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さあ、どこで咲こうか

そうだ、もう慌てなくていいんだった。

息子が中学生になって3度目の日曜日。早起きの必要がない休日にまだ慣れない。給湯スイッチの横に表示される時刻を確認しながらフライパンの火を止めた。ベーコンを冷蔵庫に戻してお湯を沸かす。あっという間にすぐに沸く…寝坊した朝、何度助けられただろう。電気ケトルを見ただけでちゃんと脳内にCMソングが流れるなんてすごいコピーだ。でも私にはこのフレーズをクライアントに提案する勇気はない。

1人分のコーヒーを落としながら はぁ…と息を吐いたら、急に寂しさが込み上げてきた。


息子がサッカーを始めたのは2歳の春。近所のお兄ちゃんに誘われて出かけたサッカークラブの体験会がきっかけだった。公園の芝生に準備された小さなゴールと色とりどりのカラーボール。最初は私に隠れておそるおそる様子をうかがっていた息子も、コーチのやさしい声に誘われて少しずつお友達に近づいていった。数分後、転がるボールを追いかけながらキャッキャと声をあげはじめた姿を見て、この子はきっと上手になると思った。

普段から私は相当な親バカだけれど、その空間ではみんなが同じだった。どのお母さんも瞳を輝かせ、自分の子だけを熱心に追っていた。中でもひときわ目を引いたのは娘の名を呼びながらビデオカメラ片手に近づいていくお父さん。さすがにコーチも苦笑していたけれど、そんな何もかもが許される空間に私はどこかホッとしていた。

見守る親の中に何となく気になるお母さんがいた。向こうも同じだったようでいつのまにか隣になった。お子さんは息子より一つ年上、学区が違うからここに来なければ出会えなかったSくん。私たちは素敵な偶然に感謝して一緒に申込書にサインした。あの日は風が強くてスタッフが用紙を押さえていてくれたんだ。スタッフの顔は覚えていないのに紙製のバインダーの角がめくれていたことはハッキリ思い出せるのだから人の記憶はおもしろい。そのめくれた感じがクラブの親しみやすさとして私に印象付けられたのかもしれない。


有名なクラブチームや学校のグラウンドで長時間練習しているサッカーチームと違い、息子が入ったのは異学年が一緒に練習をするどちらかと言えば低年齢向けのクラブだった。上の学年の子が下の子の面倒を見る、そういうことも含めて技術よりも心を育てることが優先。だからサッカーを深く学ばせたい親は、小学校入学時、でなければ高学年に上がるタイミングで別のクラブに子供を移籍させた。息子の友達も例外なく辞めていき、Sくんが6年生になった時にはメンバーの半数以上が低学年になった。コーチは年齢別に練習メニューを変えてくれたけれど、他クラブの子との差は歴然。同時期に掛け持ちしていた小学校の部活動で、息子は辛い思いもしたのではないかと思う。

コーチへの特別な気遣いはいらない、お茶当番はない、送迎は苦にならない距離。コーチからの要望といえば「たまに練習を見てあげてください」だけ。子供だけでなく自分にも時間を使いたい親にとってそのクラブの環境はとてもありがたかった。

サッカー漬けの子供に付き合うには仕事が忙しかったからね、なんて言ってしまえば聞こえはいい。でも本当は違う。どのお母さんだって忙しいのは一緒だ。息子を他クラブに移さなかった理由は私自身にあった。


仕事中心だった私が”〇〇くんのママ”になった。退社後、ほんの少しの不便さを数ヶ月で乗り越えた仲間の頑張りを見て、私は自分の立ち位置を見失った。産後でもやりやすい仕事をまわしてくれた同僚には感謝しかない。子供を授かったことも本当に嬉しかった。それなのに、どうしようもなく寂しかった。

産院でできたママ友も育児サークルで会ったママたちもほとんどが年下だったけれど、みんなフレンドリーに接してくれた。お母さん1年生、みんな一緒だね、がんばろうね。だから本当は焦る必要なんてなかったのに。誰にも責められてなんかいなかったのに。

母になった私は自分に「できて当然」という呪いをかけてしまった。


手作り離乳食を用意する、全ての食器を消毒する、やさしい声で話しかける、音楽を聞かせる、本を読んであげる、知育玩具を上手に使う、決まった時間に散歩に行く、お友達をたくさん作る、ケンカを止めるタイミングに気をつける、自分でできることを取り上げない、成長記録を残してあげる、写真を撮る、ビデオを編集して祖父母に見せる、危なくないように部屋はいつも片付けておく…

大人のご飯を炊く時はおかゆポットも一緒に入れましょう。さつまいもやにんじんをアルミ箔に巻いて炊飯器に入れると便利ですよ。裏ごしした野菜は製氷皿で小分けに冷凍しましょうね。麺を切ったり野菜をつぶしたりできる調理器具は外出時にも重宝します。バナナは優秀なおやつ、専用ケースに入れて常備しましょう…

遠い昔に保育科で学んだ育児法、ベビー広告を作った時にベテランママから聞いた便利術。自分にとって武器になると思っていた知識が高い壁になって目の前を遮った。

「あんなに若いお母さんがやれるんだから、できないなんて言っちゃダメだよね」


笑顔をつくろうと鏡をのぞきこむ。疲れきった瞳が見つめるパサパサの髪に公園で見たお母さんの揺れる髪が重なった。止まらない涙が産後の急激な女性ホルモン低下の仕業だと気付けたら少しはラクになっていただろうか。


調べれば調べるほど混乱した。
考えれば考えるほどうまく動けなかった。


体験会に誘われたのはそんな時だった。


刈りそろえられた鮮やかな芝生、色とりどりのカラーボール、風を受けて走る息子のおでこ、見守る親たちの大きな拍手、Sくんママのやわらかな声、弾けるように笑うコーチの広い背中。


私は救われたのだと思う。張りつめた糸をゆるめるのではなく糸ごと目の前から取り去ってくれた人たちに。遠くまで見渡せるようになった景色の中、私は息子を抱き上げて思いきり笑っていた。

その日から「できない」も「教えて」も少しずつ言えるようになった。お呼ばれしたママ友の、オムツを捨てておいてくれるという言葉に甘えられるようになった。おみやげには気取ったお菓子より、炊飯器調理のさつまいもの方が喜ばれることを知った。

自分を変えるスイッチは、青空の下なんの前触れもなくポンと差し出された。あの体験会から10年、お世話になっていたのは私の方だったのかもしれない。

お母さんというものは時間と共にレベルアップするのだと思っていた。経験を積むほど子育てがうまくなっていくのだと信じていた。でも違った。どれだけクリアに子供を見つめられるか、どれだけ自分が笑っていられるか、それは経験値だけでは決まらない。



クラブ最終日、コーチが用意してくれた卒業証書には細かい文字がびっしり印刷されていて、私はなぜか角がめくれたバインダーを思い出していた。一緒に練習を続けた同級生で中学でもサッカーを続ける子は数えるほどしかいない。それを少し寂しく思いながら、コーチは長い時間をかけて想いを打ち込んでくれたに違いない。


「置かれた場所で咲きましょう」

メッセージの最後はこの言葉で結ばれていた。掴み取った場所ではなく置かれた場所って?他力本願な気がして最初は違和感を感じたけれど、数回読むうちに別の意味に気づくことができた。

望む場所に最初から行ける人ばかりではない。それでもやりたいと思えるものを見つけたのなら、まずは置かれた場所で咲いてみればいい。その場所が好きになるかもしれない、いい風が吹いた日に別の場所に飛べるかもしれない、きれいな花のウワサが広がって誰かが会いに来るかもしれない、可能性は無限。頑張れ、未来あるつぼみたち。


このクラブで育ててもらってよかった。心からそう思った。




新入生歓迎会で部活動の説明を受けてきた息子は、私にサッカーを続けなくてもいいかと聞いた。もちろんだよ。今までごめん、これからは好きなことをやってね。そう言うかわりに「ずっとやってたのにもったいなくない?」と笑ってみた。息子は頬を緩ませて「やりたくなったらまたやるよ」と答えた。

GWが終わるといよいよ部活動がスタートする。4月の仮入部期間中、いくつかの運動部を見学した息子もどうやら結論を出したらしい。

ボールを蹴って過ごした10年間は消えない。キミが掴んだものは決してキミを裏切らないんだ、なんてカッコいいことを言ってみようかと思ったけれど、らしくないって笑われてしまいそうだからやめておいた。でもこれからキミがどんな風に咲き続けていくのか、見守ることは続けさせてほしい。

コーヒーをおかわりするためにもう一度ケトルのスイッチを押したら、あっという間にすぐに沸く…がまた脳内で流れた。

でももう寂しくはない。ためこんでいたモヤモヤをため息がどこかに吹き飛ばしてくれたのかもしれない。


慌ててベーコンを焼く休日がもうすぐやってくる。






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