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なぜわいせつポスターを選挙掲示板に貼ってはいけないのか。《表現規制論考》

東京都知事選挙が告示されました。最多の56名が立候補したそうです。
どんな感じかなと思ったので、X(旧Twitter)をパブサしていたら、わいせつポスターが貼られていることが話題になっていました。
これはアウトだけど選挙管理委員会は手出しできないなと思い、noteでつぶやきました。

戦前に行われていた内務省による選挙干渉を教訓として、公職選挙法には自由妨害罪が定められています。
また、個別訪問禁止など選挙活動の「方法」は厳しいルールがありますが、ポスター記載など選挙活動の「内容」は緩いルールになっています。
選挙ポスターの「内容」を事前にチェックし選挙管理委員会が『選挙にふさわしくない』と規制すれば「検閲」に当たるため、憲法21条2項(検閲禁止規定)に違反します。選管は手を出せません。

最高裁判決を書いたWikipediaも貼っておきます。部落解放同盟が市役所に不当圧力をかけたことで起こった事件なので、同和団体に忖度するTVマスコミがこの最高裁判決を紹介することはないと思います。
最高裁判決のとおり、選管には選挙ポスターの「内容」を審査する権限はありません。そんな権限を認めると、容易に選挙干渉できるので、選挙の自由公正が失われます。

ただし、「表現の自由」は絶対的な権利ではありません。「公共の福祉」による制約を受ける「憲法上の権利」にとどまるため、他の権利や公益を侵害することはできません。

今回のケースは、警察が「迷惑防止条例」(住民生活の平穏という公益を守る法)を根拠に警告し、立候補者も警告の意味が分かる程度の知能を備えている人だったため、自分で剥がすことになりそうで良かったです。

ただ、パブサしていて気になったのが、わいせつポスターがダメな理由を「子供に有害だから」とする人を多く見かけました。
確かに、選挙ポスターの掲示板は人通りの多い場所に設置するため、人目につきやすいです。子供も見ると思います。
しかし、「子供に有害だから」という理由で特定の表現を法規制することに対して、私は反対です。

子供への有害性を理由に激しい表現規制運動が行われた時代があります。ターゲットにされたのは、マンガやアニメです。
マンガ家の先生や出版社が『表現の自由を守れ!』と大きな声をあげたことによって法規制されず、現在の「豊かな文化」を享受することができています。

マンガ・アニメ・ゲームは、国による法規制ではなく、業界団体の自主規制に委ねられてきました。
悪びれずにいるままだとヘイトを集めてしまい、評判が落ちて誰も買ってくれず、物流でも取り扱いされなくなるため、業界団体としても自主規制するメリットがあります。

子供への有害性を理由に表現規制しようとするのは、子供自身ではなく、親や老人の集団です。自分のエゴを子供に押しつける大人が社会にはいます。「現実」と「創作」の区別ができない「ゲーム脳」な親の家庭で育てられるほうが有害だと思います。

何が子供にとって有害な表現か決めるのは難しいです。飲酒や喫煙のように、健康被害を科学的に証明できるものでもありません。
そのため、「子供に有害だから」という理由で表現規制が認められると、無限に表現規制ができてしまいます。

社会には自分に有害な表現もあるからこそ、子供にとって大事なのは、選択肢が多く用意される環境を作って、どれを選ぶか・どれを選ばないかを自分自身で決める力を身につけることだと、私は考えます。

以上から、『子供に有害だから、わいせつポスターを選挙掲示板に貼ってはいけない』とする論調には、私は賛同しません。

今回のケースは『公序良俗に反するから、わいせつポスターを選挙掲示板に貼ってはいけない』と考えます。
こういったR18相当の表現物は「18禁コーナー」に置くという「公序良俗」が、日本社会では長年かけて形成されています。選挙掲示板は「18禁コーナー」ではありません。

わいせつポスターでも性器を隠していれば、刑法上のわいせつ物頒布罪に当たりません。
また、店舗内の18歳未満立入禁止エリアに設けられた「18禁コーナー」や、雑誌の袋とじにする形での販売であれば、住民生活の平穏も侵害されません。
わいせつ表現物でも、業界団体でR規制して一定の条件下で販売や配布が認められている日本は良い国だと、私は思います。
自由な社会というのは、「無法地帯」で自己責任を押しつけあう社会ではなく、「公序良俗」がバランスよく形成された社会だと、私は考えています。

都知事選で多くの立候補者が出て、多様なポスターが貼られること自体は、東京を「豊かな首都」にしていくと思うので、良いことだと私は考えます。投票先の選択肢が少なすぎることのほうが不幸だと思います。
そのうえで大事なのは、誰を選ぶか・誰を選ばないかを有権者がきちんと決められることだと思います。
民主主義の国では、国民のレベルが政治のレベルになるからです。都民のレベルが都政のレベルになります。


拙い文章になりましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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