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漂流教室 No.14 「三たび、これからの国語教育?」

漂流教室 No.14

「三たび、これからの国語教育?」

この4月から高校一年生の国語は「現代の国語」と「言語文化」を学ぶことになります。
「現代の国語」は実用文だけを扱う科目であることは以前お伝えしました。

なぜ、従来の「国語総合」を二つにわけ、わざわざ実用文だけの科目を新設したのか?
文部科学省の「学習指導要領」にはこうあります。

「PISA2012においては、読解力の平均得点が比較可能な調査回以降、
最も高くなっているなどの成果が見られたが、PISA2015においては、
読解力について、国際的には引き続き平均得点が高い上位グループに位置しているものの、前回調査と比較して平均得点が有意に低下していると分析がなされている。
・・・中略・・・子供にとって言葉を取り巻く環境が変化する中で、
読解力に関して改善すべき課題が明らかになったものと考えられる。」

これは「国語科改定の趣旨及び要点」の第一番目に挙げられている課題です。
つまり、
「PISAの成績が2013年には良かったのに、2015年には成績が落ちちゃった。
こりゃ大変だ。なんとかしなきゃ。」
ということですな。

だいたいPISAとはなんぞや?
「OECD生徒の学習到達度調査」です。
OECDとは「経済協力開発機構」。
この調査の目的は
「義務教育修了段階において、これまでに身に付けてきた知識や技能を、
実生活のさまざまな場面で直面する課題にどの程度活用できるかを測る」
ことです。

実生活って、生活環境によってずいぶん違うと思いません?
だいたいOECDは「経済協力開発機構」。
「経済」面から見た「実生活」の「課題」に活用できる「知識や技能」を、
国々の環境の違いを勘定に入れずに比べ合って、どうなる?

しかも、義務教育修了段階、つまり中学卒業までに身に付けてきたとされるもののテスト結果が下がったから、義務教育修了後の高等学校のカリキュラムを変えてどうする?

なんだか、学習指導要領は目先のことだけに躍起になってやしませんかね?
「この国の子供たちにはこういう学力をつけさせたいんだ!」
という確固たる信念が感じられない。

先日、新聞紙上で文部科学省の視学官という肩書きの方がこんなことを言っていた。
「今回の指導要領は実用重視で教養軽視だといった批判を受けることもありますが、本当にそうでしょうか。
固定的な解釈を伝える授業では、逆に文学本来の魅力が共有されないのでは。」

「文学本来の魅力」を言うのなら、文学作品を扱う授業時数を減らしちゃいけない。
従来の「国語総合」は標準単位が4単位。
「現代の国語」は2単位。「言語文化」は2単位。
実用文だけで2単位で、小説、随筆、詩歌、古文、漢文を合わせて2単位。
これが教養軽視でなくてなんだと言うのか。

しかも、従来の授業を「固定的な解釈を伝える授業」と、決めつけている。
授業では解釈の最大公約数的な部分を伝えます。
作品そのものの解釈や感想は人それぞれ。
生徒各人の自由な読み取りには立ち入りません。
「固定的な解釈」しかしていないというのは勘違いも甚だしい。
そんな勘違いで国語教育を語られても困る。

また、彼はこんなことも言っていた。
「今回の指導要領は、今までの先生方の取り組みを否定するものではありません。
不易と流行。変えてはいけないものは間違いなくある。
今回、いろんな方が国語について議論してくださった。
これこそ『社会に開かれた教育』です。」

議論ねえ。
現場の教員は文部科学省から、
「次の指導要領ではこうするよ」
と伝えられるだけ。指導要領には現場の意見なんかまったく反映されていない。
だから、議論にさえなっていない。

「決まったことなんだから、文部科学省の言うとおりやれ。
文句ぐらいは言ってもいいけどね。」
と言っているだけ。

でもね、文句だけじゃ済みませんぜ。

私の周りでは定年後の再任用を希望しない国語教師がいっぱいいる。
「あんな教材で、あんなカリキュラムで、授業なんかできるかい!」

ただでさえ人手不足の上に若者が教員になりたがらない。
そのうえ、我々再任用対象者も手を引こうとしている。
文科省さんよ、それでもいいんだね?

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