【関西進学校】どういう生徒がどういう大学に行くのか、そしてその後の人生

時間が出来たので、久しぶりに学歴関連のネタを書いてみようと思う。
以前、書いた関西進学校関連の記事が割と反響を呼んだみたいなので、今回は、自分の記憶を辿って、関西進学校では、どのような生徒がどういった大学に進んでいったのかに関して記載してみたい。また最後にその後どのような人生を送っているのかに関しても記載してみたい。

あまり身バレしたくない∔高校の話になるとやや具体的な話になってしまうので、ぼかしも入っている点は留意しておく。

まず筆者の簡単な経歴であるが、割と田舎の普通の公立中から高校受験で私立の中高一貫校に高校受験に編入した。
関西の高校受験では、私立、国立受験においては灘が頂点に君臨しており、その後に東大寺、甲陽、西大和、大阪星光、洛南、智辯和歌山、更には大教大付属平野や天王寺が続くといった構造になっている。
公立であれば、大阪だと天王寺や北野高校、奈良であれば奈良高校、兵庫は長田、神戸高校、京都であれば堀川高校、滋賀は膳所、三重は四日市辺りが強いだろうか。
まず灘だけが本当に別格に難しく、定員がそもそも40名程度しか存在しない中、中学受験で灘に落ちた生徒や福岡の英進館等の地方のトップ層が受験しに来るので、正直普通に公立中学に通う生徒でここに通るのは、かなり厳しい。そのため多くの学生は灘には合格せず、上記で挙げた高校や公立高校に散っていく。
筆者の高校にも「灘崩れ」は結構いたが、彼らの進学実績が芳しいかと言われるとこれまたそうでもないというのが答えで、高校受験でのパフォーマンスと大学進学時の実績はそこまで相関関係はない印象だ。
因みに今では、上記で挙げた高校の殆どが高校受験を廃止しており、完全に中高一貫校となってしまったらしい。
背景には、高校受験組のパフォーマンスの悪さがあるみたいだ。正直高校受験組の自分からすると悲しい限りではある。

次に筆者の高校の生徒がどのような進路を歩むかと言った点について説明していきたいが、まず太宗が東大、京大、医学部医学科そして阪大によって占められていた。これは関西進学校では灘以外はどこも似た傾向であると思われる。
文理比率は概ね1:3程度で理系の方が多かった。
学力ピラミッドは、これはどこの進学校も同じであると思われるが、
トップ層は中学受験組で二番手にようやく高校受験組が入ってくるといった感じであった。ただ高校受験組は高校受験で一定程度勉強していることもあり、学年の最下層は殆どが中学受験組であった。
今回は、東大、京大、医学部医学科に絞って説明していきたい。

【東大】
学力的には、理系、文系問わず学年の最上位層が東大に進学していた。
勿論多少のグラデーションはあり、必ずしも全員が全員最上位層であったかと言われると怪しく、中にはラッキーパンチで合格している者も存在したが、殆どは学年の最上位層で占められていた。
学年一位、二位は順当に東大理一に進学していた。彼らは学力的に京大医学部、阪大医学部にも余裕で合格したと思われるが、物理の勉強がしたいとかそういう理由で理一を選択していた。他にも当然理一に合格した生徒はいたが、全員が学年トップ20くらいには少なくとも入ってそうなものばかりでかなりの強者揃いと言った感じであった。理二であっても少なくとも学年でトップ30くらいには入ってそうな感じであったがこちらの方がラッキーパンチで合格していたものがいた印象である。
文系の方が医学部がないため、東大への集中度はより高かった。東大文一を目指していた学生は、文理が分かれる前は、学年で余裕でトップ10には入っており、東大文一でなければ、旧帝大の医学部か理一辺りに進学していたのではないかと思われる。
東大受験組は、東大文一、文二を目指して皆必死に勉強していた記憶がある。
東大を目指す生徒は、文理問わずどちらかと言うと比較的真面目で、科目のバランスが極端に悪いものは存在しなかった。理系であっても英語や国語が出来たし、文系でも数学が苦手ものは存在しなかった。またどうしても東大に行きたい、東大に行けなければ死んでもいいと考えているような、思い込み、拘りが強いものが多かったというのは以前の記事でも指摘した通りである。とにかくストイックなものが多かったイメージである。
また東大は変人、発達障害傾向が強いものが多いと言われることが多いが、筆者の高校に限って言えば、あまりそのような傾向は見られなかった。恐らく筆者が一番発達障害傾向が強かったと思われる(笑)。またこれはイブリースさんのブログなどでも指摘されることであるが、東大卒は競争心が強いと言われる。ただ筆者の高校ではその限りではなく、ただ「東大に入りたい。その後のことはそこまで考えていないし、周りに興味もない」と言った孤高のタイプが多かった。
これは卒業後の話にもつながってくるのだが、皆で受験を乗り切ろうといった連帯感はなく、各自がそれぞれ独立したプレイヤーと言った感じであった。東大卒の卒業後の連帯感の無さは受験生時代から垣間見えていたのかもしれない。
卒業後の進路としては、キャリア官僚や外銀、外コン(戦略)等のハードな進路に進んだものはこの中では皆無であり、研究職や普通のJTCを決めたものが多かった。筆者の学年は比較的真面目な生徒が多かったこともあり、極端にレールから外れたものはいなかったが、アップサイドを享受しているものもいない。ただ筆者の高校の他の学年で東大に進学した者は結構な割合で壊滅的な進路を辿っているケースもあり、他の関西進学校も同様の傾向が強いので、やはり関西進学校の予後は決して芳しいものではないと言える。

因みに東大に合格していったのは、殆どが中学受験組であった。どうしても東大になると中学受験組が有利なのではないかと思う。卒業後に灘の学生に聞いた話でも、灘であっても高校受験組で東大に行けるのは半分もいないらしい。
また東大合格組は殆どがサラリーマン家庭出身の者で、別に親が必ずしも大企業勤務という訳でもなかった。
部活をしていたのは半分程度であった。どちらかと言うと後述するが、医学部医学科に行ったトップ層の方が部活はしていなった記憶がある。

【京大】
こっちが関西進学校のメインの進路である。灘と現在の西大和くらいが東大メインの進学校であとはどこもかしこも京大がメインの進路であると思われる。
筆者の学年でも上位層から中間層更には下位層まで幅広く京大に進学していた。この学力でも受かるのかと言う怪しいレベルのものも合格している一方で、まぐれ落ちも存在しており、京大入試は結構ボラティリティが大きいなと思った次第である。
また一部の理系科目に特化した学生も多く、数学や物理のトップ層は京大の工学部や理学部に進学していた。彼らの中には数学や物理だけであれば、余裕で東大にも合格出来るが、英語と国語が苦手過ぎるので、結局京大に進学していた者も多かった。
正直言うと、東大よりも圧倒的に尖った学生が多く、発達障害傾向の生徒も多く紛れていた。学年で変人エピソードが出てくる学生の多くがその後京大に進学していた。そんな彼らも居場所を見つけ楽しそうにしていたのが京大であり、正直何度も「京大の方が良かったな。。。。」と思ったことが多かった。実は筆者も両親からは、京大の方が性格的には向いていると説得されており、それを断ってきた身なのであるが、大学進学後に親のいう事は正しいなと思った次第である。
京大文系はもう少しマイルドであった。実のところ、筆者の学年では東大文系に進学した学生よりも就職の実績は京大文系の学生の方が良かった。これは京大文系に優位性がある訳ではなく、筆者の学年で東大文系に進学した学生の就活力がそれほど高くなかったというそれだけの話であると思う。

ちなみに京大に進学した生徒の予後であるが、殆どは普通のサラリーマンになっているか、割と行方不明者も存在する。前述した通りで京大文系はエリサラとして活躍しているものが多いが、京大理系は若干怪しい者も紛れているが、それでもさして劣等感を抱かせないのが京大の良いところであろう。
 
【医学部医学科】
最後が医学部医学科である。
ここは前の記事でも書いた通りで主に三種類の学生が進学する。
①親も医者のサラブレット
②発達障害傾向が強く、コミュニケーションを取るのが難しい学生
③単純に成績が良く、親の勧めや先見の明の高さから医師免許の優位性に高校時代から気づいていたもの

イメージとしては①:②:③=4:4:2くらいである。

まず結構面白かったのが、医学部に進学したものの太宗は中学受験組であったことだ。高校受験組であっても実は中学受験でも国立の付属中学に在籍していたものが多く、高校受験だけのものはほぼ皆無であった。これは学力的な話ではなく、家庭の教育方針によるところや周囲の環境によるところが大きいのではないかと思う。
医師免許の優位性に普通のサラリーマン家庭の公立中学組が気づくのはなかなか難しいのかもしれない。
正直、筆者も高校に入学してから医学部受験の存在を知った。医者って受験してなるものなのだというのを初めて高校に入って知り、そういう世界があるんだなーという程度の関心しか当時はなかった。

まず①であるが、彼らは発達障害傾向等はなく、むしろやたらとイケメンが多かった。学年で美形トップクラスはなぜか殆ど医学部に進学していたが、彼らは更に医師家庭の息子であった。
運動部に所属しており、勉強だけでなく運動も出来たので、カーストで言うと学年トップクラスのものばかりであった。
学力に関しても、東大理一には敵わないが、その次のクラスの者から学年の真ん中くらいのレベルの者が多かった。一部には、学力的には相当怪しい者もいたが、彼らも親の財力で私立の医学部に進学していた。今から思うとこれは世の不条理でしかない。

②に関しては、本当に医学部に進学して良かったな、と言うか本人も親もよく客観的な自己分析が出来ているなと言った印象であった。①の生徒は、総合商社に入ってもうまくやっていけそうな者が多かったが、②の生徒はサラリーマンになっていれば憤死している(だろうと思われる)タイプばかりであった。発達障害の傾向で言えば、筆者なんかよりも更に上を行くものばかりであった。
当然部活などには入っていなかった。
学力的には彼らは、東大は少し厳しいが、最上位でない国立医学部あれば普通に合格するレベルに達していたし、普通にどこかの地方の医学部とかにそのまま進学していった。

③に関しては、学力的には学年でトップクラスに入るような学力の者で、所謂旧帝大の医学部等に進学していた。彼らは学力も高く、また競争心も強かった。首都圏の東大に進学するような競争的な学生が関西にいればきっとこうなっていたのだろうと思われるような学生が多かった。
部活にも入ってはいるが、厳し目の部活にはあまり入っていた印象はない。
彼らは先見の明があり、自分で能動的に進路などを調べ、東大や京大よりも医学部の優位性に気づいていたタイプで、東大とか京大に進学した学生よりよっぽど自分の人生に真剣に向き合っている(きた)者である。

【大学卒業のその後の人生の考察】
ちなみに当然だが、他の大学に進学した学生も多く存在する。
阪大、一橋、東工大、早慶などだ。東工大に進学した学生はサンプルが少なすぎて良く分からない。
ぶっちゃけた話、医学部に進学しなかった学生群では、大学名によって人生に大きな差があるようには全く見受けられない。それよりも個体差が大きいというイメージだ。
東大に合格した学生と東大に落ちたものの学生時代に司法試験や会計士試験に合格した学生では当然、後者の方が安定して稼いでるし、全くの学力不足で早慶に進んだとしてもその後の就活ではうまく行き、東大卒が全く敵わない次元に達しているものもいる。
医学部ではないその他の進路を取ったものはやはり、大学時代に資格の勉強をするとか、就活を頑張ったかと言った要因の方がその後の人生に与えるインパクトは大きい。また文系の総合職で活躍しているのは、勉強は苦手だったが、部活等では確り成果を残していたタイプが多い。
サラリーマンになるのであれば、やはり大事なのは最低限の学力と総合的な人間力という事であろう。
勿論平均を取れば東大卒はその他の大学のそれよりも高いかもしれないが、それはあくまで平均であり、本当の勝負は大学に入ってからなのだと思う。
まあ、こういった話は散々してきたし、イブリースさん等が指摘してきたことでもあるので、今更感はあるが。

尚、医学部に進学した者はその後も順調に医師になっており、関西近辺とかもう少し田舎の方で医師になっている。
彼らの多くは確かに東京と言う大都会にはあまりいないけれども、日本の地方都市で確り、その地の医療に貢献しているのである。
そこには丸の内や六本木などのギラギラ感はないが、安定して地に足の着いた生活を送っている者が多い。

関西進学校は、進路の幅が関東の進学校より広く、またそれぞれが色んな地方に散らばっていくので、卒業後に高校の同級生と比較するという事があまりない。その点、関東の進学校の方が殆ど全員東京に残る傾向にあるので、そこは結構大変かもしれない。

卒業後の進路の多様性と、連帯感の無さと言うのは関西進学校の良さでもあり悪さもでもあるのだと思う。