-AI編集者の登場-

これからの働き方

昨日Newspicksを読んでいたら、こんな記事が流れてきた。要するに編集者をAIが置き換わるということだ。こういった話は、最近のテクノロジーの進化もあり、そんなに驚くこともなく、今後も増えていくことが当然予想されている。

けれども、これまでのAIに置き換わるという記事は、そこまで僕の中ではインパクトがあまりなかった。けれども、以前海外のニュースを日本人向けに日本語に編集し、配信する会社で働いていたこともあり、この編集者がAIに取って置き換わると、編集者として働いていたあの人も働く必要がなくなると思うと、時代だなと思えてくる。

もちろん、すぐに編集者がAIに置き換わるわけでもなく、近い将来に編集者という仕事が、単価が安くなってしまうことを暗示しているとも言える。

そして、同時に何人ものニュース翻訳者として働いている人も、このあたりの作業はAIに取って置き換わる、もしくはAIがざっと翻訳してくれて、細かい修正などの翻訳者としてというよりは、校閲する人はチェックも兼ねて必要な業種だと言える。

したがって、従来の翻訳者に対する生産価値なるものが、相対的に下がってくるのが長期的な視点で見たら傾向として現れてくる。

そんなことを先ほど記事を読んで考えたことだ。

AIに代替することに拒否反応を示す人も多いかもしれないけれども、これまで人が行なっていた労働が機械に置き換わることで、我々はより快適になり、より創造的なことにフォーカスできるようになり、個人的には賛成だ。

例えば、昔は駅の改札で駅員さんにチケットを渡して、毎回確認している作業が、今ではSuicaをかざすだけで簡単に電車に乗れてしまう。

さらに言えば、自動車。今、私は台東区に住んでおり、なぜか人力車をよく見る。もちろん早く目的地へ到着したいから乗るなんて酔狂な人はいない。浅草観光の一環として、古き時代の乗り物に乗るエスクペリエンスをしたいという要望に答えての人力車だ。

けれども、以前は目的地に向かう移動手段として馬車・人力車、日本の場合は駕籠なるものもあったけれども、今では当然自動車に置き換わった。

また電話に関しても、電話交換手なる人が、電話する側と電話を受け取る側の間に介在し、つなぎ役をしていたけれども、今では当然そんな仕事は存在しない。

我々はその当時の生活スタイルには、不便すぎてもう戻れない。過去を振り返ると、もうあの頃の不便さに戻れないわけであり、今度は未来に目を向けて、2050年に生きた時代から現代を見てみると、多くのことが人力で行われており、それが当然。人によってはロボット・AIに置き換わることで職が失われると恐れを抱く人もいる。

けれども、オートメーションは自然な流れでもあり、川の水が上流から下流へと流れるようなもので、川の流れに逆行して上流に進んでもエネルギーを消耗してしまうだけのようだ。

これからの時代、人はこれまでのような働き方をすることもなくなり、より創造的に、余暇時代を楽しみ、古代のアテネ時代の賢人たちのような生活へとシフトしていくのだろう。

そう思うと、未来の地球が楽しみでもある。

それでは、ごきげんよう。


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