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フィン・ユールはメインストリームから抜け出し、彫刻的で有機的な独自のフォルムを追い求めた

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Easy Chair NV-45,Finn Juhl,1945

いまでは日本でも北欧の暮らしとデザインに興味をもつ人が多くなり、ひとつの「北欧」というブランドを確立している。

バブル期を最盛期にアメリカから押し寄せた「あらゆるものは、お金で手に入ると」いう考え、大量生産という物質的豊さの経験が「中味のない空っぽなもの」であり、精神的な質の高さ、豊かさとはほど遠いものだと気が付いたのでしょう。

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特にデンマークには名作と呼ばれる椅子が多く存在する。
デンマークは資源が豊富な国ではないので、限られた身近な材料を使い、自らの手でモノを作り上げるという伝統的な手仕事を大切にしてきた。
自然と共に暮らし、木への愛着から、新たな加工やフィニッシュの方法を生み出し続けている。

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それだけではない“モノづくりを得意とするマイスター”と“国民に理想的な生活を提供しようと挑戦し続ける建築家”が上下関係なく対等に付き合い、ぶつかり合い、お互いに刺激を与え合いながら真剣勝負を繰り広げてきた。

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ハンス・J・ウェグナー(Hans J.Wegner)とヨハネス・ハンセン社(Johannes Hansen)ニスル・トムセンまたはPP Møbler創業者アイナー・ピーターセン(Ejnar Pedersen)。
ボーエ・モーエンセン(Børge Mogensen)とフレデリシア社(Fredericia Furniture)の先代アンドレアス・グラヴァーセン(Andreas Graversen)。
そしてフィン・ユール(Finn Juhl)とニールス・ヴォッダー(Niels Vodder)。

実は、フィン・ユールを最初に評価したのは、自国デンマークではなくアメリカだった。

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当時デンマークでは、王立芸術アカデミーのコーレ・クリント(Kaare Klint)が機能主義を重視していた。その教えをオーレ・ヴァンシア、ボーエ・モーエンセンまたはハンス・J・ウェグナーが受け継ぐ流れが主流であった。
美術に造詣が深く、椅子に“美しさ”を追求したフィン・ユールの作り出す椅子は、当時のデンマークでは酷評された。

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これが「ラケットにひっかかった4つのオムレツ」と酷評された彫刻のように美しいチーフティンチェア(Chieftain Chair)

しかし大量生産品に慣らされたアメリカでは、手作りで生み出されるモダンなデザイン家具を高く評価し始めていた。

スカンジナビアデザインを扱うショールームや巡回展でもフィン・ユールは人気の的であった。

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1950年代のアメリカ合衆国

アメリカでの評価を受けて、逆輸入でデンマークでも名声を得ることとなったフィン・ユールの椅子。その魅力は、彫刻作品のような造形美と強度よりも美しさとユニークさを優先するところにある。そしてフィン・ユールが得意とする有機的なカーブ、後ろ姿が美しいと思わせるバランス配分。

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Easy Chair NV-45,Finn Juhl,1945

確かにコーレ・クリントが推奨する機能主義の教えからは、この遊び心は生まれなかったであろう。そして、この“遊び心”を追求し続け“美しさ”を実現するために創作を続ける過程が、まさにフィン・ユールらしさと呼ぶにふさわしく、あまりに繊細な曲線と構造は、マイスターからも敬遠されるほどであった。

彼らモダンアートの影響もあっただろうか。

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その飽くなき挑戦が、ヴィルヘルム・ラオリッツェン建築事務所から独立後、最初にニールス・ヴォッダーとフィン・ユールのコラボ作品として発表された1945年に発表されたEasy Chair NV-45から始まる。このEasy Chair NV-45は、いまでも「世界でもっとも美しいアームをもつ椅子」と評価され続けている。

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Easy Chair NV-45,Finn Juhl,1945


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