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長い自己紹介。あるいは編集者ではない僕が、今「編集」にワクワクする理由

私が1番苦手なことは「私自身のことを理解すること」だ。

世の中で目立つ人たちは、自分自身のことをよく分かっている人だ。だからどう動くべきか熟知している。

一方、私はいまだに私のことがよく分からない。

いつも興味があっちこっちにいくし、熱しやすく冷めやすい。つい頭で考えて行動しすぎてしまい、無理をしてしまっているような気がする。一貫性が自分の中にあるように思えない。

一貫性のなさは、仕事にも表れている。最初のキャリアはヤフー株式会社でサービス企画(新規事業を作り、運営する仕事)をした後、面白法人カヤックで広告制作のディレクターとサービスプロデューサーを兼務し、現在はRettyで広告制作のディレクターをやっている(が、その前に新卒採用をやったり、メディアを立ち上げたり、広報をやっていたりしたこともあった)。

一貫性が、まるで、ない。

そんな自分だからこそ、あえてnoteで自分が考えていることを記録することには意味があると思う。

今のこの時点でどういうことを考えているのか、それはなぜなのか。そういったことを書き記すことで、後からその考えの何が合っていて、何が間違っていたのかが検証できるし、自分の中の一貫性に気づくきっかけになる気がするからだ。

そんな私は最近、編集者でもないのにやたらと「編集」にワクワクしている。

これがなぜなのか、自分なりに考えがまとまったので、書き記しておきたいと思う。

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昔から私は「起業家」に強い憧れを抱いていた。世の中にとんでもないインパクトを与えるプロダクトを作る思考力や実行力に、尊敬の念を抱いていた。

ただ、私は起業をする勇気がなかった。起業が目的になるのは、なんだか違う気がしていた。そのため、企業内にいつつ起業家のような振る舞いができる、「プロダクトマネージャー」(プロダクトの方向性を決める仕事)になりたいと思っていた。

しかし、蓋を開けてみると、私が今までやってきた仕事はバラバラだ。そして思っていたものと違うことにワクワクしてきたことに気づいた。

私のキャリアは上述のとおりだが、最も歴が長い職能は「ディレクター」だ。広告のディレクターが最も長く、Webサービスやアプリの開発ディレクション、イベントのディレクションもやったことがある。これはプロダクトマネージャーの職能の一部ではあるが、プロダクトの方向性を決めるというより、既に決められた方向性を実現する仕事に近い。

一応「プロダクトマネージャー」の仕事をしていたこともある。しかし、その時私はまったく楽しくなかった。

楽しかった仕事を思い返すと「広告制作」「広報」「新卒採用」「新規メディアの事業開発」のいずれかであった。なぜこの4つにワクワクしたのか、自分の中でずっと言語化できずいにいた。

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「新規メディアの事業開発」のとき、作っていたのが読み物メディアだったこともあり、編集についてさらっとではあるが学んでいた。

そのおかげもあり、自分のSNS上のタイムラインでは編集者の方をよく目にしていたのだが、昨年の10月頃からTwitterを本格的に運用し始めてから、編集者の方の言動が自分に刺さることが多くなってきた。

具体名を挙げれば…

・見城徹さん
・宮脇淳さん
・佐渡島庸平さん
・箕輪厚介さん
・ヨッピーさん
・徳谷柿次郎さん
・鳥井一弘さん
・塩谷舞さん
etc...

深く刺さると同時に、彼ら・彼女らの言動にワクワクし、また羨ましくなっている自分もいた。特にヨッピーさんのこの記事。

これを読んで「あぁ、羨ましい!」という気持ちが絶頂になったのだ。

そして「あぁ、僕は自分が『良い』と思ったものを広める、そういう仕事がしたいのだな」と、この時は理解していた。

しかし、どうやらそれだけだと、自分がワクワクすることの定義として不十分なようだとある時気づいた。


じゃあ広める手段がテレビ広告でもワクワクできるだろうか?

SEOだとしてもワクワクしている自分はいるだろうか?


この2つの問いに、力強く「YES!」と答えられなかった。

そして色々考えた結果、「自分が『良い』と思ったものを『編集』の力で広める仕事がしたいのだ」と理解できた。

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ココでいう「編集」をいったん定義してみたいと思う。

編集の定義は、様々な本に様々な定義が書いてある。

なぜそのようなことが起きるかを個人的に考えた見たのだが、おそらく編集の「手段」と「目的」が混在して定義されているために、様々な定義が生まれていると考えた。

なので、私はこの編集の「手段」と「目的」という2つの観点で、編集を定義する。

編集の「手段」の定義
既存のモノ・コトを新しい視点で捉え、適切なメディア・コンテンツにて流通させること
編集の「目的」の定義
新しい「市場」を生むこと

「編集」という曖昧な言葉を、「メディア」「コンテンツ」「市場」等の曖昧な言葉で定義してしまっているが、これも定義すると無限に定義が続きそうなので、特に抽象度の高い「市場」のみ、より詳細に定義する。

市場
ヒト・モノ・コト・カネ・カチの流れ

よく「ヒト・モノ・カネ」の流れで市場やビジネスを考えることが多いが、これからの時代は「価値主義」とも言われており、その3つでは不十分だと私は考える。

経済学の定義とは全く異なるが、このほうが個人的には理解しやすいことや、今の世の中のトレンドにも合致しているので、この定義で話をすすめる。

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なぜテレビCMやSEOで広めることにワクワクしなかったのか。

それは「既存のモノ・コトを新しい視点で捉える」という作業が発生しづらいと感じるからだ。
※決してテレビCM・SEOにこの要素が全くないわけではない。ただ作業の「含有率」として低い、ということだ。


テレビCMはたいてい、商品の価値をそのまま伝える。

SEOは、検索者の意図に沿った情報を提供すれば良い。


一方、さきほどワクワクした編集者の方の言動は、常に新しい視点に溢れている。

だからワクワクしたのだ。


「広告制作」「広報」「新卒採用」「新規メディアの事業開発」になぜワクワクしたのか?

広告制作は、クライアントが気づいていない事実によって、クライアントの商品に新しい視点を加えられるから。
広報も、自社の情報に新しい視点を加えることで、世の中にインパクトの有る情報にすることができるから。
新卒採用も、自社の働きやすさやキャリアについて、眼の前にいる新卒候補の子にとって有益な視点を提供することで、自社を魅力的に魅せることができるから。
新規メディアの事業開発は、まさに編集そのものを扱っていたから。

だからワクワクしたのだ。

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私が今までワクワクしてきたコンテンツも、先程の定義が含まれていると後から気づいた。

例えばガイアの夜明け。
特に老舗の産業が新しい活路を見出した話なんかはワクワクする。

例えばシリコンバレー生まれのユニコーン企業の創業物語。
人間は変わったわけではないのに、狂ったようにそのサービスにハマる人が新しく生まれていく。

例えば、元ジャンプ編集長の鳥嶋さんの話し。
鳥山明という存在をマンガ家、そして稀代のキャラクタークリエイターに昇華させ、ドラゴンボールだけでなくドラゴンクエストまでもヒットさせた、稀代のクリエイターだ。

老舗の産業、生活者、鳥山明は何も変わっていない。ただ新しい視点を加え、適切なメディアやコンテンツで流通させただけだ。だがそれによって莫大なインパクトを与えている。

そこで「そのものは何も変えていない」というスマートさがセクシーだからワクワクするのだなと。「まずはテレビでガンガン流して、生活者を洗脳させます」みたいな無茶がない。とても本質的であり、自然に近づく。

私は結局、自然体でいれることを目指したいのだ。

より自然に近づく形で、大きな市場を生み出す。それが編集の成せる技なのだなと。

これって、とても素敵なことじゃありませんか?

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この気づきを得るにあたってのきっかけは数多くあるのだが、特に大きかったのはこのnote(というかイベント)だ。

ここで語られているDINING OUTというイベントは、たった2日間しか開催しないプレミアムな野外レストランだ。

なんと金額は15万円前後で、たいてい地方で開催するのだが、そこまでの交通費は自腹だ。

そんな悪条件であるにも関わらず毎回完売し、熱狂を生み出しているイベントなのだ。

先程のNewsPicksの講演に参加し、DINING OUTを要素分解している時に「ああ、DINING OUTは『地方を編集している』んだ!」と気づいた時に、他にワクワクしてきたことが1本の線でつながった。

ちなみにあとから気づいたのだが、このDINING OUTの説明文にもこのようにある。

食を通じて地域に残された美しい自然や伝統文化、歴史、地産物などを再編集し新たな価値として顕在化させ、五感すべてでその土地の豊かさを味わうプレミアムな野外レストラン「DINING OUT(ダイニングアウト)」
参照:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000009.000020902.html

DINING OUTも立派な「編集」だ。

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今後、私は広義的な意味での「編集者」をやっていくことになるだろう。それにあたっての課題は「解像度の高いインプット」だ。

自分はつい新しい発想や切り口を先に思いついてしまう。小手先のアイデアで満足してしまう。しかし、今はもっと正しい問いであったり、正しい課題を捉えることをやらなければいけない。

このため、最近はビジネス書以外の教養の本も読むようになった。教養的な視点を獲得したり、より社会的な課題を意識したり、より多様な「抽象化」の元ネタを知っておくためだ。そういうことが、新しい視点を紡ぐ上で重要になるはずで。

今、情報過多の時代だ。しかし、それは薄い情報が多いだけのようにも思う。もっと自分を濃くしていく努力を弛まずしていき、編集力を高め、世の中にインパクトを与えるスキルを身につける。そして、自分が本当に良いと思ったのもを広めるお手伝いを、編集の力で実践していく。

そういう人に、私はなりたい。


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