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舞踊の会



 日本舞踊協会関西支部の「舞踊の会」を見に国立文楽劇場へ。会には私が通っているお稽古場の先生が出演されており、私は、お稽古場で切符をいただいてから、この会をずっと楽しみにしていた。
 お稽古場に通い始めて今年で五年目になるが、先生が舞台化粧をし、鬘をつけて踊られるのを見るのは初めてのことだった。
「二十歳のお祝いに」と先生から贈っていただいた綸子の花模様に鹿子の絞りがほどこされた帯揚げと、朱の帯締めを、薄紅色の色無地の着物に合わせ、帯の隙間にさりげなく咲く綸子の花を見るたび嬉しい気持ちで劇場に向かった。そとは、とつぜん春がやってきたような暖かさで、毛糸の羽織も暑いくらいだった。
 橙色の切符を手に会場待ちの列に並んでいると、同じお稽古場のお弟子さんや、先生が通っていらっしゃるお稽古場のお弟子さんたちに出会った。お稽古のときや浴衣会などで会うときには、自分たちも決して大きなものではないにしても、舞台に立つため、皆どこか引き締まったような、緊張したところがあるけれど、今日は会を見に来た観客として気分のほぐれた、朗らかな感じがした。
 この一週間前、バレエを見に行ったときには、見知らぬところへ来てしまったような、そわそわする感じがしたが、この日は、なじみのある文楽劇場で、あちらにも、こちらにも着物姿が見えるので、私はすっかり安心した気持ちで開演を待った。
 入場した時にもらったパンフレットには、それぞれ出演者の名前、曲目、それから曲の紹介が書かれている。先生の踊りは、「都風流」という曲で、紹介には

 『明治・大正の頃までの東京の下町の風物詩を季節の移り変わりに従って、組唄式に綴った曲で、長唄としての手法の粋を集めた作曲の非凡さと相まって、すっきりとした江戸情緒を出していると評されています。
  まず、吉原の風俗を叙し、山谷堀をしのんで隅田川の夏景色、そして千成市の春の雨の情緒。浅草の観音様の四万六千日、草市などの江戸の名残のべったら市も詠み込まれた曲です。』

  とある。
 久保田万太郎の作詞と書いてあるのを見つけた。氏の句集が家にあり、それをパラパラと幾度か眺めたことのある私にとっては、踊りだけでなく、思いがけず、唄も楽しみな演目になった。
 はじめに「未来につなぐ企画」という枠での踊りがあった。江戸男の小気味良い、拍子の弾んだ踊りで、夜遅くまである今日の舞台の始まりにふさわしい華やかな一曲だった。
 少しの休憩ののち、カンカンと、拍子木が鳴り、二曲目「都風流」が始まった。
 さっきの曲とは打って変わって、きなりのの屏風が三枚立てられただけの、すっきりとした舞台で、お三味線の音とともに、下手から先生と、もう一人の立方さんが、二人連立って、さらさらと舞台に現れた。
 浮世絵のような澄み切った青色の引きずりに髷を結った先生と、春の夜明け前はたまた秋の夕暮れどきを思わせる薄い紫の着物を着流し風にキリリと着つけた立方さんが舞台の中央で決まったとき、私は思わず、あっ、と声が出そうになった。色あざやかな二人の姿が、屏風の中におさまった途端、舞台が一息に絵のように見えてきて…、この数日前、京都の美術展で見た上村松園の絵、その美人画が、再び私の目の前に現れた。驚きと喜びとが、私の胸にどっと湧き起こった。
 稽古場では、もっとその曲の役になりきること、その作品の風合いを汲んで、それに寄り添った踊りをするように言われることが多く、技としても、気持ちとしても、私は自分を抜け出すということの難しさをいつも思うのだけれど、舞台の上の先生は「先生」と呼ぶことも憚られるような、本当に、江戸の街のきれいな女の人で、そこに「私がその役を演じている」と言う意識さえも感じられなかった。まったく、役そのものであるように見え、それだからこそこ、絵のような、「よこしまなところのない絵」を求めた松園の絵に、ぴったり重なる姿だったのだろうと思う。
 この日は、お囃子方も舞台で演奏されていたので、音曲の調べが、客席にいる私の身体をその曲の中へと誘ってくれるようで、心地よかった。
 途中、どこからともなく、リリリリリン、リリリリリーン…と、きらめくような鈴の音が聞こえてきた。
 夏の夜、虫の声々が、草むらの蔭から聞こえてくる、そんな場面だった。その音色に身を委ね、夕涼みをする二人の姿を見ていると、他愛ない季節の風情の美しさ、毎年巡りくるけれど、いつでも楽しめるものでない風物の趣深さが、しみじみと感じられてきて、つい「あはれ」と言いたくなる。
 作詞者の久保田万太郎、作曲者の四代目 吉住小三郎・二代目稀音家浄観たちは、古き良き江戸の情緒、自分たちにとって懐かしい町の風情への思いを込めて、この曲を作ったと、舞台のあとで知った。来月、私は東京に行く用事があるけれど、春先の東京に、かつての江戸の名残を見つけられるかどうか…けれども、いろいろな思いのこもったこの曲が唄い継がれ、弾き継がれ、踊り継がれてゆくことで、その情景は、いつまでも誰かの心に蘇る。芸の道を行くということは、たんにその芸を引き継ぐだけでなく、かつての景色や風情さえも引き継ぎ伝えることをもふくんでいるのだと感じた。
 舞台の最後は「…境内うめし雪の傘」という唄に終わるのだが、その「雪の傘」のところで、本物の傘をさして、その中に二人が入るのではなく、一人が六分くらいに開いた扇を逆さにして頭の上に掲げ、傘のようにし、もう一人が閉じた扇をそこに添えて傘の柄を持っているような形になる。扇二枚を上手に使って傘のように見たてる演出で、二人は小さな傘の中に身を添せ、舞台の下手の方に向かってゆっくり歩いてゆく。
 扇が離れないように呼吸を合わせて、一歩、二歩…と進むためか、二人が歩いてゆく姿はあたかも、吹雪の向かい風の中をなんとか前へ進んでいくように見え、最後まで目の離せない、味わい深い舞台だった。
 幕が下りたあとも、私はしばらく先生の舞台の感動を引きずっていた。そのうちに次の曲、次の次の曲…と一つ一つの演目が終わっていった。休憩の時にロビーに出ると、先生とお弟子さんが話をしているところが見えたので、私もご挨拶をした。舞台の化粧をすっかり落とし、山吹のような黄色の着物を着ている先生は、お稽古場で会ういつもの先生で、私は「舞台」と言う場の不思議な力と「舞台人」の潔さを感じた。
 先日来、体調を悪くされていた先生の師匠も来ていらして、ご挨拶をすると、年の初めの舞初めや、夏の浴衣会の時と変わらぬ明るさで、孫弟子の私たちに「ようこそ」と言ってくださった。私はそこでも長く舞台に立ってきた師匠の心の強さ、清々しい姿を見たような気がする。
 先生も、先生の師匠も私よりずいぶん小柄なのに、誰よりもしっかりとしてみえ、何かお腹に据わったものがあるような立ち居振る舞いで、その姿を見ているだけで、何かを伝えられているような気持ちになった。
 朝の十一時に始まった舞台は日も傾き始めた十五時半ごろ、ようやく幕を閉じた。その頃には、同じお稽古場のお弟子さんたちも用事でほとんど帰ってしまっていたけれど、客席を立ったときに先生のご主人を見つけてご挨拶し、それから再び先生に出会えたので、お礼を伝えて劇場を出た。普段は見ることのない他の流派の方々の踊りも見ることができ、どの流派のおどりも素晴らしかったけれど、先生のおどりはひときわ輝いて見えた。おどりだけでなく、今、私が取り組んでいる文章についても「表現」というところで色々と勉強になり、次の一歩が楽しみになる、また文筆も踊りのお稽古も頑張ろうと思える舞台だった。いま、先生のお稽古場に通えていることを嬉しくありがたく思った。


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