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【連載小説:盛岡】すいかメンタルクリニック 6

 入院五日目、伶のカウンセリングを境に和真の体調は一段と回復してきていた。頭の包帯も取れた。食後の薬も一つ減り、睡眠薬も出なくなった。
 気分のほうもだいぶ良くなってきている。自分の中でいろんなことが整理されてきている実感があった。そして伶から言われた唯一残った課題だけを考 えていた。
 その日は土曜日で、節子と美紅が昼食後に来た。美紅に会うのは、初七日の法要が終わって和真が盛岡に戻って来て以来だった。
 「意外に元気そうだね」
 「ああ。心配掛けたな」
 「別に」
 「心配して来たんじゃねえのかよ」
 「いや、なんか母さんから、世話してくれる女の人がいるって聞いたから」
 「アホ!佳奈だよ。葬式にも来てくれてただろ」
 「何となくしか覚えてないもん」
 「友達、友達」
 「へえー、安心した。お兄ちゃんに友達がいて」
 「お前、見舞いに来たのか?お前のせいで気分悪くなってきたじゃねえか」
 「何しに来たんだっけ?母さん」
 美紅は節子に話を振った。
 「安心したよ」
 「ああ」
 「本当にお前は人に恵まれでる」
 「俺もそう思う」
 「これがら先生の話を聞いで、終わったら帰っから」
 「今来たばっかりだべ」
 「佳奈がせっかぐ盛岡の方まで来たがら、買い物してえど」
 「なんじゃそりゃ。お前、本当に何しに来たのよ」
 「買い物。ついでにお見舞い」
 美紅がわざと壁の方を向いて言った。
 「もう来んな!」
 「明日も来ます」
 「はあ?」
 「今日はお前のアパートさ泊まるがら」
 節子が言った。
 「はあ」
 「まだ明日顔見に来て、そしてがら帰る」
 「ああ」
 「何が欲しいものあるが?」
 「別にねえ。あ、いや、アパートからCDとウォークマン持って来て。なんでもいいからジャズを二、三枚」
 「音楽でも聴ぎたぐなったんだば、いいごどだ」
 「母さんはウォークマンもジャズも分かんねえと思うから美紅頼む」
 「うん」
 「んだば須貝先生のどごさ行ぐがらな」
 「美紅、無駄な物買うなよ。田舎者(いなかもん)なんだから」
 「余計なお世話」
 明らかに自分を元気付けようとして美紅がいつも以上に明るく振舞っていたのが和真には分かり、感謝した。

 夕方になった。土曜日は外泊許可をもらい、自宅に帰る入院者が多い。自宅復帰の練習を兼ねている人もいた。特に若い人たちは、自宅に戻り、残るのは老人が多かったため、もともと二十人弱の定員の病棟内は静まり返っていた。
 高橋と亮輔は帰らなかった。
 朝、亮輔に、
 「帰らないの?」
と和真が訊くと、
 「今日は帰りません。せっかく最近気分がいいのに家に帰ると具合が悪くなるような気がするし」
と亮輔は答えた。確かに面会に来た親とのやり取りを聞いていると亮輔の気持ちが分かるような気がした。
 喉が乾いたので食堂の冷蔵庫に行って、キャップに自分の名前が書いてあるペットボトルのスポーツドリンクをマグカップに注ぎ、しばらくそれを飲みながら夕刊に目を通して病室に戻って来てみると、ベランダで亮輔が手招きをしている。また高橋が一服の誘いをしてるのだろうと思い、ベランダに出て、薄暗くなってきた空とライトアップされた「すいか」を眺め、そしてウッドデッキに視線を移した和真は、信じられない光景を目にした。
高橋、亮輔に伶、康平と佳奈もいる。アパートにいるはずの節子と美紅までいた。
 何が起こったのか分からないまま歩み寄ると急に高橋が立ち上がり、腕を振って言った。
 「イッチニのサン、ハイ!」
 「♪ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデーディアかーずまー、ハッピバースデートゥーユー」
 「二十歳(はたち)おめでとう!」
 みんなが歌い、みんなが声を掛けてくれた。
 和真は、自分の誕生日だということにはやっと気付いたが、まだ実感が湧かずに礼も言えずにいた。
 「おいおい、いくら鬱病でもこんな時ぐらいしゃっきりとしろ!まず座れ座れ」
 康平は、高橋や亮輔にすら気を使わずにそう言うと、和真を「すいか」が正面に見える「特等席」に座らせた。和真の右隣が節子、左が美紅の席だった。デッキチェアーで足りない分は、待合室からダイニングテーブルセットが運ばれて来ていた。
 「これは…」
 和真が事情を理解できずに戸惑いつつ声を出すと、伶が説明した。
 「私がね、和真君が入院して来てから、ちょっとカルテを調べ直していたら、今日が二十歳の誕生日だって気付いたの。で、須貝先生に相談したら『ぜひやりなさい』って。たまたま土曜日だったし。あと、なんたって記念すべき二十歳だからね。特別だよ。それからみんなに声を掛けて、こういうことになったわけ。ちなみにこれから出てくる食べ物、飲み物全て、須貝先生のポケットマネーによるものでーす!」
 一斉に拍手と歓声が起こった。
 「よっ!さすがベンツ二台乗り回してるだけのことはある」
 高橋の掛け声だけは相変わらず品がなかった。
 和真は、驚きと感動を同時に感じ、体にいい意味で鳥肌が立った。そしてあくまで「患者の中の一部」であろう自分に、こんな労力を注いでくれる伶という人はなんて凄い人なんだろうと思い、感激した。
 伶は勤務時間を過ぎたからか私服だった。髪を下ろし、肩に髪が掛かっていた。ウエストが絞られた細身デザインで水色と白の細かいストライプのブラウスに、ブーツカットのジーンズ姿は、長身の伶にとても似合っていたし、ヘアスタイルのせいもあって、いつもより数段大人っぽく見えた。だが和真は、それに見とれている自分を佳奈が見ていることに気付き、戸惑った。
 「ありがとうございます。みなさんもありがとうございます」
 和真はまだうろたえながらも、伶に、そして全員に礼を言った。
 「よし、それじゃあ康平君、佳奈ちゃん、美紅ちゃん、始めよう」
 高橋が言った。高橋が康平たちの名を呼んだのを和真が不思議そうにしていると、
 「もう自己紹介と役割分担は済んでるから」
と高橋は事も無げに言った。
 伶と美紅は待合室からケーキやジュース、紙皿、紙コップを運んで来た。佳奈はそれらを皆に配り、コップにジュースを注いだ。
 ふとウィントン・ケリーの弾むようなピアノが静かに流れてきた。待合室の入り口の横を見るとそこには、いつも亮輔が使っているCDコンポが置かれていた。自分が持っているCDだったので。美紅がアパートから持って来てくれたものだと和真には分かった。
 司会はここでもやはり康平だった。
 「えー、このサプライズ・バースデー・パーティー・イン・スイカ、略して『S・B・P・S』の司会を務めさせていただくことにジャンケンで決まりました阿部康平です」
 皆が一気に拍手と笑いで沸いた。
 「本日はこんな奴のためにこんなにたくさんの方々にお集まりいただきまして、誠に恐縮です。えー、すでにお約束の歌は歌い終わりましたので、次は、乾杯に移らせていただき、乾杯と同時にこいつにろうそくの火を消してもらいたいと思います。それでは、乾杯のご発声は、これもジャンケンで決まりました、最年少の中島亮輔君にお願いしたいと存じます。皆さん拍手をお願いします」
 全員が名調子を披露した康平と大役を指名された亮輔に拍手と歓声を浴びせた。亮輔はすっくと立ち上がると、照れながらも緊張している様子は無く堂々と話し始めた。
 「和真さん、二十歳の誕生日おめでとうございます。僕は今がこんなだから、二十歳の自分が想像できません。親、学校、それに大人の価値観を鵜呑みにしている友達、みんな嫌いでした。でも、皆さんに会えて、こんな大人になろう、こんな考え方のできる大人になりたいって思えるようになりました。全部皆さんのお陰です。この病院のお陰です。ここは僕の最高の居場所です。本当にありがとうございました」
 亮輔はそこまで言うといったん頭の整理をするかのように口を閉じた。すると伶が、
 「今(・)は(・)最高の居場所、でしょ。前向き、前向き」
と励ました。
 「はい。そうですね。それでは大人になった和真さんのこれからの前向きな人生を祈って、カンパーイ!」
 「カンパーイ!」
 みんなが立ち上がり、音はしなかったが、それぞれ紙コップを合わせあった。節子は「ありがとうございます」と言いながら泣いていたが、それ以外は全員笑っていた。
 「よし、俺が『夜空ノムコウ』を歌う!」
 高橋が突然言うと、「いいぞいいぞ!」とみんなが盛り上げた。
 ノリノリになった高橋が割り箸をマイク代わりにして、
 「♪あの頃ーの未来にー僕らは立っているのかなー」
と歌うと康平が、
 「何で途中からなんすか!」
と突っ込んだ。すると高橋は、
 「ここが好きだからだよ!いいから歌わせろ」
と言い、康平は、
 「分かりました、先輩!」
と言った。
 「♪あの頃ーの未来にー僕らは立っているのかなー、全てがー思うほどー上手くはいかーないみたいだー…」
 みんな手拍子をしたり、一緒に歌ったりしながら楽しんでいる。
 「すいか」はいつもより数倍明るく輝き、ウッドデッキを照らしていた。
 和真は、今自分の目の前で起きている光景を一生、たとえ年老いて呆けてしまったとしても絶対に忘れまいと、心に刻み込もうと必死だった。

 月曜日は須貝の回診の日で、外来が始まる前、八時から九時まで行われることになっていた。
 五号室には八時半頃来た。伶も一緒でメモを取る担当のようだった。二人が入ってくるなり和真は、
 「先生、土曜日は本当にありがとうございました」
とベッドの上で正座して頭を下げ、礼を言った。
 須貝は、口の前に人差し指を立て、
 「内緒、内緒。二十歳だから特別。患者の誕生日の度にやってたら破産する」
と言って笑った。
 「で、どう?二十歳になってからの調子は?」
 須貝が訊くと、
 「先生、俺、退院したいんですけど」
 と和真はいきなり言った。
 「ほお、何で?」
 「気分はいいですし、体ももうどこも痛くありません。夜も眠れるし、食欲もあります」
 「それはいいことだけど、そんなに早く退院したがるのには理由があるんだろう?」
 「退院して早くやりたいことがあるんです」
 「何?」
 「野球です」
 和真は伶に向かって言った。伶は和真を見て微笑んだ。
 「そうか」
 「はい、退院したら、とりあえず体を作り直して、できれば大学の野球部に入りたいと思います」
 和真は淀みなくきっぱりと言った。
 「分かった。鬱病に『頑張れ』とか『頑張る』は禁物なんだけど、いろんな意味で私の予想以上に和真君は頑張ったんだな。うん、大丈夫かもしれない。もう少し長めに入院を考えてたけど、それじゃあ検討してみるよ」
 「ありがとうございます」
 須貝が次の亮輔のところに移る時、和真は伶を見つめ、伶も和真を見つめていた。

 二日後、和真は退院した。入院前と同じで、週に一回の通院、服薬、カウンセリングによる治療は続けられることになった。
 「通院の時に顔を出すから」
と和真は高橋と亮輔に言った。高橋は、
 「試合、旗作って応援に行くからな」
と言ってくれた。亮輔は寂しそうに、
 「絶対に来てください。外来でも会えるといいな」
と言った。亮輔も両親の「早く学校へ」という意向が強く、退院が近いようだった。
 平日で節子が来られなかったので、佳奈に車を出してもらった。玄関まで見送りに来てくれた高橋と亮輔に助手席の窓から手を振り、もう一度「すいか」を眺めて、和真は病院を後にした。

つづく 次回最終章

2008年ソニー・デジタルエンタテインメントより発行 iBooks、Kindle、コミックシーモア等から販売
現在の著作権は著者に帰属

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