見出し画像

11/8(木)京都市の横暴な自転車撤去・10の問題点

京都・自転車と聞いてあなたは何を思い浮かべるだろうか。
レンタサイクルでの観光?鴨川沿いをサイクリング?
京都に住んでいる人、住んだことがある人は別なことを思い浮かべるかもしれない。それが京都市による横暴な自転車撤去についてだ。
京都市は、全国でも屈指の自転車撤去政策を展開していることで知られる。その撤去活動は、土日祝日はもちろん、夜間も例外ではない。
今回は、僕も去年まで住んでいた京都市で行われている自転車撤去、そして京都市の自転車政策の問題点について指摘したい。

問題点1 知らない間に撤去される

まず驚くことだが、この自転車撤去作業を担当する事業者には、撤去前の放送の実施が義務付けられていないため、自転車利用者は「知らない間に」自分の自転車を撤去されてしまうのだ。
僕は百万遍交差点で撤去に伴う放送がされているのを聞いたことがあるが、店の中にいたら聞こえないし、そもそも自転車を停めている人はだいたい店に入るために停めているので、効果はほぼないと言ってもいいくらいだ。

問題点2 一発アウトで撤去される

この自転車撤去作業を担当する事業者には、対象自転車への警告シール(〇日以内に移動しないと撤去ですよと通知するシール)の貼付も義務付けられていない。
「初めての自転車放置」だろうが「停めて1分」だろうが、問答無用で撤去されてしまうのである。事前の警告もなく、撤去を知らされることもなく撤去されるので、自転車が撤去されたのか盗まれたのかも、問い合わせなければすぐには分からないという異常な状態なのだ。


問題点3 どこでも撤去される

京都市は、市内に「自転車等撤去強化区域」を設定、近年さらに拡大し重点的に撤去を行っているが、条例によると撤去強化区域「外」の公共の場所においても「自転車等が放置されていることにより,当該公共の場所の機能に障害が生じている」と判断されれば、その場で撤去・保管ができるとある。(京都市自転車等放置防止条例第2章5条2)
つまり、京都市(や撤去作業担当業者)の判断ひとつで、ほぼ京都市内全域(私有地を除く)の駐輪自転車を撤去できてしまうのだ。

問題点4 観光客でも撤去される

京都市の自転車撤去の被害者は市民だけではない。外国人を含む観光客にとってもこれは大きな問題なのだ。
京都市内にいくつもあるレンタサイクルショップ。混みあうバスや小回りの利かない地下鉄よりも自転車を使って観光することを選ぶ人々は多い。特に自転車文化が強い欧米からの観光客は、好んで自転車観光を楽しんでいる。
しかし、楽しい観光旅行が一瞬で悪夢に代わる。自転車撤去だ。
想像してみてほしい。土地勘もない外国の町で乗っていた自転車を突然失う不安を。外国人であればなおさら自転車が盗まれたのか、撤去されたのか分からないだろう。
いくつか京都のレンタサイクルのHPを見てみたが、やはり撤去の事例があるようで、各国語での注意書きが掲載されていた。そして、撤去された場合の「罰金」は全てレンタルした客側が支払わなければならないようだった。
京都市の自転車撤去は、市の柱ともいえる「観光」にとってもマイナス要素でしかない。

問題点5 その場で言っても返してくれない

撤去時、トラックに乗せられた自転車を取り戻そうと、その場で返還を求めるとどうなるのか。京都市の回答がこちらである。

条例等に定められた返還の手続きでは,保管所における返還請求書の記入,身分証明書の提示,自転車の鍵の符合及び撤去保管料の支払いが必要です。
仮に,撤去現場で自転車をトラックに積載した状態から返還する場合,これらの手続きを全て路上で行うこととなり,それ自体が交通の妨げになることや,動き出すトラックを無理やり制止する等の危険な行為が発生する恐れがあることから,本市では効率性,正確性及び安全性を優先し,
返還は保管所でのみ行うこととしております。
また,路上で返還する場合のみ手続きを簡略化することは,自転車の取り違えの懸念や,撤去保管料の負担の公平性の観点から,適当ではありません。

京都市情報館ホームページ「自転車撤去について」より抜粋

まさに「お役所仕事」というやつだ。
そもそも、道路にトラックを横付けする撤去作業自体が「交通の妨げ」になっているのにその点には触れず、返還の件についてはそれを持ち出すというのは詭弁だ。
自転車の取り違えの懸念についても、本人が自分の自転車を指定して鍵が開けば何の問題もないはずである。
結局、問答無用で撤去するぞという「脅し」が念頭にあるため、到底論理的とは言えない対応・回答となっている。一時的とはいえ他人の財産を差し押さえる性格をもつ事業であるにもかかわらず、市民に対して誠実な態度が一切感じられない。

問題点6 鍵を壊され持ち去られる上に自分で取りにいかなければならず、さらにお金まで取られる

条例では「当該自転車等と電柱,柵その他の工作物とをつなぐ鎖の切断その他必要な措置を講じることができる。」と明文化されており、チェーン式の鍵は破壊される上に、その損害を請求することもできない。(京都市自転車等放置防止条例第2章5条5,6)
それどころか、保管所まで交通費をかけて自分から取りに行き、2,300円の「撤去保管料」という実質的な罰金を支払わなければならない。
全体を通して言える事だが、自転車を少しの間停めていたという「罪」に対して「罰」が大きすぎるのだ。

問題点7 駐輪場が足りない上に有料

撤去事業と並行して、市は駐輪場の整備を掲げている。
たしかに僕が住んでいた間でもいくつか新しい駐輪場ができた。しかしそれらはもちろん有料で数も足りていないため、結局のところ自転車利用者の利便性を著しく損なっている。
僕は用事で三条に行くとき京都市役所前の駐輪場を利用していたが、地下駐輪場も含めて満車で停められないことがよくあった。その時は停められる駐輪場を探して御池通りを走り、結局三条河原町に用事があったのに烏丸御池で自転車を停め、そこからまた三条まで歩くハメになってしまった。
駐輪場が空いているかが分からないので、一度自転車で家を出てしまうと駐輪場が見つかるまで何もできないのだ。また、駐輪場不足により店舗やマンションの駐輪場が不正に使われるというトラブルが起きているのも、市による強引な撤去作業の弊害のひとつである。

問題点8「放置」の定義

そうは言っても、停めてから長い時間放置してるのだから仕方ないのでは?と思った方も多いだろう。
しかし京都市の「放置」の定義を見れば少し考えが変わると思う。

「自転車等を正当な権原に基づき駐車することを認められた場所以外の場所において,自転車等から離れることにより,当該自転車等を直ちに移動させることができない状態にすることをいう。」
(京都市自転車等放置防止条例第1章第2条(6))

これが京都市の「放置」の定義だ。
つまり、自転車を停めて離れた瞬間に放置と見なされるということだ。また「離れる」や「直ちに」についても詳しい説明がない以上、いくらでも恣意的運用が可能な条文になっている。
とにかく自転車を撤去したい(そしてそれにカネや手間をかけたくない)京都市は「放置」の定義に「警告してから〇日間」等の条件も設けていない。
この無茶な定義が、京都市の自転車撤去を暴走させている大きな要因となっている。

問題点9 「他人の所有物」と「公共」への感覚欠如

京都市のやり方は「他人が所有している財産」を「事前の通告や手続きなしに」「有無を言わせずに」「持ち去る」ことだ。
たとえば私有地における個人同士のトラブル例を挙げれば、このおかしさが分かるだろう。

Aさんが所有する駐輪場に、Bさんが無断で自転車を停めた。
その際Aさんに許されているのは、Bさんに自転車を移動をするように求めること。もしBさんがその場にいなければ、注意喚起の紙を貼り付けることぐらいである。もしAさんがBさんの自転車を勝手に撤去したり破壊すれば、社会秩序を維持するために禁止されている「自力救済」行為にあたり、Aさんの不法行為が成立する可能性もある。もちろん、自分の自転車が停められないという損害を被ったAさんは、その賠償をBさんに求めることができる。

僕も調べていて意外だったが、私有地に勝手に自転車を停められた場合でも、停められた側には無断で自転車を撤去する権利がないのだ。
これほどに他人の財産への干渉には高いハードルが儲けられている。
一方、京都市で起きているのは「歩道に停めて少しでもその場から離れると自転車が強制的に撤去され、罰金を支払わなければ返還されない」
という事態だ。
これでは「歩道に自転車を停めるくらいなら、他人の私有地に勝手に自転車を停めたほうがマシ」ということになってしまう。
どう控えめに見ても「やりすぎ」である。
百歩譲って発見してからの警告・撤去日の通知、それでも移動されていない場合の撤去ならまだ分かるが、現在の京都市のやり方は他人の所有物を尊重する姿勢が全く見られず、強権的としか言いようがない。
また、「公共」についても市の見識を疑いたくなってしまう。「公共の場所」とは「市が自由に運用してよい場所」ではない。
そこは京都市民全員が共有している土地である。もちろん自転車利用者の土地でもあるということだ。それにもかかわらず、市が一方的にそこに停めている市民の自転車の処遇を決めることは横暴である。
これは京大のタテカン問題とも通じている。本来みんなのものであるはずの「公共の場所」のあり方を行政が一方的に決定し、その強権をもって運用するというのはとても民主主義的手法とは呼べないものだ。

問題点10 見えないビジョン

京都市の一連の自転車政策を見ると、そのビジョンの無さが浮き彫りになることも指摘しておきたい。
現在、アムステルダム、ロンドン、ニューヨーク等の世界の先進都市では、環境と健康のために自転車の利用を推進し、そのためのインフラや様々な法令の整備が行われている。
そんな中、京都市も「京都新自転車計画」なるものを打ち立て「世界トップレベルの自転車共存都市を目指して」いるそうなのだが、実際にやっていることと言えば、公共の場所での駐輪を一律で禁じ、有料の駐輪場ばかりを作り、四条通や中心街を自転車乗り入れ禁止にするという、自転車利用者の利便性を著しく損なうことばかりだ。
また自転車向けのインフラ整備についても、車道の脇に自転車レーンを示すペイントをする「自転車走行推奨帯」の導入程度しか示されておらず、
物理的に隔てられた自転車専用レーンや自転車用信号まで備える「世界トップレベル」を目指すには程遠いビジョンしか描けていないのが現状だ。
果たして京都市は本気で「自転車共存都市」を目指すつもりがあるのだろうか。まさか庶民の足である自転車を、停めづらく、お金がかかり、行ける場所が制限される乗り物に変えてしまうことも、その「計画」のうちだというのだろうか。

以上が僕の感じた京都市自転車撤去の問題点だ。
個人的な経験の話をもう少しすると、僕は京都で自転車を撤去されたことが無いのだけれど、危なかったことが一度ある。
百万遍のダイコクドラッグで買い物をしていると「現在京都市による自転車撤去が始まり・・・」と、自転車の移動を促す放送が始まったのだ。
僕は慌てて持っていた商品を棚に戻して店の外に飛び出し、歩道に停めていた自転車を移動させてなんとか難を逃れた。当時は店舗北側の歩道は駐輪可で、北東側の角は撤去対象というよくわからない基準だったと思う。
それ以来、京都市の自転車政策に疑問を持っていたのだった。
通勤で烏丸丸太町から四条烏丸まで走っていた時は、自転車レーン(車道脇のペイント)を走っていて事故に遭いそうになったこともある。
自転車レーンは路上駐車の車でほとんど埋まっていて用をなさず、停まっている車の右側を走っていると、客を見つけたタクシーが右からどんどん幅寄せしてきて挟まれそうになったのだ。
偶然通りかかったもう1台の自転車が、タクシーの右側から蹴りを入れてくれたおかげでタクシーは減速し無事だったが、自転車レーンの無意味さを感じて空しくなったのを今も覚えている。

そんな京都での自転車の思い出が呼び起こされたのは、Twitterで再び自転車撤去に関するツイートを見かけたからだった。
あらためて思い出しても京都市の撤去のやり方はおかしいし、そんなやり方が今も続いていることを知り残念に思う。
もちろん歩道をふさいでしまうような駐輪や長期間にわたる駐輪には何かしらの対処が必要だが、決してこのやり方ではない。
市は、京都市民のため、そして京都が好きで訪れてくれる観光客のためにも、自転車利用者の側に立った政策を進めるよう求めたい。

こんな生活なのでサポートして頂けると少額でもとても大きな助けになります。もしこのノートを気に入っていただけたら、ぜひよろしくお願いします。羊肉