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じいじ 保育士を目指す! 歴史の迷宮2

以前書いた記事から

 森常(広瀬常)の事を書いた。その後をやはり知りたいと鹿鳴館貴婦人考を読んで見たが、この本では森常のスキャンダルが外国人の(イギリス公使駐英時代に、イギリス人下級官吏と不倫してその)子を産んだ事で、離婚しその後森有礼が暗殺後すぐに死んだという記述であった。

森常が、ライマンの求婚を断って森有礼と結婚したという記述もなかった。

 更には、この離婚も森常の性格で一時の間違い的な数行の記述だけだった。結局、この青い目の子(安という名で、養子に出された)の行く末も、森常がどこでどう亡くなったかの記述もない。

 私が読んだ記事では、そもそもこの話しは嘘で(広瀬家側の養子が伊藤博文暗殺未遂事件(静岡事件)を、森有礼の身を案じて森常が身を引いた)あって、養子になった安も北海道で幸せに暮らしているのを見届けて渡米し、医学の道に進んだというものだった(これも否定した記述があった)。

結局、迷宮入りした森常の後半の人生は結局どうだったのかはわからなかった。

そこで、次の小説は

 これがその森常のスキャンダルが実は。。。というもの。この本は既に、古本でしか入手できない。早速、古本を取り寄せて読んでみた。が、森常が離婚後どうなったのかは書かれていない。最後は歴史の闇という事に。

 この本では、ライマンの求婚を広瀬常(のちの森常)が歳の差20歳を気にして(つまり、結婚したくない)、そこに森有礼が政府高官の考え(結婚を森が先にして、この件を収める)に則ったものという事になっている。

 とにかく、言語学のレポートから不思議な関係を辿って、結局歴史の迷宮入りというオチだった。

さて、今日はこの辺で。

鹿鳴館貴婦人考

静岡事件

静岡事件(しずおかじけん)は、1886年明治19年)、自由民権運動のなかで静岡その他で発生した激化事件である[1]自由党壮士らが明治政府転覆、高官暗殺を企て、約2年間にわたり、軍資金調達のため強盗を行ない、逮捕処罰された[2]

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