見出し画像

「時間」という概念

こんばんは、プリンセスです🙌

UKは今、20時。
まだまだ明るくて洗濯物もまだ外に吊るしてある。

すごいな~。
あの、暗くて憂鬱な冬はほんま何やってん、、

「時間がない」は世の常だから言い訳じゃないのかも!?

友だちと、特に日本にいる友だちと話していると、決まり文句のように
時間がないんだよね」という言葉を聞く。

私は、その人たちから、
大学院入試について
留学準備について
英語・仏語勉強について
院での勉強について
転職活動について

などなどを聞かれている状態で、アドバイスや私の意見を求められたので、自分が今までやってきたこと・今やってることを言っただけなのに、
時間あっていいよね、私はなかなかそんな時間がないのよ」と言われてしまう。

これを言われると結構きつい。
もちろん今は学生の身分で勉学や自分のやりたいことに集中できるので、日本で、世界的に見ても残業やら休日出勤やらが多い国で、働きながら、それ以外の時間を自己研鑽のためにキャリアアップのために充てるのって難しい、なんだかアホらしく感じるのもわかる。
だって自分もそうだったから。
気分転換したいやろし、友だちと飲みに行きたいやろうし(コロナ的にはアウトか)、旅行(これもアウトか)、といった、もっと楽しいことをしたくなると思う。
だって私もそうだったし。

でも、私がそれを言われてきついと感じるのは、それを言われた瞬間、もう私にできることはないとなんだか悲しくなるから。そして少し怒りも感じてしまう。笑

相手がいろいろ聞いてきたから、こちらもその分しっかり答えなあかん!という思いで、少しでもその人のヘルプになればいいと思って、話したけれど、「時間がない」問題は私にはどうしようもできないから。

そして挙句の果てに、「あなたは時間があるから良いよね」とまで言われてしまうこともある。

今の私の状態はそう見えるかもしれないが、
でも、人間って時間が無限にある状態で、どれだけの人がその時間を有効に使って、どれくらいの人が自分のやりたいことを全て達成しうるのだろう?


これは私の経験に過ぎないが、中学生のころ、定期テストの一週間前になると、テスト勉強期間のため部活が休みになるのが普通だった。
あるとき、テスト終了直後の週末が大会だったため、そのいつもだと休みになる期間も毎日部活があった。こういうときが2-3回あって、私はそのときのテスト結果の方が、一週間休みをもらったときのテストより良かった。


少し遡って、小学生のとき。母親は教育熱心なタイプで、よく宿題にも付き合ってくれたのが、それだけならありがたいものの、かの「百ます計算」ドリルを自分で作成して、私に毎朝一回やることを義務付けた。「毎日」ではない「毎朝」である。要するに、朝ご飯を食べ、行ってきまーすと家を出るまでに解けというのである。ほんとに嫌だった。いつも隠れて学校に向かおうとするのだが何故か見つかり、捕まり、百ます計算をやらされていた。でも、ご存知のはず、百ます計算なんぞ割り算以外であれば至って簡単である。1分強(なんなら1分未満)あれば終わるものである。今日はどうやって家から抜け出そうか、とトイレにこもって無い頭で必死で考えてる時間の方がたぶん長かったにちがいない。母親には「逃げないといけないほどのタスクじゃない。朝飯前や!って思えるまで続けるで」とも言われた。結局、その百ます計算は登校前にやらないとなんだか気持ち悪い、居心地が悪い、と感じるレベルまでになり、一つの習慣になった。計算もはやくなった。

時間ってつくるものだから

そうなのだ、時間はつくるもの。時間は「ある」のだが、それが自分にフィットするように確保する努力が必要なときもある。
暇な時間がたくさんあることと、「時間がある」ことはイコールではない。改めてそう思う。意識しないと一分一秒はあっという間に過ぎていき、もうすでにそれらは過去になっている。

すごく共感できる。
その留学準備や語学学習は自分にとって必要であるとわかっていても、やらなかったからといって死ぬわけではない。現在における自分の死活問題でない限り、それにエネルギーを注ぐのは本当に難しい。
ということは、やっぱり、それはたぶん時間の問題じゃないし--時間があれば解決する問題ではないし--、時間の問題だと思うなら、自分の今のキャパと優先順位と自分が確保できる時間はどれくらいなのかも考えるべきだと思う。そして集中できれば、たぶん短時間でも十分な成果が得られるだろうし。

とはいえ、そんなキチキチした生活もしんどいので、自分が安らげる時間も大切。自分のペースで自分の夢に向かって一歩ずつ。

Bonne soirée☆

記事を読んでいただきありがとうございます✨いただいたサポートは今後の語学学習と図書の購入に使用させていただきます。