならないので、それを口にすることも困難なのだ。
もしかしたらわたしがうまく書けないと感じているのは、日記だけではなく文章全般かもしれない。
それでも足掻きつづけるしかないのであれば、とにかく書くこと、そして読むこと。結局はそこに帰ってくる。
日記はこちらから。
書くことについて考え中。
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