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【禅語#11】1人が好きということ、1人で生きることの違い|受身捨身


本日の禅語は、受身捨身じゅしんしゃしんです。


この禅語は、1人で生きていると勘違いはしてはならないと述べています。


家族とは言えども、全てを共にすることはできません。


生まれる時も、旅立つ時も1人。そこを突き詰めれば、私たち人間は結局は1人なのかもしれません。


しかし、1人が好きということと、1人で生きることは全くの別物なんだそう。


今日はそんな違いをシェアできたらいいなと思います。




受身捨身とは?


私たちがこの世に生まれてきたのは、無数の因縁が結ばれた結果です。


この地球という星に生まれたこと自体が、奇跡みたいなものでしょう。


私たち人間は、まさに「身を受けた」存在。


いただいた命だからこそ、他人や大自然のために尽くすことを、仏教の世界では「菩薩行ぼさつぎょう」と呼びます。


人間は生まれる時も、旅立つ時も1人です。家族といえども、全てをともにすることは不可能なのです。


所詮人間は、1人。


とは言っても、人は1人で生きていくことはできません。


他人と関わっているよりも、1人で自由にしていた方が楽だという人もいるでしょう。


しかし、1人で生きているとは思ってはならないんだそう。


1人では絶対に生きることができないことを知らなくてはならないのです。


私たちが今生きてられるのは、目に見えないところでたくさんの人が支えてくれているからです。


両親や兄妹と離れて暮らしていたとしても、遠くからあなたを一生懸命に支えてくれています。


そのことに心を寄せなければなりません。


そして、支えてくれる人に感謝を忘れず。


1人でいることは何も悪いことではありません。仲間と過ごすのが好きな人もいれば、1人静かな時間を過ごすのが好きな人もいます。


大事なことは、支えてくれる人たちの存在を忘れないこと。


そして、あなたを生かしてくれている自然に尽くすこと。


感謝の気持ちを表現してみるのもいいかもしれません。


禅語とわたし


私は1人の時間が、ものすごく好きです。


特に何をやるというわけでは無いのですが、自由気ままに過ごせる時間が好きなんだと思います。


そして、私はこの禅語に出会うまで自分で自分の人生を切り開いてきたという烏滸がましい考えを持っていました。


なぜなら、私は自分で看護師になるという選択をし、自分で奨学金を返済し、自分で貯めたお金で海外まで来ているからです。


しかし、この禅語を改めて振り返ってみると「そんなことは無い」と反省する機会になりました。


なぜなら、見えない部分でのたくさんの人たちの支援があったからこそ自分が今こうやって存在していることに気づいたからです。


この禅語に出会わなかったら、そのまま傲慢な私でいたかもしれません。


さいごに


1人をこよなく愛する私も、最近パートナーが欲しいな〜と思うようになりました。


今まであんまりそんなこと思いもしなかったのですが、一緒に働いているカップルとオーナーさん夫婦を見ていると自然と「こういう関係性いいな〜」と思うようになったのです。



お互い尊重し合っているところ、
お互いを補っているところ、
お互いの優しさを持ち寄っているところ・・・


挙げればキリがないのですが、とにかく微笑ましいんです。


いつか私も!と思いながら、道のりは長くなりそうです(笑)


では、今日も読んでくださりありがとうございました


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来月、バリ島に行きます。
今まで行ったことあるよ〜という方、
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