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子どもが生まれてから2年

2020年5月の最後の土曜日となり、6月へと突入しようとしている。早いもので子供が生まれてから2年が過ぎようとしている。

子供はこんなにも成長するのかと、大人になってから過ごす2年間と生まれたばかりの子供の2年間では変化の度合いが全く異なる。

そしてこの2年間、自分も振り返ると様々なことが変化したなーとつくづく思う。子供が生まれたが5月22日。その前日がパリの写真学校の卒業展示会の初日でもあり、学生でもあったわけだ。

そして、子供が生まれた場所もパリの現地の病院で誕生した。子供が生まれた日の朝、パリの市役所へ子供の出生届なるものを提出する必要があり、病院から一歩外へと出ると、昨日とは明らかに世界が異なる。

まるで、世界が子供の誕生を祝福しているように、全てのものがビビッドに見えたのだ。これは誇張でもなく、本当にそう感じた。これってクスリやってキマったような感じなのかもしれない。彩度が上がり、光が増している世界。

それほどまでに、子供が誕生するということに驚きもあり、そのときは自分の子供が誕生したということがいまいち信じられなかった。この地球上で新たな生命が、そして家族となるという事実をうまく噛み砕くことができていなかった。

ついでに、日本では認められていないけれども、フランスではミドルネームも加えることができるようでもあり、奥さん同僚がヨーロッパ圏でもわかりやすい名前をつけたらいいと提案してもらい、ミドルネームも「セバスチャン」という名前で申請した。

その翌日には、写真学校も終了となり、晴れてこれまでの学生からプロフェッショナルのフォトグラファーへとなるわけであったが、これもまた戸惑いでしかなかった。さあ卒業しました、後は自分たちの未来へと羽ばたいてくれと言われても、殆どの学生がどうしていいかわからない状態であった。

数人が写真スタジオで働くことが決まっていたけれども、9割以上の学生が、フリーのフォトグラファーとなったのだけれども、実状は誰も安定的な仕事についてない状態で卒業した。多くの仲間に今後どうするのと聞いても、わからない。仕事ない。とそんな感じでもあった。(定年暮らしのおじさんは安定収入があり問題なさそうではあったが)

日本人の僕は卒業して何もないという状態に、何かしなくてはと危機感のようなものを抱いていたけれども、多くの学生は、しばらくはバカンスとして旅行したり、フランスの語学学校に行くなどと、のんびりしていた。

その辺りは国の違いなのだろうか。今でもあの感覚は不思議でならない。アジア圏の学生は、危機感を持っていた気もする。

ということで、子供が生まれたけれども、無職に近い状態であった。幸い、仕事が少し入り、国際機関での写真の依頼も来たこともあり、まーまずは少しづつ、一歩づづやっていくしかないな、なんて思っていたあの頃が懐かしい。

そう、どうやら2年前の僕は、子供が生まれ病院から家で家族3人で暮らしていたようだ。それが今からちょうど2年前。

また続きかけたら書きます。ごきげんよう〜

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