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第十三回『歌舞伎』

京都芸術大学 2023年度 公開連続講座


第十三回 「歌舞伎」

第十三回は「歌舞伎」、講師はこの公開講座の企画人、進行役の田口章子先生でした。この日は、副題に「視点が変わればみかたが変わる」とありました。田口先生は、歌舞伎の一場面で演じられる、切腹や子殺し、身売り、首実験(武士が戦で打ち取った首を仕えている将軍に見せ、打ち取った首の位に応じて褒美の判断してもらうこと)などが、近代以降、その悲惨さを訴えるものとして捉えられることがあるが、それは違う、日本の伝統的な価値観を問い直してみたい、とお話しされました。

講義では「恥」と「情」がキーワードとして取り上げられ、先生は、日本の文化は恥だけでは捉えることができない、そこには、情という裏付けがあるとおっしゃいます。一度の授業で、田口先生が長く研究されておられる恥と情の意味づけを全て理解できるはずはなく、また、私はこれらについて、ほとんど何も考えたことがありません。けれど、生意気にも私は「恥」というものは、「情」の裏付けがあるというよりむしろ、情と道徳観(価値観)のはざまから生まれてくるのではないか、と言いたい気持ちになりました。使命のようなものを果たせなかった自分に対して感じるものであったり、身分違いのことをしている自分に気がついた時に感じるものであったり...田口先生がおっしゃる「恥」や「情」について、私がもっとよく知っていれば、さらに理解が深まるのだろうと思います。
「恥」や「情」は、たしかに日本の特徴でありながら、「恥」や「情」以外の言葉で説明するのはとても難しく、他の言葉で言い表そうとした途端、どこかに欠陥が生じてしまう複雑なものなのだと、あらためて日本の「曖昧さ」を感じました。

この日は『菅原伝授手習鑑』、「寺子屋」の段がおもに取り上げられました。戦後、この物語は封建的だとして、GHQから上演停止を言い渡されたといいます。このほかの演目でも上演停止になったものは多くあるようです。あらゆる演目の筋書き、台本を総司令部の情報局に提出し、検閲を通らねば、その演目は上演できなかったのでした。そのため、歌舞伎界では上手にあらすじを作り、舞台で上演できるように工夫していたそうです。

私はこのことを初めて知り、驚きました。
戦後の出来事について、まだ知らないことばかりであるということ。政治や経済、教育だけでなく、芸能や芸術においても、隈なく戦争の影響が及んでいたという、極く当たり前の事実を忘れて芸能や芸術を見ていた自分に気がつきました。

この、上演停止を脱するために働いたアメリカ人がいる、ということも興味深いことです。彼はフォービアン・バワーズという人で、マッカーサーの通訳、少佐を務め、GHQの仕事のほか音楽家でもあったようです。バワーズは戦前、歌舞伎に出会いいたく感動したそうで、彼がインディアン、チェロキー族の末裔であったことが、日本の文化に共鳴した要因であったのかもしれない、と私は思います。インディアンの価値観と日本の価値観には相通ずるところが多くあります。バワーズは歌舞伎への理解をしめし、自ら進んで検閲に取り組んだとされています。が、彼が亡くなった1999年以降は、「バワーズが”歌舞伎を救った男”」という説を否定するものも出てきているようです。

いずれが真実か、GHQという大きな組織を前にして、それらを知ることは私たちには不可能でしょうけれど、「戦い」の歴史は勝った側と敗れた側では、全然異なるものであると心得ておかねばならないと思います。

歌舞伎、その他の芸能は、日本の歴史や文化をそのまま表すものであり、そういう観点から歴史を見つめ直してみると、今まで気がつかなかったこと、知らなかったことと出会うことができ、それが自らの源泉を見つける手がかりになるのではないでしょうか。まさに、「視点が変わればみかたが変わる」ことを実感した講義でした。

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