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思い出「ある日突然」

はなのすさんのイラストをお借りしました。

30代の頃。娘がまだ2~3歳の頃。
ある画家の方と出会いました。
それもたまたま娘と道を歩いていて、ギャラリーの前を通ったきっかけで。そこからの様々なハプニングや、いろんな流れで、ある日。娘が小3くらいの時に画廊を借りて、個展をすることになりました。

元々美大志望でした。親から猛反対を受け、まったく違う栄養科に進学しまた。その時の気持ちがずっとあったのかもしれません。
ただ、未だに不思議なのが、元々具象が好きで、抽象や心象絵画のような現代アート的なものは、全くと言っていいほどダメでした。

それなのに、描き出したのが自分でも訳の分からない心象のような抽象のような物ばかりでした。ずっと描いていなかったので、始めはクレパスやオイルパステルを使って、はがき大に描いていました。何故か、絵がどんどんでてくるのです。その話を画家の方にしたら、「送ってらっしゃい」と受け止めて下さり、描いては郵送するという日々が続きました。

100枚ほどになったそうです。(とっておいてくださっている様子)その他、友達や親族のことを思うと、その人にあった絵が出てきたりして、ある時の年賀状は、全員、私の葉書絵でした。笑

そこから、キャンバスやボードなどに描くようになり、50号くらいまで描くようになりました。油絵・パステル・アクリルなどで描くように。混ぜ物をして盛り上げたりもしました。

その当時、3LDKの少し広めのマンションでしたが、自分の部屋のない私はLDKで描くことになり、家の中は絵であふれて、夫や娘から「汚い」「どうにかして」と言われ、ママ友も家になかなか呼べなくなってきました。

悩んだ私は、どこか倉庫でも借りようかと思い、色々と調べてみましたが、専業主婦で、まだ地震の爪痕が残る街で、早く帰宅する小学低学年の母親の行き来できる範囲で、希望に合うものは見つかりませんでした。

その内、個展を開いたら、私の気持ちが落ち着いてしまい、娘の中学受験の塾の様々な事や送迎もありで、すべてを片付けてしまいました。
(ある女性の芸術家さんから、ずいぶんたってから「貴女のはその程度のことだったのよ」と言われました。「それでも続けるのが、真の芸術家なの」と。しっかりと腑に落ちました。)

私が探していた物件は、まず、電気系統が使えるのはもちろん、駐車場がある事、水やお湯が出る事、トイレがある事、100号は描けること、そして夏には風通しがよく、冬には底冷えのしないものでした。体力がなく弱かった私は、暑さ、寒さは体にこたえますから。普通のマンションやアパートや空き家を探したほうが良かったと後で思いました。あの時、突き進んでいたら……?

今は、夫が趣味で絵を描いていますが……

今朝は、ふと過去のことを思い出してしまいました。
あの時の画家の方とは、今はご無沙汰してしまいましたが、たしかもう80歳をとうに過ぎていると思いますが、未だに日本とスゥエーデンを行き来し、絵を描かれているようです。

毎年の個展が始まる前に、画廊で楽しいパーティがあり、娘は大喜びをしていました。いつも娘を連れてゆきましたね。沢山の個性的な方々と知り合い、刺激をうけました。楽しかった思い出の一コマですね。

ありがとうございます。