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言葉にするということ

言葉は難しいなって常々感じる。言葉の持ってる本来の意味をきちんと理解することもそうだけど、相手の表情とか声のトーンとかで、微妙なニュアンスの違いが生まれるし、一歩間違ったら、面倒な誤解も招きかねないから。
 
SNS上なら殊更にそういうのに気をつけるべきだと思うけど、ここ最近、youtubeのコメント欄とかを見て、嫌な気持ちになることが増えた気がする。誰かが投稿者の価値観や外見そのものを否定した言葉を書く。それに対して反発する擁護派。そして、再び反論する批判者。なんとも、ちっぽけで醜い争いだ。言葉はそんなくだらないことのためにあるわけではないだろうに。ましてや、否定的な言葉を誰もが受け止めきれるわけでもない。SNSという媒介を通してるためか、多くの人が言葉の脅威を忘れてしまっている。僕らが言葉を書いているのは単なる機械の塊かもしれないが、それが届く先にあるのは機械じゃない、痛みを感じる人間であるということを思い出したほうがいい。

薬は薬でありながら、使いすぎれば毒にもなる。言葉もそれと同じだ。使いようによっては、誰かを傷つけることなんて容易にできる。まぁ、なんにせよ、それをどう使うかは個人の勝手で、他人があれこれと言えることじゃないんだろうけど。でも、少なくとも僕は、自分のことばに責任を持つことを忘れないでおこうと思った。SNS上にいる反面教師たちを教訓として。


                           2024年2月15日 
 
 




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