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「普通がいいという病」読書記録①ーそもそも普通ってなんだ。頭と心の働きとは。

「普通がいいと言う病」(泉谷閑示著)を読み終えた。内容が濃かったので感想は何回かに分けたい。

まず、この本はいわゆるハウツー本ではない。
「うつになったらこうしましょう」とか、「この症状は脳内で〇〇という物質が減少したことが原因で…」ということは書いてない。
本の最初にも書いてあるが、心理学の試験勉強に役立つような内容ではない。
何か理論を確立してそれを説明しているものでもない。

著者が、「普通がいい、普通になりたい」と言うクライアントのカウンセリングなどを通じて、なぜ人は普通に憧れて心を病んでいるのかを考えた本。
詩や作品の引用が多く用いられているので、読書案内の役割も果たしていると思う。

著者は精神科医だが、キャリアを中断して音楽を学びにパリへ留学した経歴を持つ。

ハウツー本ではないから、この本を読んでも、お手軽に悩みを解決することはできない。
この本をきっかけに自ら考えれば、「角」(個性のこと)を脆いガラスから強化ガラスに変えていくことができるかもしれない。そんな本だった。


自分が自分らしくあること、その大切な中心である「角」、それを自分自身で憎み、邪魔にして隠しながら生きるようになってしまうと、生きること自体が色あせ始め、無意味なものに感じられるようになってきます。生きるエネルギーは枯渇し、全てが立ち行かなくなってしまいます。

「はじめに」より

「角」とは個性のことだと思ってもらえればいい。引用された作品の中で、他人との違いをユニコーンの角に例えているため角と表現している。

じゃあなんで、角を自ら憎むのか?

それは、角の切除をすることが大人になることだと洗脳されているから。
個性、人と違っていること、感受性が強いことはおかしなことで、それを無くして、「普通」のカタにはまること。それが大人になると言うことだと信じられている。
そして、そう言うふうに育てられて、「普通」に憧れ、普通になろうとして、角を憎む。

じゃあ「普通」ってなんだろう。

それは、大多数の人間がなんとなく「普通」と思い込んでいる観念やら価値観。
つまり多数派の価値観。

多数派がいつも正しいとは限らないし、多数派の意見が正解でもない。

雑に言うとマイノリティ的な考えをもっていて、それを普通の型にはめようと必死になると、心が辛くなる。

どうして普通にできないの?とか、あなた変わってるね、とか。
言われると傷つく。
そこには見下しがあり、排除される恐怖がある。
そして普通じゃないことはよくないことなんだと思ってしまう。
そうして、自らを普通になるようにコントロールしようとする。


「頭、心、体」

頭はコンピュータのようなもので、物事をコントロールしたがるものだと言う。そして、時間軸は過去と未来。過去の出来事から未来を予測するなどしているのが頭。
理性は頭の働きだ。

一方の心は、体とつながっている。心の時間軸は今である。
感情や欲求は心の働きだ。

ちなみに、「欲求」は心の働きだが、「欲望」はコントロールしたいという頭の働きで別物である。

そして、頭と心の間には蓋がある。
蓋が閉まっている時は、頭と心が対立構造にある。

動物と人間の違いは、「頭」の有無である。

心は体と繋がっているので、心の不調が体に出てくることがあるのだそうだ。
体って今を生きてるから、時間軸が今の心と繋がっているのだろうか。
動物は心と体でシンプルに生きているのか。


さて自分の人生を振り返ると、子供の頃は心のままに生きていたかもしれないが、今は完全に頭でっかち。
感情を出すことは抑制され、いつも感情はコントロールされて然るべきと思っていた。
だが、この本を読むとどうも違うようだ。

「アンガーマネジメント」って一時期流行っていたけど、要は怒りを「抑制、コントロール」することだから、心(感情)を頭(理性)で制御する術。
でも、湧き上がる感情に蓋をし続けたらどうなるのか?
社会生活を営む上で怒りのコントロールは必要だけど、その怒りをコントロールしてお終いとはいかないようだ。

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