刺さない鍼と光の日々(1):ツボは体の間欠泉

私は鍼灸治療の仕事をしています。
治療では、てい鍼(ていしん)と呼ばれる先端が丸く、皮膚に刺さずに触れるだけの鍼をおもに使っています。

治療では手足やお腹や背中のツボにてい鍼を当てていきます。てい鍼がツボにふれるとツボは反応します。ツボの反応は同じ患者さんでもその人の身体の状態によって変わります。
同じ一つのツボでも、てい鍼がふれた瞬間にまるで間欠泉のようにプシューと気が噴出したり、温泉の湯気のようにゆらゆら漂ったり、通電したみたいにピリピリしたりします。

私は身体全体をめぐり歩いて、それぞれのツボたちと会話しているような感じです。
「こんにちは。今日はどう?」
そんな問いかけに、あるツボは無反応だったり、いきなり気を噴上げたりします。そんな時、目が見えない私でもなぜか光の霧のようなものがツボから放出されるのが見えます。おそらくその質感の感覚情報を私の脳の視覚野が光という視覚イメージとして解釈しているのでしょう。

ツボの反応が大きい時は、そのツボのところで足止めをされるような感じになります。
そんな時、そのツボから「ああ、待ってたよ。しばらくそのままでいておくれ」
という声が聞えるような気がします。
そういう時はそのツボがその日の治療での大事なポイントになるので、反応が鎮まるまでそこにとどまります。

治療の最初と最後には、患者さんの脈とお腹の状態を診ます。
東洋医学では、人間の身体を自然の一部だと考えます。
なので私にとっての患者さんの身体は、まるで時々手入れをしに入る里山のようなものです。脈は、里山に流れる小川で、お腹は地面みたいなものです。

小川の流れ(脈)は、里山である身体の健康状態を反映しています。
健康な状態では流れはゆったりとしてよどみなく流れています。
体調に問題があると、脈が速すぎたり遅すぎたり、太すぎたり細すぎたり、堅すぎたり柔らかすぎたり、流れのリズムがおかしかったりします。

お腹は、体調が良い時は、ほどよく温かく、弾力があってつきたてのお餅みたいな状態です。体調に問題があると、冷たかったり、堅かったり、皮膚に弾力がなくなったりします。

治療がうまくいった時は、脈はゆっくりやわらかくなり、まるで穏やかに笑顔で話している人の声を聞いているみたいに感じます。お腹はつきたてのお餅みたいにほどよく温まって弾力が戻り、こちらもなんだかニコニコ笑っているみたいな感じになります。。
そして、身体全体がうっすらと光に包まれるのが見えます。
この光は私が見えなくなってからかんじるようになった感覚です。
ツボから噴出する光の霧や身体を包む光を見るのは美しい光景なので、視覚化できればいいのに、とよく思います。

治療がうまく行くと、里山としての身体が自然な状態に戻ります。
自然な状態というのは、心身の元々の健康な状態、ということで、いわゆる自然治癒力が発揮されやすい状態です。

それは、ただじっとしていても身体が心地よく、体の中のどこかできれいな和音が静かにずっと響いているみたいな感じ。
いつも静かな喜びに満たされているような状態です。

私は日々、患者さんがこの状態にできるだけ近づいてもらえるように治療を行なっています。


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