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第十四章 渋谷のレストラン 追っ手か、あわや銃弾が!

この物語はフィクションです。登場する団体、名称、人物等は実在のものとは関係ありません。


赤線とはー
性風俗の混乱を恐れた国が慰安所として許可を出した特殊飲食店街。半ば公認で売春が行われ、警察の地図に赤い線で囲ったため、赤線と呼ばれた。ー


―東京・渋谷―

 大都会の空を巨大なビル群が埋め尽くしている。東京・渋谷の街を浜やんたちはそぞろに歩いていた。舗道沿いのショーウィンドウには厚手のマンボズボンやお洒落なコートが並び冬の訪れを競っている。
 神戸の街しか知らないマリを渋谷に連れて来たかったのと、ちか子にも洋服を買ってやろうとやって来たのだ。

「花の東京でござんすねぇ。さすがに違う。人は多いしおなごはべっぴんだし、それに比べてこっちは」

 この街とはおよそ不似合いな虎之介が先頭を切って歩きながら、例によってちか子をからかっている。
 人混みの中を歩いていると四人はこの上ない開放感に浸れた。道ゆく人それぞれが他人の動向など無関心だ。逃避行を続けていると、それが逆に居心地が良かった。

「ちかちゃん、何か服買いたーい。買おう、買おう」

「だけど、私に合う服あるかしら」

ちか子がズン胴の腹をさすったので、皆、大笑いだ。
数軒の店を探し歩いて、マリは流行のマンボズボンとジャケットを買い、ちか子は体をすっぽり包む紺色のコートを買った。
浜やんは買ったばかりの白いコートを早速着込んで肩を怒らせている。

四人はすっかり買い物に夢中になり、食事をするのを忘れていた。腹が減ったので、路地の奥まったところにあったレストランに入っていった。
夕飯時にはまだ時間があった為か、店内は静かだった。奥のテーブルに四人と中央のテーブルに二人の客がいるだけだった。二人とも黒いスーツを着込んでいる。

浜やんたちは入口付近のテーブルに座った。やがて、運ばれて来た食事をしていると突然、中央のテーブルに座っていた男が立ち上がり、浜やんたちに近づいて来た。
男はスーツを粋に着こなし、一見水商売風で目つきが異様に鋭かった。
浜やんと虎之介の顔を覗き込みながら、

「あんたたち、何処の方ですか」

と聞いて来た。
言葉つきは丁寧だが低いドスの効いた声だ。
せっかくいい気分で食事をしているところを邪魔されてはたまらない。浜やんがムカッと来て語気を荒げた。

「何処から来ようとこっちの勝手だ。何で、てめえにいちいち言わなきゃならねぇんだ」

 軽く啖呵を切ったつもりだったが言ってから、しまったと思った。

 ―もしかしたら自分たちをつけてきた追っ手かも知れない。

 よもやこんな東京まで追って来る筈はないとつい油断していたが、敵は血眼になって探している筈だ。東京だろうと何処だろうと関係ない。
 男が浜やんを睨み返した。さすがの浜やんも今度は押され気味に視線を返した。
一瞬、重苦しい沈黙が流れた。
 その空気を虎之介が拭い払った。浜やんの脇腹をこずきながら男に

「どうも失礼しました。我々は堅気で…」

と謝ったのだ。
 丁重な虎之介の言葉で男は気を取り直したのか、

「いや、こちらこそ失礼しました。人違いのようで」

と言って、席へ戻って行った。
ホッと胸を撫で下ろした浜やんに虎之介が耳打ちした。

「ヤバイよ、浜、外へ出ようか」

「何でよ、いいじゃねえか人違いのようだし。俺たちゃ客なんだから。まだ飯も全部食ってねえじゃねえか。帰る時はてめえの意志で帰るもんだよ」

「バカ、違うんだよ。何か様子がおかしいんだよ」

「…」

「突っ張っているんだよ」

浜やんは虎之介が何を言っているのかわからないまま、席に戻った男を見た。
虎之介が声を潜めた。

「コートの胸のところ、よぉく見て見ろよ。少し盛り上がっているだろ。ありゃ、ピストルを隠しているんだ」

こういう時の虎之介の勘は鋭い。
浜やんたちは虎之介の言葉に従い、勘定を払った。そして店のドアを開けて、出ようとした時だ。

 すれ違いざま、二人の男が店に入って行った。
見たところヤクザ者のようだ。その男たちが入って間もなく、キャーという女性の悲鳴が店内から上がった。耳を澄ますと店内からパンパンという乾いた銃声が立て続けに聞こえて来た。
その直後、先程中央のテーブルに座っていた二人の男が後ずさりしながらドアを開け、脱兎の如く逃げて行った。

「何だ、何だ。おい」

浜やんと虎之介は顔を見合わせ、おそるおそる店のドアを開けて中を覗いた。
血だらけの男が二人、床に倒れている。すれ違いざま店に入った男たちだ。流れ出た血が椅子やテーブルに飛び散り、店内は地獄絵図と化していた。

「す・げ・え」

虎之介と浜やんは顔を見合わせた。
マリとちか子は最初遠巻きに眺めていたが、ただならぬ気配に店内を覗き込み、

「うわー」

と押し殺した声を上げ、顔を伏せ合った。
店内では恐怖に引きつった顔の従業員が叫んでいる。

「早く警察を呼べ!」

「救急車もだ!」

ちか子が顔を背けながら浜やんの袖を引っ張った。

「逃げようよ…早く。逃げようよ」

「ちか子、慌てなくて大丈夫だよ。狙われたのは俺たちじゃないんだから」

マリも虎之介も顔面蒼白だ。

「だから言ったろう。俺が言った時、さっさと外へ出ていれば、こんなもの見ねえで、済んだものをよ。浜、もう少し、俺のいうこと聞いた方がいいよ。でなきゃ、命がいくつあっても足りねえよ」

 虎之介の言う通りだった。実際、人が撃たれるのを目の当たりに見て、浜やんも体がブルブル震えていた。

 ―渡世人は相手にしねえ方がいい…ひょっとしたら、明日は我が身だ。

 けたたましいパトカーのサイレンと共に捜査員たちが駆けつけ、血だらけの二人が救急車で運ばれて行った。現場一帯は野次馬で膨れ上がり騒然とした雰囲気に包まれた。
四人は人垣をかき分け東京駅に向かった。
ゆっくりして行くはずの東京を早々と逃げ出し、東海道線の電車に乗った。

続き > 第十五章 町の小さな教会で 結婚式を挙げました
―横浜―

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参考文献

兼松佐知子(昭和62年)『閉じられた履歴書 新宿・性を売る女達の30年』朝日新聞社

木村聡(写真・文)(平成10年)『赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて』 自由国民社

木村聡(写真・文)(平成14年)『赤線跡を歩く 続・消えゆく夢の街を訪ねて2』自由国民社

澤地 久枝(昭和55年)『ぬくもりのある旅』文藝春秋

清水一行(平成8年)『赤線物語』 角川書店

新吉原女子保健組合(編)・関根弘(編)(昭和48年)『明るい谷間 赤線従業婦の手記 復刻版』土曜美術社

菅原幸助(昭和62年)『CHINA TOWN変貌する横浜中華街』株式会社洋泉社

『旅行の手帖(No・20)』(昭和30年5月号) 自由国民社

 ※近代庶民生活誌14 色街・遊郭(パート2)南 博  三一書房(平成5年6月)

名古屋市中村区制十五周年記念協賛会(編)(昭和28年)『中村区市』(名古屋市)中村区制十五周年記念協賛会

日本国有鉄道監修『時刻表(昭和30年)』日本交通公社

日本遊覧社(編)・渡辺豪(編) (昭和5年)『全国遊郭案内』日本遊覧社

広岡敬一(写真・文)(平成13年)『昭和色街美人帖』自由国民社

※戦後・性風俗年表(昭和20年~昭和33年)

毎日新聞出版平成史編集室(平成元年)『昭和史全記録』 毎日新聞社

松川二郎(昭和4年)『全国花街めぐり』誠文堂

森崎和江(平成28年)『からゆきさん 異国に売られた少女たち』朝日新聞出版

山崎朋子(平成20年)『サンダカン八番娼館』文藝春秋

吉見周子(昭和59年)『売娼の社会史』雄山閣出版

渡辺寛(昭和30年)『全国女性街ガイド』 季節風書店

大矢雅弘(平成30年)『「からゆきさん=海外売春婦」像を打ち消す〈https://webronza.asahi.com/national/articles/2018041300006.html〉令和2年12月14日アクセス 朝日新聞デジタル

※参考文献の他に物語の舞台となっている地などで、話を聞いた情報も入れています。取材にご協力いただいた皆様に感謝いたします。ありがとうございました。

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