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第二十三章 暴発! リボルバー たった一人の殴り込み(後編)

この物語はフィクションです。登場する団体、名称、人物等は実在のものとは関係ありません。


赤線とはー
性風俗の混乱を恐れた国が慰安所として許可を出した特殊飲食店街。半ば公認で売春が行われ、警察の地図に赤い線で囲ったため、赤線と呼ばれた。ー


―名古屋―

 嫌がるマリの浴衣を強引に脱がせて、浜やんは絶句した。背中が青アザだらけなのである。

「どうしたんだこの傷は」

「………」

「マリ、すぐ医者に行こう。風呂なんかいいから」

「大丈夫よ、こんな傷。自然に治っちゃう」

「駄目だ。こりゃひどすぎる」

「大丈夫だって…」

「店の奴らにやられたのか」

浜やんがマリを問いつめるとマリは一瞬、躊躇しながら口を開いた。

「ウン…あの日ね、捕まった後で店に連れて行かれて殴られたの。逃げた男たちの素性を白状しろって。でも私、言わなかったよ。そしたら裸にされて、手足を踏みつけながら背中を竹の棒で代わる代わる殴られた」

「ひでぇことしやがる。背中だけか」

「うん、客と寝る時に胸や腹に傷があれば商品にならねぇからって言ってたわ」

 マリの話を聞いているうちに浜やんは怒りがこみ上げて来た。

「あいつら、ぶっ殺してやりてぇ」

「やめて!私のことはもういいの。それにもう十分じゃない。私も戻って来られて、こうして二人でいられるんだし…あいつらに謝ってきた訳じゃなくて、あんたは自分流に強引にやってきたんだから。…勝ちだよ」

「勝ち?」

「そう、勝ったと思わなくちゃ。例え六割負けていても四割自分の思うようになれば、それで手を打たなくちゃ身が持たないよ」

「………」

「あんたは、いつもやり過ぎなところがあるのよ。端から見ていると危険な男よ。私、いつも冷や冷やしていた」

マリは浜やんの性格を良く知っていた。

「俺がいつも悪いんだよな…」

「いや、私はそうは思わない。だって、この旅だって、面白かったこともいっぱいあったし。怖かったけど、皆も納得ずくでついて行った訳だし…いつも、いつも言ってたじゃん。一定のお金が貯まったら止めようって。もっと早く止めれば良かったよね。そう思いながら、なかなか言い出せなくて…私も悪かった。
 私たちが一緒にいる方法って、こんな道しかないなら、それでもいいって思っていたんだ。丈二と別れるのが嫌だったし…」

「もう少し俺が皆のことを考えてやっていればな…キャプテンなんだし」

「丈二、もうそんなに自分を責めるのをやめて。…あんたはいい人よ。私とちかちゃんが田舎にちゃんと仕送り出来てるか、いつも心配していたし、仲間割れが起きないように皆にすごく気を使っていたし…私にもすごく優しくしてくれたもん。本当のワルだったらこうして命を張って迎えになんてこないよ」

「そんなふうに思ってくれるのか」

「だって、私は他の仲間とは違うのよ。結婚式まで挙げたんだから。あんたの女房なのよ。それに…身体に傷は負ったけど、心まで傷ついてはいない。いや、一時はどん底まで傷ついて死のうかとも思ったけど、心の何処かであんたが来てくれるのを待っていたんだと思う。そして、今こうして助けに来てくれたあんたの顔を見ただけで、そんな気持ちいっぺんに吹き飛んでしまった」

 マリはそう言って、柔らかな笑みを浜やんに投げかけた。こみ上げてくる感情を抑えきれずに浜やんが目を真っ赤にした。

「マリ…ありがとう」

 浜やんはマリを浴槽に誘った。そしてマリをお湯の蛇口のところに座らせ、手拭いにお湯を湿らせた。その手拭いで、背中の傷を避けながら丁寧に体を拭いてやった。
 拭き終わると今度はマリが浜やんの体を洗い流した。立ち込めた湯けむりの蒸気が心地良かった。二人共、お湯には浸かれない体なので、マリは足だけ湯に浸けて浴槽に腰掛けた。その隣に左足を上げ、右足だけお湯に入れた浜やんが座った。

「誰かが言っていたわ。悲しい時や辛い時に女が泣く場所はお風呂がいちばんいいって。石鹸をいっぱい泡立てて湯気に包まれていると悲しい気持ちが湯気に吸い取られて、いっとき心が休まるんだって。ほんと、そう思うわ。店に捕まっている時、お風呂のあいだだけがいちばん好きだった。のんびり浸かっている訳にはいかなかったけれど、それでもいちばん落ち着けた。私、お風呂大好きになっちゃった」

 マリはわざと明るく振る舞った。
 浜やんが話題を変えた。

「マリ、俺たちこれからどうしようか…」

「船に乗りなよ。丈二はやっぱり海が似合うよ」

「ああ、いつかはな」

「いつかじゃなくてさ」

「すぐには仕事があるかどうかわかんねえけどよ。船に乗るつもりで横浜の職安へ行ってみるよ」

 金は殆ど使い果たしていた。すぐにでも働かなければならない状況だ。

「マリはどうしたい。ひとまず俺の実家に来るか」

「いや、家へ帰って、少しゆっくりしたいな…」

「どのくらい」

「一ヶ月か、二ヶ月くらい」

「おまえ、母ちゃん元気だって言ってたな」

「うん」

「久しぶりに田舎に帰って、母ちゃんに甘えてくるか」

「いや、そうも出来ないけどさ。とにかく静養も兼ねて、のんびりしたいわ」

「そうか…」

 当初の計画では旅の終わりは派手に独立記念日を祝い、横浜にアパートでも借りて二人の生活をスタートさせる予定だった。
 だが、軍資金も底をつき、心身共に傷を負ったマリを思えば、しばらくの間、休ませてやることがいちばんだ。マリの傷を自分の手で癒やしてやれないもどかしさはあったが、今はいったん別れ、二人で暮らすのはその後で考えればいい。

 二人は旅館で二日間身体を休め、次の日、浜松駅から上り急行「雲仙」に乗り込んだ。
足の負傷でびっこを引く浜やんをマリが支えながら座席に座らせた。
旅の終わりに又「雲仙」とは皮肉な巡り合わせだ。赤線を狙って成功した名古屋への旅は「雲仙」に乗って始まったのだった。

 結局、マリは田舎に帰ることにした。浜やんは何処か途中の駅まで送って行くつもりだ。
電車に乗る前、浜やんはマリの大好きなマンボズボンやコートなどを買ってやり、逃げて来たままの和服姿から着替えさせた。
 座席で一服するとマリがバッグを開け始めた。店から逃げて来る時も肌身離さず持っていたバッグだ。マリはその中から白い封筒を取り出した。

「これ、丈二の分だから」

「何よ、これ」

 封筒を開けると中には貯金通帳が入っていた。名義は浜野丈二となっている。何処で買ったのか、浜野という印鑑が押されていた

「あんたのお金よ。私、積んでおいたの」

 通帳をめくると何回かに分けて貯金をした合計が五万円ちょっとになっている。

「ちょっと待て、マリ。俺の分も何もないよ。稼いだ金は皆で分けてるから、こんなことしてくれなくたっていいんだよ」

「だって、丈二は旅館代とか食事代とか、結構あたしの分も払ってくれてたじゃない。あたしだけじゃなくて、時にはちかちゃんの分とか…私、積み立てておいたんだ」

「おまえ…気持ちは十分嬉しいけどよ。これから先、お金かかるんだから持っていけよ」

「私は実家に帰るんだからなんとかなるわよ。それより丈二の方が心配よ。すぐ仕事だってないだろうし。このお金使って」

「いや、それは出来ねえ」

「強情っぱりね。じゃ、このお金あげるんじゃなくて貸しておく。いつか余裕が出来たら返して。それならいいでしょ。私たち、二人三脚なんだから」

「マリらしいな気を遣ってくれて。…わかった。じゃ、借りておく。その代わり金がいる時は言ってくれよ。俺の家に連絡してくれればいいから」

「そうするわ」

 そう言ってマリは別の紙袋を差し出した。

「それからもう一つ。これ」

 紙包みの中には赤チンや軟膏が入っていた。

「この薬、毎日つけるのよ。足の傷が化膿なんかしたら大変だから」

「ありがとう。でも、こんなかすり傷すぐ治るよ」

「だめだめ、ほっとくと丈二は手当なんかしないから。約束してよ」

「ああ」

 ピストルで撃たれた膝の傷は弾がかすっただけだったので一週間もすれば治る筈だ。
だが、今はまだ歩く時にびっこを引く状態だった。
 電車が小田原を過ぎたあたりで浜やんは気になっていたことを聞いた。

「マリ、上野駅まで送って行くか」

「いいわよ、びっこを引きながら送ってくれなくても。一人で帰れるから。丈二は横浜で降りな」

「だってよ、おまえ一人じゃ…」

「一人で帰れる。東京まで出て、上野駅から信越線でいけばいいんだから」

「いや俺、長野まで送って行ったっていいんだよ」

「丈二、本当にもういいって。それに一緒にずっとついて来られると嫌だ。なんか帰りづらくなっちゃうもん」

「そうか…」

 浜やんはマリの心中を察して、横浜で降りることにした。考えてみれば一生の別れではない。マリはしばらくの間、田舎に帰って来るだけだ。
 電車がスピードを落とし横浜駅のホームに入った。

「じゃ、俺はここで降りる。ゆっくりして身体休めて来いよ」

「はい、わかりました。丈二こそ早く足の傷治して…手紙書くから」

「ああ、待っているから必ずくれよ」

 浜やんは席を立ってホームに降りた。
 窓越しにマリが手を振っている。マリは唇を噛みながら泣きそうになるのを必死にこらえているようだ。やがて発車のベルが鳴ると精一杯の笑顔を浜やんに投げかけた。
その笑顔が徐々にホームから遠のいていった。

続き > 第二十四章 マリの故郷へ
―横浜・長野・須坂―

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◆amazon・電子書籍

◆作詞・作曲・歌っています。


参考文献

兼松佐知子(昭和62年)『閉じられた履歴書 新宿・性を売る女達の30年』朝日新聞社

木村聡(写真・文)(平成10年)『赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて』 自由国民社

木村聡(写真・文)(平成14年)『赤線跡を歩く 続・消えゆく夢の街を訪ねて2』自由国民社

澤地 久枝(昭和55年)『ぬくもりのある旅』文藝春秋

清水一行(平成8年)『赤線物語』 角川書店

新吉原女子保健組合(編)・関根弘(編)(昭和48年)『明るい谷間 赤線従業婦の手記 復刻版』土曜美術社

菅原幸助(昭和62年)『CHINA TOWN変貌する横浜中華街』株式会社洋泉社

『旅行の手帖(No・20)』(昭和30年5月号) 自由国民社

 ※近代庶民生活誌14 色街・遊郭(パート2)南 博  三一書房(平成5年6月)

名古屋市中村区制十五周年記念協賛会(編)(昭和28年)『中村区市』(名古屋市)中村区制十五周年記念協賛会

日本国有鉄道監修『時刻表(昭和30年)』日本交通公社

日本遊覧社(編)・渡辺豪(編) (昭和5年)『全国遊郭案内』日本遊覧社

広岡敬一(写真・文)(平成13年)『昭和色街美人帖』自由国民社

※戦後・性風俗年表(昭和20年~昭和33年)

毎日新聞出版平成史編集室(平成元年)『昭和史全記録』 毎日新聞社

松川二郎(昭和4年)『全国花街めぐり』誠文堂

森崎和江(平成28年)『からゆきさん 異国に売られた少女たち』朝日新聞出版

山崎朋子(平成20年)『サンダカン八番娼館』文藝春秋

吉見周子(昭和59年)『売娼の社会史』雄山閣出版

渡辺寛(昭和30年)『全国女性街ガイド』 季節風書店

大矢雅弘(平成30年)『「からゆきさん=海外売春婦」像を打ち消す〈https://webronza.asahi.com/national/articles/2018041300006.html〉令和2年12月14日アクセス 朝日新聞デジタル

※参考文献の他に物語の舞台となっている地などで、話を聞いた情報も入れています。取材にご協力いただいた皆様に感謝いたします。ありがとうございました。

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