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日本のおもちゃの個性は、『「古くて新しく」そしてまた「新しくて古い」』

「日本のおもちゃ」1985年特装版
斎藤良輔 岩崎美術社 編
民俗民芸双書 からの引用

はしがきに代えて

日本の古いおもちゃ群は、それらが生まれた風土と、それに定着した生活習俗とをすなおに反映しているところに特色がある。
全国の各地に、まだ「ふるさと」の面影がゆたかに存在し、城下町などを中心とした、さまざまな生活文化がどこにも色濃くみられていたころ、おもちゃ自体もまた、その土地、土地だけで愛玩されるものが数多く登場した。いずれも“ふるさとの香”にみちたものであり、それはやがて「郷土玩具」とよばれるようになる。

いつ、たれの創意によって作りだされたものか、はっきりしないものがずいぶん多い。ただ親から子へ、子から孫へと、うけ継がれ親しまれてきたことはたしかである。これは、郷土民謡や郷土舞踊のばあいとよく似ている。その「ふるさと」の人びとが共有する庶民文化財でもあった。

その土地の生活にふかく根ざしているだけに、四季折おりの年中行事に結びついて作られ、代々の子どもたちをよろこばせてきたもの、または豊作や健康を神仏に祈る護的なもの、縁起もの類までが含まれている。しかも、それらの多くが、信仰護や民話などそれにちなんださまざまな「物語り性」をもっているのが、日本的な大きな特徴でもある。純粋には、子どものおもちゃの定義からはずれたようなものもみられるが、おおらかにこれらすべてを包合しているところに、日本のおもちゃの成りたちがある。

こうした古い型のおもちゃ群は、近代玩具の進出に圧倒されて、表面的には、ほとんどその存在を失いかけているようにみえる。交通網の発達や流通面の全国統一化が、さらに郷土色を消し去ることに拍車をかける。
しかし、いつの世にも、過去のものを捨てきれないところに、日本人の心の習性がある。

「正月の初詣で」などという古い行事が、現代でもますます盛んにつづき、若い人たちを合めてにぎやかな混雑ぶりが、年頭各地の神社でくり返されているのもその例といえる。

そのうえ、都市化が全国的に進むほど、人間の心には「ふるさと」への郷愁が回想の形でうかびあがる。回想は、幼い日への追憶でもある。
ふるさとの風土とともに生きてきた古いおもちゃ群は、たれもが、心のどこかに秘めているノスタルジアをこうしてよびおこす。
素材だが、明るくかわいらしさに満ちたこれらの作品は、孤独な現代人の心に、うるおいを与えてくれる。そのひとつ、ひとつが、郷土の物語りにもつながっているだけに、お国なまりのことはで話しかけてくるような、人なつこささえある。

これらのおもちゃがいまも生きつづけるのは、現代の日本が失いかけているものをいまだに持ち合わせているからであろう。
言いかえれば、新しい時代を迎えるたび、日本のおもちゃは次ぎつぎに新しい変貌をとげてゆくようにも表面上は見えるが、それで古い型のおもちゃの生命がまったく消滅してしまうわけではない。むしろそれらの性格は断絶せずに生きつづける。そこに日本的な特質がある。

これは、日本民族の持つ国民性ー生活的にはひどく勤勉で、「遊び」を不道徳視しながら、その半面では、逆にひどく遊びごとが好きで、その方面にもゆたかな情緒性と優れた才能を持ち、ときには「信仰」さえも「遊びごと」に変形してしまう着想力を示したりする。こうした民族的な特徴が、そのまま日本のおもちゃの骨格となっているからであろう。

その意味では、屈折の多い、この複雑な「伝統」がおもちゃの世界に生きていることであり、「古くて新しく」そしてまた「新しくて古い」ところに日本のおもちゃの個性があるといえよう。
それをさまざまな角度から考えていってみたい。

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