見出し画像

国語教師の「深掘り」考

なんだか違和感を覚える言葉というのがあります。

先日こちらに投稿した「大丈夫」もそのひとつですが、
最近もうひとつ、「なんだろうなあ?これ」と思うのが、「深掘り」。
これ、頻繁に目にしたり、耳にしたりするようになったのはここ数年ぐらいのことじゃないかな?

ということを、ぼんやりと頭のどこかで感じていたんですが、敬愛する内田樹先生の「内田樹の研究室」というブログを見ていましたら、先生のツィートの中に「深掘り」についての発言が。

それによると、やっぱり「深掘り」とは最近の新語で、国語辞典には載っていない言葉だそうです。(国語教師なら、まず自分で調べろよ。というご指摘はごもっともです。自分でもそう思います。反省・・・)

若い同僚と話をしているとよく出てくるんですよ、「深掘り」。
「タク先生は、この点を深掘りしたいとおっしゃるんですね」(いや、おっしゃってないよ)
「ここは生徒にも深掘りさせたいですよね」(いや、させたくないぞ)
それどころか、テレビの番組ではコーナーの名前にも使われていた。(たしかNH○だったような。公正公平を旨とするあの○HK)

確かに、理解を「深める」とは言う。「掘り下げる」とも言う。
でもなあ、「深掘り」なあ。私はいやだなあ。
なんか、語感がね、人間の理解や思考についての言葉じゃないように聞こえる。

なんですかね?単なる作業をあらわす言葉に聞こえるのかな?それなら「掘り下げる」もそうだよなあ。

私自身、私の仕事は「生徒達のハードルを少しだけ下げてみせること」だと思ったり、言ったりしています。「下げる」という言葉、使います。(下げた後は、元に戻したり、もっと上げたりするのも仕事のうち)

私ごときがどうこう言っても、皆さんが「深掘りしよう」、「深掘りだね」なんて言っていれば、「深掘り」は根付いていくことでしょう。

でも、私は使わないだろうなあ。使わなくても大丈夫ですか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?