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【ネタバレ注意】映画のタキオンの演出について考えていたら、1年越しにあのサポカイラストの意味も分かった。

はじめに

このnoteは映画「ウマ娘プリティーダービー 新時代の扉」の重大なネタバレを含みます。予めご了承ください。
また、記憶を頼りに書いているので曖昧な部分や間違っている部分などがある可能性があります。あと普通に考察という名の妄想を垂れ流すことになりますが、テンション上がったモルモットの戯言と思って読んでください。

全体の感想

まずは「新時代の扉」について、全体の感想を軽く語りたいと思います。

まぁ控えめにいって5000那由多点でした。控えめに言わない場合は巨大数の表記が必要になります。間違いなく映画史に残る傑作中の傑作でしょう。

まずストーリーなんですけど……ポッケ主役って聞いてたけどタキオン主人公か!?ってくらい物語におけるタキオンの重要度が高くて、モルモットである私は死んだ。
最後にタキオンが再起してくれて……報われて本当によかった……。 
ところで新衣装タキオン出てこなかったけど、じゃああれ何??

あとフジ先輩ね!?
思ったより重要な役どころだったというか、確かにフジ先輩もタキオンも4戦4勝で故障して、夢を見せるだけ見せて終わってしまったというすごい共通点があったことに映画を見て今更気づいた。

逆に思ったより出番というか見せ所が少なかったのがカフェ。ポッケ視点の物語なので「いつの間にか終わっていた」って印象になっていた。
その代わり、ある種の基準としてカフェの「お友達」がストーリーにしっかり関わっていた。
皐月賞で、自分だけが見えて、自分だけが追いかけていた存在に、見えてもいない奴が追いつきそうになった時の絶望の表情は本当に秀逸だった。
てか、アプリだとただの黒い影だったものが、映画になって黒い影の中にゴロゴロと雷が鳴っていて、ただの幽霊じゃない、物凄く特別な存在だということが表されていた。でもなんで雷??なんか意味あるのかな??カフェのお友達は(恐らく仮定にすぎないが)サンデーであってサンダーじゃないし…なんだろ?


そしてなんと言ってもレース中の演出が本当に素晴らしい!!ここの演出の良さはアニメよりもゲームのメインストーリーに近い。
私はメインストーリーのレース描写が本当に大好きなんだ。スパートを掛けてからの、それぞれの走りの「らしさ」が演出に現れていて、本当に最高だと思う。

ポッケの走りには荒々しさがあった。競い、そして勝つことへの強い感情が現れていた。最後のジャパンカップでは、もはやレースシーンではなく戦闘シーンだったといっても過言ではないだろう。

オペラオーの走りはまさに覇王だ。
画面に映っている時間はほとんどレースシーンのみの短いものだったが、その間に我々に強いインパクトを与え、ラスボスとしてすんなり認識することが出来た。

フジ先輩の走り……あれは、なんと言ったら良いのだろう。これまでにないレースの演出だった。一歩一歩が重要な役者であるかのようにライトアップされて……他の子の走りは「迫力のある」走りが演出されることが多いが、こちらは「魅入られる」走りが演出されていて、まさにエンターテイナー・フジキセキの走りを体現していた。

タキオンの走り

弥生賞

ここからはタキオンの走りの演出について語らせて欲しい。
まず弥生賞でのタキオン。もうこの時点で最高すぎた。
タキオンの走りは全体的にどこか不気味で、かつ神々しくもあった。天才による計算され完成された走りとはああいうものなのかもしれない。
この時点で注目すべきは、まずタキオンの前を走る自分自身の幻影。走っているときの感覚で、これ以上を出したら壊れるということがわかった、という演出だろう。限界の走りを出したわけではないのに圧倒的な強さをこの時点で見せつけていた。前を走るカフェのお友達に近づいていた時点で、この時点でも客観的に見れば素晴らしい走りであったのだろう。

皐月賞

「タキオンとは、常に光速よりも速く移動する仮想の粒子」。
相対性理論によれば、通常の物質はどれだけ加速しても光速に達することはない。つまり、物理における限界を超える超光速の粒子タキオンと、ウマ娘の走りの限界を超えるということを重ねている。

続けてタキオンは「仮想でも示しておくべきだろう」というセリフと共にスパートをかける。
ここの演出、なんなら主人公であるポッケのレースシーンより豪華だった気がする。まず音が凄かった。音については詳しくないので言語化するのが難しいが、とにかく凄かったよなあ!?

そして自分自身の姿をした虹色の光を追いかけて、追いかけて、追いついて、ぴったり重なって「タキオンの走り」が完成される。
この光とは恐らく、タキオンが計算して導きだされた「限界の走り」なのだろう。物理限界である「光速」とかけて、虹色の光としてそれを表現しているのだと思います。
つまり仮想として、「限界」を示した、ということですね。

タキオンが目指していたのは限界を超えた走りなので、目的を自分で達成することは諦めてでも、自分の全力を出し切った走りをする選択したのが「仮想でも、示しておくべきだろう」というセリフだったのですね。

サポカイラスト考察

ところで、SSRサポカのイラストを見てましましょう。

SSR【Q≠0】アグネスタキオン イラスト

このサポカも映画と同じく、虹色の光が周囲に!(映画とは少し違うけど)。
しかもこれは、光よりタキオンの方が前に行っているので、光(限界)を追い越したことを表したイラストなのでは??え、これ実装されたの一年以上前なんだが!?
映画を経て、このサポカイラストの意味が分かるとかマジ!?!?

一応、サポカに書いてあるエピソードを確認。

───無謀だ。

光さえ超えるようなその速さは、
ゴール前に擦り切れてしまうだろう。

誰もがそう思う中、
彼女だけがうっとりと笑む。

「ああ、素晴らしい……
素晴らしい……! 実に愉快だ!」

無謀を理論で貫き、屈服させる。
世界の彩度が高まる、その感覚は───

「フフッ……さて、次の実験では……
どんな悦楽が待っているかな……!」

───彼女しか知り得ない。

SSR[Q≠0]アグネスタキオン エピソード  

この文章を見ても間違いなく「限界」を超えた先のアグネスタキオンのイラストということで間違いなさそうだ。

そもそも「光=限界のメタファー」と言っている人が他に見たことないので、もしかしたら誰にも共感してもらえないかもしれないが、それでもどうしても共有しておきたかったので、ここに残しておく。

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