#キナリ杯【超難問】アンパンマンからの挑戦状!なんのために生まれて~♪なにをして生きるのか~♪自分の中に答えはありますか?#初投稿

はじめに

(※この記事は読み終えるまで、たぶん3分以上はかかってしまいます)

みんな大好きアンパンマン!!!!!

あれ?そうでもないですかね?

・・・・・。

・・・・・。

気を取り直して。

好きかきらいかに関わらず、

実は、アンパンマンの歌には、超難問(人生の壮大なテーマ)が隠されているんです。


なんのために生まれて~

なにをして生きるのか~

こたえられないなんて~

そんなのはいやだ~


なんのために生まれて、なにをして生きるのか。


ファッ????????


改めて考えてみると、めちゃくちゃ難しい。

人生の壮大な永遠のテーマ。

答えが分からない。

でも、


こたえられないなんて、


そんなのは確かにいやですよね。(笑)


うむ。


・なんのために生まれて

・なにをして生きるのか

アンパンマンからの問いかけにバシッと答えたい。

そんな人生を歩みたい。

という方向けに、

#原大本徹

と呼ばれる、立志メソッドをご紹介したいと思います。

『これが広く知ってもらえればよいなあ!!』

『少しでも誰かの参考になればよいなあ!!』

という思いで、今回#キナリ杯に応募しました。記念すべきnote初投稿!!

なので、賞金やお金のためではありません。まじです!(笑)

私自身(いや、お主だれやねん!!と思われるかと思いますが、、、)の人生をベースにしながら、原大本徹についてご紹介していきます。#だれが興味あんねん!とはおっしゃらないでください。。。

皆さんもぜひ時間をとって、いっしょに考えてみてください~!

・なんのために生まれて

・なにをして生きるのか

について、悩まれている方、分からない方に、考え方の一例として、少しでも参考になればうれしいです。


立志メソッド!原大本徹とは??

1度しかない人生を、自己確立を実現して歩んでいくため、

つまり、

人生の羅針盤、ブレない軸を見つけるため

1人1人だれしもが役割や使命があり、世の中での役割や使命を見つけるため

に取り組むのが原大本徹です。

具体的には、

「自分の人生を1本の木に例えて」

考えていきます。

少し詳細にみていきましょう!

① 原点(種)

『自分はなんのために生まれて、どんな生き方をしようと思っているのか』

という、自分の志やミッションにつながる、

そのきっかけ、出会い、出来事

が原点になります。

本氣(=志)の素になるので、素志とも言われます。

自分の人生の原点は、木でいう所の種です。

もちろん種がないと幹(=志)は育たないのでむちゃくちゃ重要です。

原点は大きく2つに分けて考えることができます。

・表層の原点

・深層の原点

例えば、とある志が高い政治家に出会ったとして、その方に心から尊敬して、

『自分も政治家になって日本をよくするぞ!!』

と思うような、志に直接つながる明確な出来事があった場合は、

「表層の原点」

になります。

もし仮に、自分以外の大勢の人も、その政治家に出会っていた。

でも、他の人は『政治家になろう!』と思うほど影響を受けていない場合、

『なぜ自分だけが政治家になろうと思えたのか?』

を更に深めてみる必要があります。

同じ出来事があったとしても、心が動く人と動かない人がいます。

例えば、知らなかっただけで、実は先祖の中に、市民から尊敬され、愛されていた政治家がいた。

それによって、無意識的に政治家に惹かれるようになった!ということが分かったりします。(遺伝子的なものがあるかもしれません)

これは自分でも明確には気づいていなかった原点なので、

「深層の原点」

になります。

自分自身に対して、

『なぜなぜ?』

と、何度も問いかけて過去を深堀していくと分かってくることがあります。


② 大局(根っこ)

どこまでの範囲(家族、友人、地域、日本、世界)を「我がごと」として思えるのかを考えていきます。

つまりこれは自分が、『ほっとけない』と思うような感情です。

木で考えると、根っこの部分が広がらないと、大きな幹(=志)にはならずに、直ぐにポキッと幹は折れてしまいますよね。

ですよね!

木は、根っこが広がれば広がるほど、ドシッとした強くて太い幹になっていきます。

例えば、自分が校長先生(なんで校長やねん)だとして、『ほっとけない』と思うような感情は、

「自分の学校の先生や生徒、その保護者」

になりますよね!たぶん。ですよね。

ただし、そこから更に、教育を通じて、日本の未来・発展まで見据えている場合は、我がごとの範囲が、ぐーーーーん!と広くなります。

このように我がごとの範囲を、自分のごく身近なことだけというような狭い範囲から、

過去(先人のおかげで今があるという思いを持つこと)や、

未来(将来に良い社会を残さないといけないという思いをもつこと)や、

地域、日本、世界のために!

など、我がごとの対象範囲(大局)を広げていくことで、

器の大きい人間

になり、ちょっとやそっとではブレない太い志を確立することができます。

大局を無理やりに広げることは難しいと思うので、人との出会い、実体験、誰かのことば、文章、本などからのインプットが必要になると思います。


③ 本氣=志(幹)

これは木でいう所の幹になります。

・なんのために生まれたのか?

・人生をかけて何を行うのか?

・本氣で何を成し遂げるのか?

を考えます。アンパンマンへの回答ですね。

ここでは自分が、

心から興味・関心を持つこと、惹かれること、使命感を感じること

が大事です。見栄とか、プライドとか、そういうものではないです。

例えば、夢が弁護士だとして、その理由が給料が高いから、合コンでモテそうだから(=自分のため)であった場合は、本氣の志にはなりません。

でも、次第にその目的が、

「目の前の困っている人を助けたい」

「地域社会の課題を解決したい」

というように、

相手のため、社会のためという使命感

に変わっていけば、その夢は、本氣(=志)になっていきます。


④ 徹底(枝葉)

志を実らせるためには、知恵・工夫・戦略が必要です。

本氣の志を実現するためにどうするのか、具体的な内容や、また志を諦めないようにする継続力が重要になってきます。

志を成し遂げるために、短期・中期で何をしていくのかを考えます。


JP(じぇいぴー)の原大本徹 

はい!

とまあ、こんな感じなんですが、、、、、

あんまり分かりにくいですよね!!!(笑)

イメージしやすように、わたくし自身の過去を振り返りながら、ご紹介したいと思います。#だれが興味あんねん!とはどうぞおっしゃらずに。。。

少しでも参考になるように、恥をさらしながら、素直な気持ちで書かせてもらいました。

表面的なことだけではなく、隠している過去、向き合いたくない自分など含めて、深い所まで内省することで、ようやく素の自分、等身大の自分、本当に自分がやるべきことが見えてくるのかもしれません。


1. 原点(種)

深層の原点①

-両親・ご先祖から受け継がれるDNA。「素直・利他・勤勉・好奇心旺盛・ユーモア・社交的・教育熱心」-

『へ?なんで自分の両親や先祖が、自分の志や原点に関係するんですか?』

という方も多いかもしれませんが、自分が志を立てて社会で活躍していくためには、1人1人が持つ個性を発揮することがとても大切です。

その個性は、後天的なものもあるかもしれませんが、遺伝的に受け継いでいるものがあるので、両親やご先祖まで範囲を広げて、

・自分自身は何者か?

・どんな個性を持っているのか?

を深堀していきます。

また、過去と自分のつながり(両親や家族などと自分のつながり)がある人は、志もしっかりとしてきます。

つまり、

・過去(両親、ご先祖、先人)のおかげで、現在の自分がある

・なので、自分を大切にして未来のために使命感を持って生きたい

という感覚がある人は、志も太くなっていきます。

『両親や先祖のことは全く感謝も尊敬もしていないし、むかつくし、どうでもよいけど、日本は良くしたいし、社会貢献したい!世界平和にもなってほしい!』

みたいな人は、上っ面っぽくて、あまり信用できないですよね。(笑)

生まれてきた以上は、だれしもが両親や、ご先祖から何かしら恩恵を受けているのでは、と思います。

学生時代、思春期の自分はそんなことは思えていませんでしたが、、(笑)

なので、自分がブレない志を立てるためには、自分のルーツである両親やご先祖のことを知り、つながりを感じとることが大切と思っています。

自分の話に戻ると、おじいちゃん(父方)は、民宿を経営しながら漁業組合長としても活動。瑞宝章(公共事業に長年携わった人に贈られる賞)を貰いました。

世のため、人のために生きた「利他」の人。

もう1人のおじいちゃんは(母方)は、第二次世界大戦中で船に乗って日本海に出航していましたが、ソ連軍から爆撃を受けて沈没しました。

不幸中の幸いで、なんとか奇跡的に他国の船に助けてもらったようです。

今自分が生きていること自体が奇跡。感謝の気持ちが、ふつふつと芽生えます。ほんとうにありがとう。

また、両親については、ともに同じ仕事を何十年も辞めずにコツコツと続けており、めちゃくちゃ勤勉

さらに、父は家の中では寡黙でしたが社交的。母は好奇心旺盛、素直、ユーモアがある性格。また、私欲が少なく自分のことは後回しで、自分や兄への教育が熱心でした。

これらは、今の自分の個性にピタッと当てはまっていて、ご先祖や両親から受け継いでいるものだと実感します。

このようにして、自分の個性を深堀するために、また過去と自分のつながりを持つために、両親や、ご先祖にまで遡ってみてください。


深層の原点②

-家庭環境(家族の温もりを感じない。家族関係の希薄さ。愛情表現の仕方が分からない。夫婦喧嘩がいやで「平和主義」の気持ちの芽が出る)-

 父親は亭主関白で外では社交的でしたが、家では寡黙な内弁慶でした。

正直、父親がいる時間は無言でした。

子どもの頃、家族の中に思いやり、温もりをあまり感じなかったのが本音です。

なので、本音で話したりできず、家族に対する愛情表現の仕方が分かりませんでした。

父親と母親から、口喧嘩の最中に、『自分の方がすきやんな?』と、それぞれから言われて、びくびくしながら『両方!』と答えたことを今でも鮮明に覚えています。(笑)

なので、対立する人間関係の中で、バランスよく立ち振る舞う性格、ケンカや争いをきらう『平和主義的な性格』になっていきました。

家庭環境は、

自分の人格形成に非常に密接にかかわっています。

ですので、自分の原点を掘り下げる際には、特に幼少期~今に至るまでの家族との関わり方と、素直な心で向き合ってみてください。


深層の原点③

-小学~中学時代(貧弱な身体、器用貧乏な自分がコンプレックス。が、『できないことは無い』と思い込んで、母親に素直⇒傲慢な性格になり始めた)-

小学校1年生の頃に、ガキ大将とケンカをして負けました。

開始早々に、ケリで金的攻撃を一発食らった感じでしたが。(笑) 

まあ、元々身体は細くてガリガリ。再戦しても無理でしょう。(笑)

深層的には、ガリガリで身体的に貧弱な自分がコンプレックスでした。

幸い得意だった勉強、スポーツ(サッカー、リレー選手の選抜)、習字、コミュニケーション(替え歌やトークで人を笑わせるのが得意)など、様々なことでコンプレックスを補っていって、母親や先生からも褒められ、自尊心や自信を保っていきました。

特に今でもそうですが、ムードメーカー的に、人を楽しませることは1番好きでした。

母親と、親戚のよっちゃんと小学3年生の頃、ご飯を食べているときに、

『かわいい子には旅をさせよ!っていうことわざがある。だからお前もいつかは旅に出さなあかん!』

と言われて、当意即妙で、

『でも自分はかわいくないよ(にこっ)』

と、発言し、2人の爆笑を取ったことがあります。

あれ、あんまおもんないですか?(笑) 

母親、親戚は子どもの発言は何でも笑ってくれるだけかも、、、

あと、たしか2人はめっちゃ酒のんでた。

・・・・。

脱線しました。時を戻そう。

小4くらいまでは何でもある程度、1番得意だったけれど、母親から期待される理想の自分と、現実の自分とのギャップが、この頃から徐々に出てきました。

勉強もスポーツも比較的にできたけれど、自分よりもテストで高得点を取る友達や、自分より足が速い人が続出。1番になれるものがない。

出来ない弱い自分を見せられない、自分を守りたいという防衛反応からなのか、テスト5科目で数問カンニングをして全科目で満点を取ったこともありました。。。。(笑)

でも、自分の弱さを見せたくないという心の底では、自分に期待している母親を喜ばせたかった、悲しませたくなかったから、という素直な気持ちがあったと思い返されます。

ズルして、みんなの前で拍手喝さいを受けた時は本当に複雑な心境でした。

その頃一時的に、明確な理由はよくわかりませんが、ご飯がほとんど食べられない摂食障害にもなりました。

大きいおかずのスープが、まじで5滴くらいしか飲めない時期でした。(笑)

つらい!!

小さいおかずの器でも、全然事足りたレベル。

この頃に参加した、学校外の自然教室(トムソーヤスクール)に参加して、そこで同じ年齢の四国出身の仁井(にい)くんと出会いました。

同じようにご飯があまり食べられない仁井くんと、

『ご飯食べられないよねー』

と笑い合って、カレーを残し合いました。リーダー(おとな)も『無理に食べなくても良いよー』と、やさしく言ってくれました。

実は強くないありのままの自分を受け入れてもらえた安堵感

自然教室の後は、なぜだかご飯が食べられるようになっていました。

で、この頃からは、全ての分野で幅広く、ある程度人よりもできるけど、だれにも負けない絶対的な強みがない器用貧乏なタイプで、それも深層的にはコンプレックスになりました。

母親からも、『習字の才能あったの辞めてしもて。なんでも中途半端で器用貧乏やなあ。もったいないなあ』と言われて、そんな自分に自信がありませんでした。

やはり言葉の中に、「貧乏」が入っている時点で相当なネガティブワード。

ですが、人と比較して、『できないことは特に無い。万能的にできる』と捉えて、周りの人よりも何事も優位(1番は無理だけど)だと無意識に思い込むことで、心のバランスを取っていたのではないかと思います。

また、中学に入ると、偏差値教育の中で、明確に人との比較がなされていき、大学に行っていない母親や、学歴があまり高くない先生をからかって、元々の素直な性格から、傲慢な性格に徐々になっていきました。

母親は大学に行っておらず学歴や仕事にコンプレックスがあるようで、

『いい大学、いい会社に勤めるのが大事。人生安泰』と事あるごとに常々言っていました。

また、大卒で母親よりも稼ぐ父親が家の中で、威厳を持っている。

母親も逆らえない雰囲気。

そのような家庭環境、両親の関係性に触れていると、

・勉強ができればよいのでは?

・勉強ができる人が偉いのでは?

と、少しずつ考えが歪み始め、反抗期の時期も相まって、ケンカしたときは母親に対して、偉そうにマウントを取っていたような気がします。

これも恐らく、身体が貧弱&器用貧乏で何も明確に得意なことがないというようなコンプレックスがある自分、自信がない自分を守るための防衛反応だったように思います。

中学の頃は、偏差値で人との比較が明確になった勉強をよりどころにして、『自分はある程度上位だから大丈夫』と安心感を勝手に得て、心のバランスを保っていました。ほんとうは自信ない。


深層の原点④

-高校時代(できる限り偏差値が高い大学を目指す。誰かの価値基準で生きており、根無し草。また、両親に対する傲慢さが増す)-

地元の進学校だったので、良い大学に入ることが全てだという空気があり、母親も自身のコンプレックスから、良い大学に行くことを自分に期待しており、偏差値至上主義的な考え方になっていきました。

・自分が大学でどんな学問を修めるのか

・何を学びたいのか

ということにはまったく興味がなく、偏差値の高い大学や、優秀な学部が目指すべき道でした。

また、受験勉強中に、隣で無神経にタバコを吸い始めた父親と口ゲンカになり、それ以来、あまり話さなくなってしまいました。

ケンカの理由、今思えばめっちゃしょうもないかもですが、、、

自分にとっては当時、受験で良い大学に行くことが全てだったので、それに支障がでることを無神経にされるのは、腹が立ったんだと思います。

偏差値重視の考えだったので、

『父親よりも良い大学に行けばええんやろ!』

というような気持ちを、もつようになりました。今思えば、ひどく傲慢で、感謝の気持ちのかけらもなかった時期です。ごめんなさい。

当時は、両親や、過去のおかげで自分が生きているなんて、あまり思っていなかったです。

自分が生きていくことや、食べることに困らないように、母親は自分のしたいことは後回しで、しっかりと教育熱心にしてくれたので、今は感謝の気持ちしかないです。

父親も、黙々と同じ会社で真面目に働いて大学に行かせてもらっているので、今は感謝の気持ちしかないです。

思い返せば、当時の自分は情けないですが(トホホ)、、、今の学校教育では多からず少なからず、勉強が中心となり、子どもの人格形成は置き去りになっている部分はあるのではないかとも感じます。

人と人の比較の中で、人との競争の中でいかに勝ち上がるのか、それが重視されている気がします。

日本人は本来、人との調和を重んじた民族だと思います。

が、明治維新後の西洋型資本主義によって、競争や経済合理性を優先したことにより、日本人が本来持つ精神性や人格が徐々に失われているのかなとも思います。


深層の原点⑤

-19歳。ヒッチハイク(自主的な人生初の体験。周りの人や自分の子どもに誇れる経験を積みたい!と同時に自身のコンプレックスを補いたかった)-

大学受験に失敗。普通に第一志望に落ちました。(笑)

また、偏差値重視で大学を選んでいたこともあり、滑り止めの大学も特に興味があった学部・学科ではありませんでした。

なので、大学の勉強は当初無難にやり過ごし、サークルに行き、酒を呑んで、キャンプに行き、日々漫然と過ごす生活でした。

そんな中、大学1回生の秋ごろに、このままではいけないという危機感が芽生え、同じマンションのたけちゃんと語り合いました。

『何か自分が、自主的にやったという経験、また人に語ることができるような、自分の子どもができた時に聞かせてあげられるような経験を積みたい』

そして、たけちゃんと一緒にヒッチハイクをして京都から横浜に向かうことにしました。

今までの人生は、両親や、教師の価値観や、誰かに言われたことをして過ごしていましたが、このヒッチハイクは、

自分が自主的にやってみたい!面白そう!と思ってトライした最初の体験

となりました。と同時に、

自分が本当に何をしたいのかを見つける活動のスタート

だったと思います。

恥ずかしい気持ちを抑えながら段ボールをおそるおそる掲げてみる。

ヒッチハイクを開始するも、しばらくは車が止まってくれなくて、『恥ずかしいわー!もうだれかとまってくれやー!!』と上から目線で、えらそうで、傲慢な態度だったことをたけちゃんと2人で反省しました。

そして、何を思ったのか、HOME MADE家族(なつかしっ!)というアーティストの「サンキュー!!』の歌を2人で歌いながら、笑顔でヒッチハイクをすることにしてみました。(笑)

『いつもささえてくれる人たちに日頃の想いを込めたラプソディー。アプリシエーションの気持ちよ、とっどっけぇ~♪』

すると、これがまた不思議なもんで、1台すぐに止まってくれ、その後も、様々な優しさに触れながら横浜まで、無事に5日後辿り着きました。

できなさそうなことに行動を起こしたこと。できたことへの充実感。

がそこにはありました。

また、このヒッチハイクを通じて、今までの人生では、あまり感じてこなかった

感謝の気持ち

が、少し芽生えました。

この体験は、自分が興味関心があり面白そうと思ったことであると同時に、

器用貧乏で、何も得意なことがない、人に誇れることがないというコンプレックスをカバーする体験をしたい!!

というような、側面も心の底では正直あったと思います。

まだまだ、人との比較の中で、どうかという行動基準。

大学受験の偏差値サバイバルの次は、

就職偏差値サバイバル(?!)

を、無意識のうちに見据えていた自分がいたのかもしれません。

でもまあ、動機はどうであれ、シンプルに興味があることに積極的にトライしていった自分を素直に受け入れたいなと思っています。

理由としては、実際に、色々手あたり次第、自分の頭で考えて、興味があることに行動してきたことで、自分が何者か、何をしたいのかという輪郭が少しずつ見えてきたからです。

好奇心旺盛で、色々なことに手を出す器用貧乏な性格によって、本当に自分が、

『これだ!!』

と思えること、生涯をかけて本氣で取り組みたいことに出会える可能性が上がるのでは?と、今ではポジティブに感じています。

自分のコンプレックスを、そのままでいい、ありのままの自分でいい、と今ではそう受け入れ始めています。


深層の原点⑥

-20歳。受験に失敗して人生に悩んでいた友人へのアドバイス(目の前の人から感謝される、喜ばれる喜びを実感)-

白木屋のバイトをしているときに、同じキッチンのさとみ君は、浪人の末、超難関国立大学の受験に失敗し、滑り止めの大学に通っていることを嘆いていました。

自分も同じように大学受験に失敗していたので、

『大学は結局ハコだから、どこに行ってもそんなに変わらない』

『大学生の間にしかできへん活動をして、充実させるんはどうやろ?』

と、バイト代を握りしめて行ってみた人生初海外の体験談(ヒッチハイクで味を占めたあと、19歳の春休みに行ったヨーロッパ1周旅)を交えながらコンコンと話をしました。

すると、海外に1度も行ったことがない彼は、

『え?!海外に個人旅行で気軽に行けるのか。知らんかった』

と目を輝かせて、大学1年生の春休みに彼は自分と同じようにバックパッカーの旅に出ました。

こんな感じで、人生に悩んでいたさとみ君の行動が変わり、自分は感謝されました。

自分の知識・経験で人の悩みを解決に導き、感謝されるような、喜ばれることの喜びを実感しました。

人との出会いで人は変わる。

自分と出会って、その人の人生が変わるような、いい影響を与えられるような、そんな人生に自分はしたいと、深層的に思うようになっていたのではないかと思います。


深層の原点⑦

-20歳。トルコで教育インターン&ホームステイ(家族の一員として迎えてくれた。トルコ人の思いやり、母国愛を感じる。日本の素晴らしさを実感)-

学生団体のAIESECを通じて、トルコで日本の文化を、現地の中学校や高校でプレゼンする教育インターンシップに約6週間参加しました。

この活動の動機も、深層的には、他の大学生とは違う経験を積みたいという感じです。

コモディティ化した大学生活の過ごし方ではいや。

自分が落ちた第一志望の大学の人に負けたくない。他人との比較が自分の行動基準になる。

この頃は、まだそんな感じでした。

でも、動機はどうであれ、参加して本当に良かった。英語もほとんど話せない中でめちゃくちゃ不安でしたが、本当に行って良かったです。

トルコ人はみんな家族思いで、自分にも家族同様に接してくれました。家族の思いやり、温もりを初めて体感しました

また、トルコ人は家族愛だけではなく、母国愛も強くて、国としての力強さ、エネルギーを実感し、その辺は今の日本と違うなあと感じました。

家族愛と母国愛は密接にかかわっているのでは。

深層的にそのようなことを考えるきっかけになったのではないかと思います。

プレゼンに関しても、トルコ人は日本の文化に興味を持ってくれて、日本が誇らしく感じるようになりました。

今まで日本にいて、当たり前だったことも、尊敬のまなざしと共に、関心を持ってもらえる。日本にいた時には気づかなかった日本の良さを実感することができる。

プレゼンも、いかにトルコの子どもたちにとって学び深くなるのか、喜んでもらえるのかを考えていると、時間を忘れるほど準備に熱中していました。

帰国後も、自身の体験を生き生きと次のインターン候補生に語っている自分がそこにはいました。

そんな感じで、

誰かに自分の知識や経験を話して、喜んでもらえることが好きなのでは?

と、このインターンを通じて、少しまた自分の輪郭が見えてきました。

また、親日国であるトルコは、日本の技術力を尊敬しているとのことでした。

『天然資源が取れない日本とトルコ。でも経済発展はまったくちがう。その理由は日本の科学技術力との差だとおもう』

と言われ、日本の技術力の高さへの誇らしさと同時に、家電量販店でサムスン製が立ち並ぶ様を見て、日本への危機感も覚えました。(それが新卒でメーカーに入社したきっかけになります。詳細はあとのほうに書いています)


深層の原点⑧

-22歳。フィンランドのヘルシンキ大学教育学部に交換留学。但し、豊富な人生経験を積んだ教育者になるべく、帰国後は民間就職を決意-

教育学部としては最高峰の広島大学でサッカー部のキャプテンを務めていて、その後、小学校の教師になった従弟(いとこ)を、母親は文武両道だとして尊敬しており、自分も漠然と尊敬をしていました。

なので、漫然と教育や教師には昔から関心がありました。

英文科に入ったものの、英文学に興味があったわけではなく、その大学の中で1番~2番目に偏差値が高いとかで入った程度なので、授業は興味がありませんでした。

でも、外国語教育に関するゼミがあり、また教職課程もあり、そこの分野は、やはり興味を持つようになっていました。

今思えば、自分の人生を投げ打って、自分のようになっては欲しくないとの真心から、教育熱心で、元々保育士だった母親の想いを潜在的(遺伝子的)に受け継いでいるのかもしれないと、若干思う所があります。

外国語教育のゼミで勉強する中で、フィンランドは母語が英語とかけ離れている中で、英語力が高いことに気づきました。

そうなると、

『日本も母語が英語と文法的にかけはなれている中で、英語はなぜ話せないのだろうか??』

という素朴な疑問が湧いてきて、それを勉強したくなって、フィンランドに1年間交換留学に行くことにしました。

また、英語学習に限らず、様々な科目の教育方法(北欧は教育が有名)に興味があったので、自分で現地の中学校・高校にメールをして、視察に行かせてもらうようになりました。

例えば、社会科の授業を見学したのですが、日本のようにただ単に歴史の年号を覚えるような授業ではなく、『なんでヒトラーのユダヤ人迫害が起きたのか?』、『それが起きなかったら、世界はどうなっていたと思うのか』というような、

・自分の頭で考える授業

・想像を膨らませる授業

が行われており、自分が受けてきた日本の教育との違いを実感しました。

色々と教育については学んだものの、結局、教員採用試験を受けずに民間企業で働くことを決めました。

理由として、

・多様な人生経験を積んで人を導いてあげられるような

・視野を広げられるような

・誰かの人生の教科書(良い面も悪い面も)のような

そんな人間、教育者になりたいという思いが芽生えたからです。

酸いも甘いも経験した深みのある人間。算数や英語といった、教科書以外の大切なことを教えたい。だから、学生経験だけでは不十分。

子どもは最終的に大学生になることがゴールではなく、その先の社会で個性を活かして、生き生きと活躍することがゴール。

そのためには、

自分が豊富な社会経験をしていないと伝えられない。

そんな思いがありました。

そもそも、自分自身がそのような社会経験、人生経験豊富な先生に出会いたかった、という思いもあったのではないかと思います。

また、自分自身が極端に侵されていましたが、良い大学、良い就職先がゴールとなっている今の学校教育システム。

受験競争にさらされて、子どもの個性も引き出されない。

そうなると、自分がそうでしたが、

・自分は本当は何がやりたいのか分からない

・自分の個性が分からない

・勉強して人に勝つことが大事。良い大学の人が偉い人。

というような、子どもが育ってしまう可能性があります。

ですので、

・1人1人の個性や能力を認めて、それを引き出すような教育

・人との比較ではなく、自分「は」何がしたいのかを考えるような教育

人間性(人に感謝して、他人を思いやれるような人)を磨くような教育。

そのような教育が求められているのでは、と自分の教育体験から、反面教師的に感じているところです。


表層の原点①

-24歳。「素志」の芽生え。南出さん、寺前さんとの出会い(傲慢な自分と向き合う。人格者になるための第一歩。「おかげさまの心」と「思いやりの心」)-

ここから表層の原点になります。

自分の志に直接的な影響があった出会い、できごとです。

就職活動を無事に終えた頃、

『人生を通じて、あまり人から感謝され、喜ばれる経験が少ない』

と、虚無感を感じていました。

『人や社会の役に立っていない』

『周りの人や社会や日本をよくするために何かしたい』

と、思っていた頃、たまたまのご縁で大阪府の泉大津市議の南出さん(現市長)と出会い、南出さんが立ち上げられた「松南志塾」で議員インターンをすることになりました。

インターンの同期や、地域の方と一緒に、地域を盛り上げるため、地域のコミュニティを作るためにイベント企画・運営を行っていました。

イベントについては、「自分は何でもできる」と過信して、仲間をあまり信じておらず、案の定イベントの初日に失敗しました。

現場は大混乱し、イベントで物販をしていた、地域のお店の方からもお叱りを受けました。

また、イベントの企画中も、メンバーの女の子からも、

『なんでそんな偉そうな、ひどい言い方をするん!!』

と言われて、泣かせてしまいました。あのときは本当にごめんなさい。

南出さんを始め、インターンの同期から、家庭環境・学校教育を通じて徐々に形成されてきた、

高慢な態度」

を指摘してもらい、人と初めて本音で話し、自分が人に話すことを避けていた過去や自分の内面と初めて向き合いました。

この時は、ありのままの自分を受け入れてもらい、真摯に向き合ってもらえたことに、心から感謝の気持ちでいっぱいでした。

この出来事や出会いをきっかけとして、

・「おけげさまの心」で周りや過去に感謝すること

・「おもいやりの心」で恩に報いること

そういうことができる人格者、リーダーになると心に決めました。

24歳の冬の頃でした。


表層の原点②

-28歳。東北の被災地で漫才のボランティア。個性を活かして、情熱を燃やして取り組んで、感謝される喜びや充実感―

新卒で入社したメーカーで社会人として研鑽に励んでいた頃。南出さんの議員インターンの同期からの誘いで、東北のボランティアに参加しました。

このボランティアは、

「自分にできることで、精一杯目の前の人のために貢献する」

をテーマにしていました。

自分は幼少期の頃から、人を楽しませることは好きだったので、初めて漫才コンビを結成し、漫才でボランティアをしてみることにしました。

結果、

初日は泡を吹きそうなほど、スベリまくりました。(笑)

が、

2日目は反省点を踏まえて、何とか東北の方々に笑っていただくことができました。素人でしたがなんとかなりました。

いやはや、人を楽しませることは、時間を忘れて夢中になってしまう。

また、声や表情で、自己表現をすることが好き。

昔から、素の自分は社交的で、

・人のために何かすること

・人を楽しませること

・人を笑わせること

が好きなんだと実感。

自己犠牲、自分の時間をいとわずに、夢中になって取り組めるし、ありのままの素の自分、自分らしさを実感できた経験でした。

また少し1つ輪郭が見えてきた。


表層の原点③

-29歳。アドバイザリー職に就く。目の前の人のために、悩みや課題を解決する仕事は自分に向いている天職だと実感-

米国公認会計士(USCPA)の資格を取り、新卒で勤めていたメーカーを退職して、財務会計のアドバイザリーの仕事に転職しました。

転職の話の前に、新卒入社の話。

世界で感じた日本の誇りと、またそれと同時に、年々低下していると実感した日本への危機感、日本のプレゼンスを高めたいという思いで世界に誇るインフラ関係の技術力がある重工メーカーに新卒で入社しました。

海外営業部で高品質な日本の製品を世界に売ることを想定していました。

しかし、製品を売るためには、まずはモノづくりを知らないといけないという会社の方針。『たしかにそうだよな!』と納得感を持って、工場営業部門に配属となりました。

工場営業部門とは、事業全体の司令塔(扇の要)の役割の部門。器用貧乏で広く浅く物事を知りたい、また、それゆえに部分最適よりも全体最適を図りたいという、自分の性格には大変相性の良い部門でした。

でも、上司からは、

『間接部門の仕事はできて当たり前で、減点方式!』

と、配属初日から言われており、自分の個性を発揮して、トライして頑張っても誰からも感謝されたり、評価されることが少ないことに、若干の物足りなさを感じていました。

その後、入社5年目に当初希望していた営業部(国内だけれども)に配属。

しかし、文系営業ができることはあまりなく、技術部とお客さんの調整役。

接待など、お客さんと一緒にスナックで歌って踊って盛り上げて。

『自分ほんまにおもろいなあって』って言われて、嬉しかったのですが、自分が仕事の中で付加価値を生み出せないもどかしさがありました。

お客さんからの複雑な技術的要望を、営業技術や工場など、横に受け流すことが精いっぱい。

発電装置のようなプラントは、ただ単に売るのではなく、仕様協議を重ねて1つの作品を作る仕事。

コストダウンにつながるような最適な仕様を、お客さんとの協議の中で提案できてこそ、付加価値となっていきます。

お客さんも技術が良くて安い製品を買うことで喜ばれる。自分と出会えたことで目の前の人が喜ぶような仕事では正直ないと感じてしまいました。

技術について努力しようにも、細かな技術(プラントの設計、制御技術とか)は難しすぎて本当に関心が持てなかったし、そんな気持ちでは知識も身に着かないし、お客さんに付加価値も提供できない。

日本の技術の良さは本当に誇りに思っていたし、日本の製品を世界に展開することで、日本のプレゼンスを高めたい!という思いもありましたが、そのような理想と、現実にできることの乖離が、あまりにもありました。

その際に大事なことは、

目の前の人のために自分の個性や能力を発揮して、心から感謝されることや、喜ばれること

だと改めて思いました。

目の前の人に感謝され、喜んでもらえることで、自分も楽しいしやりがい、生きがいを感じられる。

そのような人としての素朴な感情、身の丈にあった思いが芽生える中で、工場営業部門の頃に、経営計画の策定や、決算業務など数字を扱う仕事をしていた関係から、米国公認会計士(USCPA)を取得し、財務会計のアドバイザリーの仕事を目指すようになりました。

日系企業を財務会計の面から支援したいという思いからです。

自分が仕事で培ってきた知識や経験をうまく生かすことができれば、お客さんに対して、今のメーカーでの法人営業よりも仕事で付加価値を出せるのでは、という思いが芽生えました。

繰り返しますが、

・少しでも目の前の人に貢献できるのではないか。

・少しでも喜ばれる。感謝されるのでは。

そのような思いです。

で、転職してみて、やっぱりよかった!!

まず、幅広く様々な業界のクライアント、かつ様々なプロジェクトを並行して受け持つので、器用貧乏で浅く広く見たい自分としては楽しい。

アドバイザリーの仕事自体、自分の天職に近い印象を持ちました。

何か専門分野で1番になれなかった器用貧乏な自分。

でも、アドバイザリーという職種なら、持ち前の何にでも興味を持てる好奇心を発揮して、そこで得た多様な視点からアドバイスをすることができる。

つまり、

コンプレックスだった器用貧乏な性格が、プラスに働くのではないかと感じ始めました。

徐々に自分がやりたいことに近づいている。

見栄や名誉のため、人に勝つため、優越感に浸るために、会社名や就職偏差値で仕事を選ぶのではなく、日々の仕事内容を見るようになりました。

就社から就職へ。

誰かと比較してとかではなく、身の丈にあった、素の自分に近いような、そんな人生選びが少しずつでき始めたような気がします。

一歩一歩、着実に。自分の輪郭がますます形を帯びてくる。


表層の原点④

-29歳。祖父(父方)の死。父親と10年ぶりに会話。本音の会話は初めて(避けてきた家族、自分と再度向き合う。親孝行のスタート)-

高校生の頃から父親と、ほとんど会話がありませんでした。

ただ、南出さんとの出会いによって、「おかげさまの心」で周りに感謝して、「おかげさまの心」で恩に報いると志を固めて、人格者への道を目指そうと思ったにも関わらず、

『そもそも自分にとって1番身近なコミュニティである家族に恩返しできていない人間が、より大きなコミュニティの地域や日本を良くできるのか?』

と、数年間モヤモヤしていました。

父親とも仲直りしたい。どこかでしないと一生後悔する。

そこで、29歳の時に、祖父が亡くなった際に、酒の力を借りて、

『えいやっ!』

と、腹を割って話をしました。

『母親に対して冷たい態度を取るのが昔から、自分は正直納得ができていなかった』

しかし、話を聞いてみると、祖父もおなじような性格で、そのような家庭環境で育ったために、自分も同じようになってしまったとのことでした。

父親も自分からそうでありたいと思っているわけではなく、育った環境から単純に愛情表現の仕方、感情、本音をどうやって両親に話すのか、分からなかっただけだと気づきました。

また、家庭内での表現、本音が苦手なだけで、言葉には出さないものの、母親には内面では感謝していたとのこと。また、いきなり変わることは難しいけれど、少しずつ態度を改めていきたいとのことでした。

父親も同じ1人の人間で、同じように悩みや苦しみを抱えていたことに気づきました。

そもそも、父親を責めたような感じにはなりましたが、母親への傲慢な自身の態度を自分は改めたいと思っていました。

つまり、自分と同じような父親と本音で向き合えたことは、自分と本当の意味で向き合えたことでもあり、自分にとって人格者になるための、大きな第一歩でした。

また、自分と本音で話せたことを父親は心から嬉しいと言ってくれました。反抗期以降、まともに口をきいていなかったので。

南出さんと出会って以降は、普通に話したい、話さないといけないと心の奥底では思っていましたが、きっかけがなく、素直になれず、そのままズルズル行ってしまった感じです。

両親が亡くなってからでは本当に遅いので、自分と同じような方がいれば、ぜひ話をした方が良いのかもしれない、と自分の経験から思います。

諸々の会話を通じて、自分の中で、ハレモノが取れたような、すっと落ちる感覚があり、父親と、『みんなでよい家族にしていこう』と話し合うことができました。

高校生の当時、文字どおりタバコが火種となってケンカとなりましたが、この時2人でタバコを吸いながら酒を酌み交わしたことは、少し感慨深いものがありました。

数か月後に還暦を迎え、家族みんなでお祝い。

ようやく親孝行のスタート。ほかの親孝行をされている方に比べたら5周遅れくらいかもですが。(笑)

自分は、そのとき純粋な気持ちで両親にお祝いすることができました。

南出さんとの出会いがなければ、こうはなっていなかったのかもしれません。

生まれた頃、子どもの頃は、みんな家族思いで素直だと思いますが、家庭環境や、学校教育などで、少しずつ曲がってしまうことがあるのかと思います。

人の出会いをきっかけに、その曲がりは時間がかかっても必ず治るはず、自分の経験からそう思っています。

出会いに本当に感謝の気持ちでいっぱいです。


新規の原点①

-30歳。京都綜學院で林英臣先生から学ぶ。日本人のルーツや使命、本氣の志を仲間と切磋琢磨して磨き上げる-

ちなみにこの原大本徹は、パナソニック創業者の松下幸之助さんが作られた松下政経塾の1期生でもある、林英臣先生が考案されました。

自分の人生に影響を与えてくださった南出さんも元々は林英臣先生のもとで「綜學」と呼ばれる学問を学ばれており、

『自分も更に学びを深めたい』

『本氣の志を確立したい』

という思いで、京都綜學院で勉強することにしました。(今まさしくその段階です)

仲間と日々切磋琢磨しながら、原大本徹を作り直している状態です。


2. 大局(根っこ)

-縦軸(時間軸=過去、未来)、横軸(空間軸=家族、友人、同志、地域、日本、世界)-

ようやく原点が終わり、次に大局です。

これは、自分の人生において、「どこまでを我がごと」としてとらえることができるのか、というお話でした。

自分の人生を振り返る中で、ご先祖、両親、周りの方のお陰で今の自分がある。家族や、地域に育ててもらったという感覚が湧いてきています。

それらに感謝し、自分の個性や能力を発揮して、家族、地域や、日本、世界に還元していきたいと考えています。

先祖から受け継いだ使命を燃やして未来に繋いでいく。「今だけ」、「金だけ」、「自分だけ」ではいけない。「未来」、「社会」、「周りの人」へと還元したいという気持ちです。


3. 本氣(志=幹)

自分が成し遂げたいことは、以下のような感じです。

①~⑤まで書いていますが、①と②を中心に補足していきます。

なお、作成の途中なので、2020年12月頃までは変わるかもしれません。(笑)

『高徳国家』、『共生文明』、『公益経済』(以下国是三綱領)をビジョンとして、自身の個性(素直、利他、勤勉、好奇心旺盛、ユーモア、社交的、教育熱心、外交的、平和主義)を磨き、活かしながら、以下、「立志5か条」を成し遂げる。

① 論語(本学、人間学)と算盤(末学、スキル)を綜合的にバランスよく修めた立派な人物となる。(両親や、ご先祖、先人に報いる)

② 個人(子ども、大人)が志を立て、個性を活かしながら志を実らせるために、人生の良きメンターとして綜合的にサポートする。

③ 企業が志を立て、「三方良し」の公益経済事業を実らせるために、綜合的に経営サポートする。(世界のお手本となる公益経済事業を日本中に誕生させる)

④ 国是三綱領を共通言語とし、立志教育や、公益経済事業、日本の価値観を東洋⇒西洋国家へと波及させる。(東洋・西洋国家を結び付ける)

⑤ ①~④を経て、日本を中心として世界(東洋・西洋)令和となる。(世界中から尊敬・感謝される日本を実現させる)

国是三綱領の、

『高徳国家』、『共生文明』、『公益経済』

についてまずかんたんに説明すると、これらは林英臣先生が掲げているビジョンです。3つは密接に絡み合っています。#3密です。#密です。

「高徳国家」は、国のリーダーをはじめとして、国民1人1人が「おかげさまの気持ち」や「思いやりの気持ち」を持った人であふれるような社会です。

今は西洋型の膨脹資本主義の中で、「今だけ」「金だけ」「自分だけ」の人が多くなりつつありますが、そうではなく、「未来のため」、「社会のため」「他の人のため」に行動できるような、志高い人であふれる社会をイメージしています。

「共生文明」は、西洋資本主義の中で、人と人、国と国が競い合ったり、またその過程で、過度な経済活動による自然破壊、紛争による遺産破壊も進んでいます。なので、人と人、国と国、人と自然が、争い合うことなく、共存共栄する社会をイメージしています。

「公益経済」は、一部の人や企業に富が集中することで、経済格差が発生し、不幸せな人や国が出ているのが現状です。

なので、自社、社員、地域、などのステークホルダー全てが潤うような、幸せになれるような「三方良し」の経済活動をイメージしています。

渋沢栄一氏の著書「論語と算盤」の中で謳われるような、「道徳経済合一説」と近い考え方です。

この国是三綱領をベースにしながら、自分のミッションを5つ(①~⑤)のステップで考えています。

自分の志の根本は②の、

なんのために生まれて、なにをして生きるのか。

という、アンパンマンからの問いに対して、子ども、大人関係なく明確に答えられるように、自分の志を持って、個性を活かしながら生きていけるようにサポートすることだと思います。(上記②)

つまりは、

子どもや、大人問わず、人生を導ける良き教育者(メンター)になりたい

と思っています。

それが自分にとっては目の前の人に感謝される、生きがいに感じることだとも思います。

ただし、人を導くためには、まず自分が本学(人間学)と末学(スキル)の両方を修めた立派な人物になる必要があると思っているので、まずは自分を鍛えること。(上記①)

そして、その後に、本学と末学を修めた、志のある人を増やしたい、育みたい(上記②)と思っているところです。


4. 徹底(枝葉)

徹底は、志を実らせるための具体的な行動です。

短期・中期で計画を練っていきます。今回は短期(3年~5年間)の行動をイメージして書いてみました。

本氣(=志)のファーストステップ(上記①)を達成するため(本学と末学を修めた立派な人物になるため)の、具体的な行動はこんな感じで考えてみました。

本学(人格者になるための行動)

・日々両親や友人、周りの人に感謝の気持ちを表現する

・お墓参りする

・神社を定期的に参拝する

・五事(貌、言、視、聴、思)を正す。つまり、穏やかな顔つきをして、思いやりのあることばで話しかけ、目つきもおだやかに、人の話をよく聴き、まごころをこめて相手を思うことの5つを心掛けるようにする。

・自分が得意な人を笑わせることで、周りの人を元気にする。

・過去の偉人の生き方を学ぶ。

末学(社会で活躍するスキルを積むための行動)

教育方法や、指導方法を学ぶ。

次に、セカンドステップ(上記②)を達成するため(子ども、大人が志を立て、個性を活かしながら志を実らせるために、人生の良きメンターとして綜合的にサポートする)の、具体的な活動はこんな感じになると思います。

・子ども・大学生・保護者、社会人向けに立志メソッド(原大本徹)を、定期的に実践していく。

こちらは既に、若手の社会人向けにボランティア的に実践しているところです!!


おわりに

書きつかれました。(笑)

アンパンください。。。

でも、だれかの少しでも役に立てればめちゃくちゃうれしいです!

不明点あれば、お気軽にご連絡くださいー!!

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