高校で『日本史』を勉強することの意味を書いてみる。 ~ 優れた「軍師」は理由を3つ考える ~
1.はじめに
私は高校までの勉強で日本史が得意科目でした。大学で特にこの仕事に就きたいというものが見つからなければ、日本史の教師になろうかなと思っていたくらいでした。大学入試センターとかマーク式試験なら満点がほとんどで、東大模試とか記述式試験でも日本史だけは偏差値が60を超えていました。
何か特別な勉強をしていたわけではありません。学校の授業を真面目に受けて、試験前に教科書を一回だけ音読し、あとは一問一答を解いていただけです。
日本史は暗記科目ではありません。私も年号は語呂合わせで10個程度しか憶えていませんでした。
日本史は「流れ(因果)」を理解する科目とよく言われます。確かに、歴史上の事件は何が『原因』だったかを意識して、私も勉強していました。
しかし、単に「流れ(因果)」を勉強するだけではないと私は考えています。
以下、日本史を学ぶ上でポイントだと私が考えることを説明し、日本史を学ぶことでどんな能力が向上するかについても私見を書こうと思います。
あくまで個人的な見解ですが、興味がありましたら読んでいただけると嬉しいです。
2.日本史を学ぶ上でのポイント
結論から言えば、『疑問を持つこと』です。
具体的に言うと「なぜこの人物や事件は教科書で黒字なのか」です。
『疑問を持つこと』は良くないという意見を言う人もいると思います。これは『疑問を持つこと』を『否定』と捉えているからです。
中学生が「何でこの人の名前を憶えなきゃいけないのか」と言ったら、普通は「テストに出るから文句を言わずにしっかり憶えなさい」と返されると思います。たとえ興味から出た質問でも、教師からは反抗的な態度と思われるだけです。基本をしっかり身に付ける義務教育の段階なら、この返しでも良いと思います。
これに対して、東大生が「何でこの人の名前を憶えなきゃいけないのか」と言ったら、どうでしょうか。
偉人と一般的に思われている歴史上の人物に対して疑問があり、ひいては教科書で黒字にするのに値しないと主張しているような印象を持ちませんか。
単なる『否定』ではなく、『深い理解』を試してきているように思えるのが、中学生との違いです。
要するに、『疑問を持つこと』は『深い理解』の出発点になるものです。
『疑問』は決して『否定』に結びつくものではありません。むしろ高校教科書レベルの内容であれば、『深い理解』に基づく『肯定』に結びつくものです。
そもそも『疑問』は他人に投げかける必要はありません。私は『否定』や『反対』に受け取られるだけだと思っていたので、高校生の頃に教師への質問をしたことはありません(そもそも教師は教科書レベルの知識を正確に分かりやすく生徒に教えるのが仕事です)。
大学生になった後は、自分なりに勉強して行き詰まった時に、教授に質問をしていました(教授は専門分野における知識に限界がなく、優れた教授ほど要点を捉えてヒントを教えるのが上手いです)。
社会人になった後は、自分なりに考えて「こういうことかな」と思った段階で、上司に質問をしています(仕事上の疑問は組織で共有するのが大事です)。
教科書を読む中で『疑問』を持ち続けて臨むことが日本史を学ぶ上でのポイントだと思います。
3.優れたコンサルタントは理由を3つ考える
大学の先輩がアクセンチュアとかに就職するまで、私は「コンサルタント」という仕事の存在を知りませんでした。そういった「外資系コンサル」で働いている先輩から学生時代に教えてもらったのが、『ある物事を提案するに当たって、その理由を3つ用意する』というテクニックです。
その先輩が言うには、「人間の脳は1度に3つを超えると途端に処理能力が落ちて理解が難しくなる」「理由が1つや2つだと弱く感じるので、3つがベストだ」というものでした。
「これを提案する理由は3つあります。1つ目は…、2つ目は…、3つ目は…」という感じで、何でも常に3つ考えるクセを付けるようにしているとのことでした。
理由付けを少なくとも3つ考えようとするのは良いことだと思います。
では、どういった理由を3つ用意すべきでしょうか?
ここで、日本史の勉強が生きると私は考えます。
日本史は「流れ(因果)」を理解する科目とよく言われます。つまり、「なぜこの歴史上の事件が起こったのか」という『原因』を理解するということです。
ある事件が別の事件の『原因』となっていることがあり、これが「流れ」をもたらします。『結果』と『原因』が数珠繋ぎのようになっているイメージです。
それほど難しい話ではありません。
教科書で黒字になっている出来事の前後の文章には、必ず「~から」「~ので」と書いてあります。単に黒字の『結果』だけでなく、前後にある『原因』も意識しようということです。
もう一歩進めると、『原因』には二種類あることが分かります。『外的原因』と『内的原因』です。
『外的原因』は、外国の圧力や、農民一揆のような強いクレームが典型例です。予算が余っていることや飢饉による物価高なども『外的原因』です。
『内的原因』は、元々の制度やルールが持っている欠陥や不備が典型例です。古今東西、世の中には完璧な制度やルールはありません。
この『内的原因』と『外的原因』は、それぞれ理由になります。変化を提案する物事には必ず『内的原因』と『外的原因』が存在するからです。
一方で、「なぜこの歴史上の事件が起こったのか」という『疑問』に対して、『原因』以外にも答えがあります。それは『目的』です。
日本語はとてもよく出来た言語で、「なぜ」「どうして」「なんで」という問いに対して、「から」や「ので」という『原因』だけでなく、「ため」という『目的』で答えることもできます。
日本史は『疑問』を持って教科書の黒字箇所を読むのがポイントと書きましたが、『原因』だけでなく『目的』も探しながら読まないと、『疑問』に完全に答えることはできません。
もうお分かりだと思いますが、現状を変えるために物事を提案する際の3つの理由は、
①目的
②内的原因
③外的原因
です。
これらを考える力は、「コンサルタント」にならなくても、『疑問』を教科書で解消しながら日本史を勉強することで身に付くと思います。
逆に言うと、日本史の教科書で出てくる人物や事件や政策等について、『目的』や『原因』を意識して勉強することで、理由を3つ考えるという『思考力』が向上すると考えます。
「なぜこの人物は日本史上に残る偉人なのか」ということを、教科書レベルで『目的』『内的原因』『外的原因』で区別しながら押さえていけば、自ずと『思考力』は向上すると思います。
4.温故知新(故きを温ねて新しきを知る)
さて、理由を3つ考えるのは「外資系コンサル」的な思考と書きましたが、これは欧米独自の思考方式ではないと私は考えます。
古代の中国や日本においても、「軍師」などの優れた『ブレーン』は理由を3つ考えていたと思います。
いわゆる「天の時」「地の利」「人の和」です。
主君に提案するに当たって、この3つが備わっていると理由を説明していたと思います。
「天の時」とは『外的原因』です。例えば「農民一揆か起こっている」「今年は豊作で兵糧の心配がない」といったことです。
「地の利」とは『内的原因』です。例えば「赴任した領主が私腹を肥やしている」「新たに募集した兵の訓練が行き届いて士気も高い」といったことです。
「人の和」とは『目的』です。例えば「主君の人徳がより高まる」「領土が広がれば国がより豊かになる」といったことです。
これら3つの理由をあげて、「領主を罷免しよう」「隣国を攻めよう」といった提案を「軍師」と呼ばれるような『ブレーン』は行っていました。
整理すると、
「天の時」=『外的原因』 = 現在を取り巻く状況
「地の利」=『内的原因』= 過去からの経緯
「人の和」=『目的』 = より良い未来の姿
です。
では、この中でどれが一番大事だと思いますか?
古代の中国・日本ともに「人の和」を一番大事に捉えていると、私は考えています。
「諸葛孔明」は、主君である「劉備」が「人の和」を備えていると説きます。つまり、「天の時」は時勢に乗った「曹操」にあり、「地の利」は三代で磐石にした「孫権」にあるが、「人の和」は漢の再興を掲げる「劉備」にあると説きます。「曹操」は「現在」だけのこと、「孫権」は「過去」があってのこと、「劉備」には「未来」があることを説くものです。
この「諸葛孔明」の説明には、「人の和」こそが一番大事であることが前提にあると考えます。
「聖徳太子」は17条憲法で「和をもって尊しとなす」と説きます。これは争わずに仲良くしなさいという意味ではありません。一番大切なのは国の未来だという意味です。そのため、政策についてよく議論することや、国を護るために仏教を用いること等を説いています。日本という国を経営するに当たって何が大切かを行政官に対して示したルールが17条憲法です。その一番最初に「人の和」を説いています。
以上のとおり、「人の和」(『目的』=より良い未来)が理由として一番大事だと私は考えます。
日本史には、時代ごとに様々な政策や制度が出てきます。そういった歴史に残る政策を主君に提案した『ブレーン』が必ず存在していました。
日本史の教科書を『目的』と『原因』の視点から読むことで、当時の『ブレーン』が主君に説明した理由付けを読み取ってみてください。こういった訓練を積んでいけば『思考力』が向上すると私は思います。
5.おわりに
以上のとおり、高校で日本史を勉強する意味として、
『目的』『内的原因』『外的原因』を意識した学習による『思考力』の向上を書いてみました。
こんなことを書いているのは、私しかいないのではないかと思います。高校日本史を得点源にしていた者による個人的な見解です。日本史の教科書レベルの勉強で『思考力(考える力)』を十分に養うことができるというのが、私の見解です。
私が日本史全体を通して勉強するに当たって特に意識していたことは、『なぜ時の権力者(例えば将軍「源頼朝」)は天皇家を滅ぼさなかったのか』です。
この『疑問』は『深い理解』による『肯定』に結びつくものだと私は考えます。皇室を戴き続けてきた日本という国のあり方はとてもユニークだと思います。
この『疑問』に答えられない人からは、不敬(リスペクトに欠ける)とか言われたくないです。
最後に『なぜこんなことをnoteに書こうと思いついたのか』を書いて、終わりにしようと思います。
私は高校の頃、理系科目の成績は散々でした。
数学は、当日に計算式を思い付けるだろうと楽観的に考え、試験前にあまり勉強していませんでした。
化学は意味不明で、授業についていけませんでした。
理系科目は大学受験前に気合いを入れて、一から勉強し直しました。
その中で、日本史だけはずっと学年でトップクラス(全国模試でもトップクラス)でした。
そういうこともあってか、ある日の放課後、「試験前にどういうふうに日本史の勉強してるの?」と聞かれたことがありました。聞いてきた女の子は日本史への関心が高く、休み時間に教師へ質問にも行っているのに、日本史の成績はあまり高くない子でした。
その子に対して、私は「教科書を必ず一回は音読している」と答えました。
私の答えを聞いて、その子は「やっぱり才能か」と言って、どこか残念そうだったのを憶えています。
高校の頃は感覚的なもので上手く説明できませんでしたが、今の私なら文章化して説明できると思ったのでnoteに書いてみました。
今の私なら「教科書に疑問を持ちながら一回音読している」とその子に答えます。
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。この文章が読んでいただいた方のお役に立てれば幸いです。
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