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漂流教室No.9 霜と月

漂流教室 No.9

一年生の授業で漢詩をやっています。
今日は李白の「静夜思」。
こういう詩です。

牀前看月光(牀前 月光を看る)
疑是地上霜(疑ふらくは是 地上の霜かと)
挙頭望山月(頭を挙げて 山月を望み)
低頭思故郷(頭を低れて 故郷を思ふ)

ふと目を覚まし、寝台の前に月光が差し込んでいる。
霜かと見まがうばかりの白さ。
振り仰いで山の端にかかる月を眺めれば
遠く故郷を思い出す。

いつもながらの拙訳でございます。

さて授業中、いろいろと説明しながら、あれ?っと思った。
生徒諸君、「霜」とは何か、わかっていない!

そこで「霜って、固体?気体?液体?」と聞いてみた。
生徒たちは隣近所の友人と
「霜って何?どんなの?」とご相談。
代表して一人を指名すると、彼は周囲数名の意見をとりまとめてこう答えた。
「気体です。」
どうやら彼らの認識では「霜」は「霧」や「霞」の仲間らしい。
なるほど、それなら気体と答えたくなる。
(霧、霞も厳密には固体でしょうが・・・)

「秋から冬にかけて、おお寒いという朝、地面がうっすらと白くなって、朝日が当たったりするとキラキラすることがあるだろう?あれはな、・・・」
と、霜の説明をいたしました。

さて、お次の関所は「月」ですね。
なぜ、月を見ると故郷のことを思うのか。
生徒諸君には「月」と「故郷」がつながらない。

「なんで、月を見ると故郷を思うんだろうか?」と問うてみた。
ひとりの生徒の答えが秀逸でした。
「月が故郷なんだ。かぐや姫だ!」

いつから李白はかぐや姫になったんだろうか?

なかなかおもしろいご意見なので、尊重したいところではありますが、
解釈が原詩からどんどん離れていってしまいそうなので、軌道修正。
阿倍仲麻呂の和歌を紹介しました。

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも

大空を仰げば月が出ている あれは 故郷 春日の三笠山の上に出ていた月であろうか

こちらも拙訳。
有名な歌ですね。

月は遠く離れた場所でも、同じ月なんです。
「いま私が見ているこの月は遠く離れた故郷でも出ていることだろう。」
と、月を眺める人は思う。
中国でも、日本でも、月は故郷とつながるんですね。
仲麻呂の歌では、月は場所も時間も超えて故郷とつながる。

そういえば英語でも「same moon」
こちらは恋人同士がつかうらしい。ちょっとロマンティックです。

ところで、李白と阿倍仲麻呂は玄宗皇帝のサロンでお友達であったらしい。
日本に帰ろうとした仲麻呂の船が難破した際、
仲麻呂が死んだと思い込んだ李白が追悼の詩を作っています。

と、授業の〆の説明をいたしました。

最近の授業は時間的制約があって、脱線もここまで。
脱線のほうが楽しいのにねえ・・・

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