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私とは何か【週刊Nocturne#10】

最近、久しぶりに自炊をしたら、米が美味くてびっくりしました。
どうもこんばんは、咲夜いつです。
マックばっかり食べて、Macばっかりいじっている生活から早く抜け出したいです。

今日は、一日中イベントスタッフのバイトをしていました。ですのでnoteを書く時間が無かったので、今布団で寝転がりながらこの文章を書き綴っております。いつもはきちんとパソコンに向き合ってちゃんとした姿勢で書いているのですが、たまにはこういう日があってもいいのかなって思います。

はい。というわけで、早速本日のお題に入っていきます。

本日のお題は、#私とは何か です。
今週の週刊nocturneのこのお題は、僕が出しました。

自分で出しといて何ですが、なかなか難しいお題ですね(笑)。僕は、自己分析をするつもりも、自分探しをするつもりも毛頭ないです。このお題を出したからといって、「いつ君、自分について悩んでるんだね。」みたいな同情はしないでくださいね。

ただ最近、養老孟司さんの遺言という新書を読んでいて、「意識と感覚」というものにとても興味が湧いたので、このお題にさせていただきました。(お題と本の内容はそこまで関係ないけど…)

本の中で、養老孟司さんがこんなような事を言っていました。

祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり

祇園精舎の鐘の声はいつ鳴らしても一緒のはずなのに、諸行無常の響きありとはどういうことだろう。それは、鐘の声は変わらないが、聴く側の人間の捉え方が変わるからだろう。


そして、この本の終章の見出しが、デジタルは死なない。なんですよ。要約するとこんな感じ。

時の権力者はかつて、世界(空間)を征服し、その次は死(時間)を超越するために、ピラミッドを建て、万里の長城をつくった。だか、そんなことをしなくても、今は簡単に時を超越する事ができるようになった。それがもじである。さらに、インターネットの登場により、時を超えることは、デジタルデータとして終止符が打たれた。

この章を読んで、私とは何だろう?という疑問が湧いて来ました。

僕は、自分が最高に楽しめるまちを作りたいと思っています。それは、まちを作るのが楽しそうだからというのもありますが、僕が死んだ時に、この世に生きた証を遺したい。という想いもかなり強くあります。つまり、大昔の時の権力者と同じ発想(笑)。ヒトは全然進化していない…。

でも今は、そんな手間をかけなくったって、デジタル空間にいくらでも自分(のデータ)を遺しておける。つまり、生き続ける事ができる。

これは、かなり恐ろしい事でもあります。
この話題を出すのは少し不謹慎かも知れませんが、志村けんさんや三浦春馬さんがお亡くなりになられたけれど、全然実感が湧かないのです。このように感じるのは多分、僕だけではないと思います。

なぜ実感が湧かないのでしょうか??
それは、テレビやFacebook、Instagram、YouTubeなどで、彼らの(彼らと言っている時点で実感が湧いていない証拠なんだと思いますが、)動画が出回っているからだと思います。

そう考えると、もはや私達がこれから生きていく時代は、死ぬに死ねない時代になってしまったのかも知れません。(医療も発達してるし、物理的にも。)

そんな時代で、私とは何者で、何のために生まれて来て、何を遺して去っていきたいのか。最近ずっとそんな事を考えているのですが、全然答えは見つかりません。

たまに、自分がやっている事が、正しい事なのか分からなくなる事があります。

ただ、今流行っている漫画、呪術廻戦に出てくる特級術師の九十九お姉さんが、こんなような事を言っていました。

非術師を見下す君
それを否定する君
これらはただの思考された可能性だ
どちらを本音にするのかは
君がこれから選択するんだよ

何が正解かは分からないけど、自分の取った行動の積み重ねが、自分の出した答えになっていくんだと思います。

だから、自分の出した答えが、自分が死んだ後に誰かに見られても、恥ずかしくないような答えを出していきたいなって思います。

今夜は非常に抽象的な話をしました。
僕のこの悩みが、何かしら誰かに伝わってくれればなと思います。私とは何か。少しでもいいから皆んなに知って欲しいんだと思います。
でも、僕は変わり続ける。僕の全てを知られたくないから。
だから今日も僕はここで詠っている。

は?

お休みなさい。💤

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