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眠れない夜にnoteを開いたら

小さい時からよく泣く子だった。

早生まれの長女。みんながそうではないと思うけれど、私は小さくて、何をするにものんびりで、よく転んでいたらしい。4月から夏頃までに生まれたお友達とはまったく違う成長をたどる危なっかしい娘は、初めて親になった夫婦にとって絶対的に愛おしい存在だったのだろう。いつでもどこでも守られていた。転べば必ず抱き上げてもらえたし、痛いと泣けば、大丈夫だよという魔法の言葉がかけられる。愛をひとりじめして4歳まで育った。

おさがりばかり着せられた妹は、膝にお花のパッチワークがついたズボンがどんなに恥ずかしかったかを話し出すと止まらない。比べられてイヤだったことも一緒に吐き出す。「お姉ちゃんはそんなことしなかったのに」とかさ、私なんて県大会まで行ったのに褒められたこともないよ。まぁ、失敗例も見れたからラクなこともいっぱいあったけどね。

ゴメン、ゴメン。

最初のゴメンはイヤな思いをさせたことへ、後のゴメンは、小さい頃の記憶をあまり持っていないくせに、いつも妹を守ってきたと得意気になっていたことへの反省。


叱られると私はシクシク泣いた。いい子でいられなかった自分の失敗が悲しくて、なんてひどいことをしてしまったのだろうと怖くて泣いた。叱られると妹はプイッとそっぽを向いた。母の怒りのボルテージは上がり、外に出ていなさいと怒鳴られる。なんの抵抗も弁解もせず玄関先に立った妹は、まず大きな声で泣き叫び、数秒後にパタっと泣き止んだ。心配した母が慌てて鍵を開けるとササっと家の中へ。妹の作戦勝ちである。覚えていない昔話を聞きながら、次女ってすごいと感心した。小さいうちからそんなことを考えているなんて。もちろんみんながそうではないと思うけれど。

良くも悪くも私の涙は操作できない。こういう時に泣ける子がかわいいんだろうなと思う瞬間にはじわっともしないくせに、今泣いちゃダメだと思う時は止めどなくあふれ出る厄介な相棒。それでも、新しい朝を迎えることができたのは涙のおかげだった。

留学先に向かうあの人を見送った空港で。
最終の新幹線が視界から消えたホームで。
鍵を返して乗り込んだ東西線のシートで。

家族の元に帰っていく背中を見送る朝に。
幸せにする自信がないと言われた七夕に。
大切な父を突然失ったあの暗い冬の夜に。

ーーー

小さい時からよく泣く子だった。
悲しい時はいつも涙が出た。

なぜだろう。

思い出すだけで苦しくて
失うことが怖くて
会えない今日がこんなに悲しいのに。

新しい朝を迎えられないまま続いていく毎日。
妹にさえ打ち明けられない心。

なぜだろう。
私はいつも笑っている。

ーーー

眠れない夜にnoteを開いたら、素敵な文章を書く人たちが無数の星みたいに輝いていてまぶしかった。心が震えて、壊れてしまいそうで、必死にしがみついた。

涙が私に戻ってきてくれるかもしれない。
そう思えたことがなにより嬉しかった。


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