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『土佐日記』は和歌の教科書?

私の住んでいる地方でもコロナ感染が急増しています。「まん延防止」、「非常事態」、人々の行動が抑制される中、さまざまな職種の方が程度の差こそあれそれぞれにお困りのことがあろう。

私だと、怖いなあと思いながらも対面に近い状態でお話をしなければならないことかな?
オンラインでいろいろできる時代だけど、それぞれのご家庭のネット環境もちがうし、なによりあの小さいスマホ画面での視聴は目に悪くはないか?と思うと、手放しで「ビバ、オンライン!」とは言えない。

来客してもらわんと話にならん職種の方々や、その周辺業種の方々もたいそうお困りのご様子。政府はあんなことやらこんなことやらにお金をかけずに、もっともっと休業補償や生活保障にまわさないかん、と思います。

さてさて、在宅勤務が続き、週一ぐらいで出社しているフウちゃん(誰かな?)がうらやましい。でも、一日中どこへも行かずに自室の椅子に座りっぱなしなので、腰が痛いとか。
在宅勤務用腰痛対応高級チェアを探さねば・・・。

というマクラとは関係なく、今回も『土佐日記』。

なぜ貫之は『土佐日記』を仮名で書いたのか?
そもそも、『土佐日記』ってなんなのか?

いろいろ言われるんですが、こういう説があります。
「『土佐日記』は和歌の教科書である。」

なにせ、貫之は和歌の神様みたいな人です。いろんな人が和歌を習いに来たり、和歌を作ってもらいに来たりする。一人一人に個別対応していると、とてもじゃないが身がもたん。
貫之さん、土佐から帰って、
「さて、のんびり隠居!」
と思っていたところに、こういう依頼があった。
「うちの娘のために和歌の教科書を書いてくれんか」

『土佐日記』は紀行文であると同時に、たいそう情緒的な感情の記録であり、ちょっとおもしろい話を載せた説話的な側面も持っています。
その中で、国司夫妻が亡き愛児を悼んで和歌を詠むところや、生意気な子どもが結構うまい歌を詠むところなんかはまさに和歌の教科書なんでしょうね。
名手紀貫之の面目躍如たるところでしょう。

和歌を漢文で表記するわけにはいかない。ここは和文でなければ。で、和文ということは仮名文です。

しかし、貫之は男性です。男性なら漢文を書くのが当たり前。さて、どうしよう?

貫之はさんざん考えたと思います。
「土佐守紀貫之が書く日記だと漢文で書かざるを得ない。ならば、土佐守の下で働く女性が書いたものならば・・・、おお、むしろ漢文で書くほうがおかしい!」

仮名文で意を尽くすことは、前回ご紹介した『仮名序』で経験済み。
もう、仮名で行くしかない!

『土佐日記』は紀貫之が女性に仮託して書いた、初の仮名日記です。この後、平安時代を通して仮名による女流日記は大流行します。
『蜻蛉日記』、『更級日記』、『和泉式部日記』、『紫式部日記』・・・・
『土佐日記』が女性の書いたもの、という体をとったために「女流仮名日記」がひとつのジャンルとして成立したんですね。

古典文学はいろいろな現代語訳がでています。
書籍ではなくても、ネット上ではいろんな方が訳してくれている。
手軽に古典に親しむにはとても良い時代になったなあと思います。
とはいえ、私はやっぱり書籍でゆっくり、じっくり読みたいほうですが。

さて、仕事の合間に、おすすめしたい本を選びますかな。
はやく採点を終わらせなきゃ。

と言っているうちに、中間テストの採点が思いのほか早く終わりました。国語なもんで、他の教科の方々より採点には時間がかかる。
でも、私の場合は基本的に「迷ったら、丸!」。この私(どんな私?)を迷わせたのなら、まあ正解とは言えんまでも間違いでもなかろう、ということで丸です。
この境地に至るまで三十年かかった。

時間ができたので、次なるご紹介を考えることにします。さて、なにがいいかな?

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