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コミュニティを特定しよう

コミュニティとは何だろうか。最近、コミュニティデザイン、という言葉もこの10年くらいで頻繁に聞こえる様になってきたが、それがなんとなく市民参加や、誰のものかわからなかったりするのでモヤモヤしていた。先日話を聞いて、「あ、これか」と感じたことを書いていく。

コミュニティは、もはやカタカナ言葉として通じる言葉になっているが、日本国語大辞典によると、以下の様に書いてある。

村落、都市、地方など、地域性と共同性という二つの要件を中心に構成されている社会のこと。特に地縁によって自然発生的に成立した基礎社会をいう。住民は同一の地域に居住して共通の社会概念、生活様式、伝統をもち、強い共同体意識が見られる。地域社会。共同体。

現代の情報社会においては、ここまでの共同体が存在することがなくなってきてはいると思うが、群馬県の共同体のある集落で暮らしている哲学者の内山節さんは「共同体の基礎理論」という本の中で以下の様に書いている。

「共同体は二重概念と考えている。小さな共同体がたくさんある状態が、また共同体だということである。ひとつひとつの小さな共同体も共同体だし、それらが積み重なった状態がまた共同体だとでもいえばいいのだろうか」

つまり、綺麗な輪っかでつながるコミュニティなどはなく、様々な人が、様々なつながりでまとまりあっている状態が一つの共同体であるのだろう。例えば、昔の小学校でもみんな友達と言いつつ、仲の良い友達と仲が良くない友達もいただろう。大人になって振り返れば、ある意味ではすごく閉じられた地域社会にいても、そんなものなのである。なのに、大人になるとコミュニティデザインなど言われると、これらがまとまりそうな気がしてくる勘違いをしている人が多く存在する、気がする。

ということで、先日聞いた話に戻りたい。あるツアーの企画をしている人が、石を拾うツアーを企画したそうだ。その金額も1泊2日で数万円、会場全体が、誰がお金払うんだ?!というの雰囲気になった。

では、誰が来るのか、、、

「パワーストーン」が好き

が来るそうだ。そして、それが

コミュニティだ

と言っていた。その人は、そういったある特定のモノに興味・関心を抱いている人に向けて、企画・商品をつくるんだそうだ。あぁ、これが現代におけるコミュニティをマーケットにおいた最たる例ではないか、と感じた。
さて、情報学の西垣通さんは、「集合知とは何か」という本のなかで、

”コミュニケーションとプロパゲーション(意味伝播)をつうじて、主観的な一人称の世界認識から、(擬似)客観的な三人称の知識が創出されていく。形づくられるのは、一種の社会的な知識であり、意味である”

と提示している。コミュニケーションを前提とした形成されるものが、昔の共同体の発生とする。そう考えると、ムラ社会のような情報が閉じている地域ではない現代において、「意味伝播で発生し、一人称から三人称の社会になった瞬間」が、これからの最小のコミュニティ単位ではないかと感じた。

もちろん、それが全てではないが、

何かに取り組むときのターゲットとなる「コミュニティ」はどの様なものか、的確に特定すると課題解決も早いかもしれない。

ということで、ある地域にこれから入るのだが、つながりを丁寧に感じながら、仁義とともに話あいつつ、無理に付き合うこともせずに、楽しくやっていきたい。

Credit
文章:Teppei Kobayashi(風景屋)

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