『ハマヒルガオ』第5話:御宿海岸
第5話:御宿海岸
その山々に沿うようにして、白亜のマンションが建ち並んでいる。
八十年代のバブル期、ここ御宿は、東京の新宿、原宿と並び日本の三大宿とさえ称され、全国から多くの観光客を集めていた一大リゾート地であった。今ではその栄華など見る影もないが、この海岸にはひと夏のアバンチュールに溺れることを求めた若者達で溢れ返っていたという。
その中の一人に、六夏(りくか)の父である龍二がいた。龍二は東京の大学に通い、ラグビー部の夏合宿としてこの地に来ていた。そして、小遣い稼ぎとして民宿でアルバイトをしていた母の波月と、御宿海岸の花火大会で出会うというドラマのような話として二人は語るのだが、要はナンパである。父が、母に一目惚れをしたのだという。一夜限りの恋のつもりが、二人とも本気になってしまい、以来、父がことあるごとに母と会うために御宿に来るようになって、どこで逢引していたのかはわからないが、やがて母の波月は六夏を宿すことになる。
それを知った祖父は、最初は激高したと聞くが、龍二の誠実な対応に、次第に心を許すようになり、阿泉(あずみ)家に婿として入ることを条件に、二人の結婚を許諾したのだという。そのことは、父と母からはっきりと聞かされたわけではないが、幼い六夏相手に、どうせ覚えてないだろうということで父が思い出話として繰り返し語っていたことであった。だが、大人が思っているよりも、子というものは、小さい時に聞かされた話をはっきりと記憶しているものである。
父は、結婚が許されるまで阿泉家に足しげく通い、祖父と何度も酒を酌み交わしたのだという。祖父は父のことをすっかり気に入るようになった。父がやってこない日があれば、「龍二は来ないのか」と祖父の方から波月に訊ねる程であった。父は、その大柄な体躯には似つかわず、腰の低い謙虚な人間で、誰からも好かれる愛くるしい存在であったようだ。
御宿海岸にしては珍しく静かで、欠伸が出るくらいの無為な時間が続いた。サーファーたちは、ただ漂いながらのお喋りにも飽きてきたか、無駄にパドリングをして水面を行ったり来たりしている。「今日はもうダメだな」、そんなサーファーたちの声が、風に乗って聴こえてくるような気がした。太陽の移動を確認した六夏は、そろそろ家に戻ろうと立ち上がり、尻についた砂を払うと、海岸と町を繋ぐ桟橋の方に向かって歩いた。
あの時の父は、どこに行ってしまったのか。
あの時の祖父も、どこに行ってしまったのかと、砂地を踏みしめながら六夏は思う。
「阿泉家に、相馬家の血を入れてしまったことが、儂の間違いであった」
時折、祖父は憎しみを込めた口調で六夏に漏らすことがある。そんな話は、六夏には耐え難いものであった。
「あいつは、変わってしまった。阿泉家に来てからというもの、嘘のように豹変してしまったのだ」
「お父さんと一体何があったの?」と祖父に対して問い質したいのだが、まだ幼いという負い目もあり、なかなか切り出せないでいる。
なぜ、身内になった者同士が争うことになってしまうのか。それがお金によるものなのか、血縁が関係するのか、六夏には今一つ理解できない部分であった。相馬家という、別の家の血を持つ父、龍二が阿泉家に来たこと。
今となってみれば、それがすべての誤算であったと、祖父は考えているようだ。しかし、それならば、私という存在もまた、否定されていることにならないだろうか。これまで深い意味も考えず、祖父のぼやきを黙って受け流してきたが、こうして改めて思い返してみると、次第に苛立ちが募ってくる。
そんな六夏の複雑な思いと、こみ上げてくる憤りなど露知らぬというように、御宿の海はどこまでも穏やかであった。
六夏が手記を読むのは、毎日寝る前と決めていた。最初から順番になぞって読むわけではなく、気になるところから読むことにしている。その内容に引き込まれ、つい寝るのが二十三時をまわることがあり、翌日、寝不足になってしまう。
今のところ、手記の存在のことは誰にも明かしていない。普通の人には決して理解されることではないから、口外しはしまいと戒めていたのだが、学校で歴史の授業を受けるたびに、祖父の記述との比較に密かな興奮を覚えるので、誰かに話したいという衝動にかられることがある。例えば、六夏も好きな歴史上の有名人、織田信長について、祖父の手記にはこうある。
教科書に書かれている歴史は、すべてが真実であるとは限らない。ギュスターヴ・フローベールが言うように、そもそも歴史を記述するということ自体が、「大海を飲み干し、コップ一杯に小便をするようなもの」なのである。記述という行為自体が、誰かしらの主観によるものであり、政治的なイデオロギーや偏見が入ってしまうことは逃れえないし、例えば客観的事実の分析と研究を行う科学のような学問でさえも、科学絶対主義というイデオロギーのもとにある。そのことは、祖父の蔵書の中で、学んだことの一つである。人間の叡知として受け継がれてきた書物からの学び、そのことが、六夏に優越感をもたらしていた。
六夏からすれば、同年代のクラスメイトは、「学校の教えを何の疑いもなく受け入れてしまう愚かな連中」でしかなかった。
そんな調子でいたものだから、六夏はある時の社会の授業で、先生から御宿の歴史について聞かれた際に、自分が持っている知識をひけらかしたいという思いに駆られ、つい、阿泉家の血を持つ自分は、「オオクニヌシの末裔である」などと口を滑らせてしまったのだ。
クラスメイトは皆、一体何を言っているのだ?と、六夏に視線を注ぐ。社会の先生も、どういうことだと追及してくるものだから、ペラペラと祖父の手記に書かれていた御宿の歴史についての一部を語り出してしまった。
そのうちの一つ、御宿をたびたび襲っていた大津波のことについて言及した。
元禄の頃にも、そのような大津波が御宿町一帯を襲い、家が破壊され木々は根こそぎ引き抜かれ、波に吞み込まれた多くの人間や犬や猫の死骸が、この浜辺に流れついてきたという話を、さも自分が見てきたかのように語った。そこで犠牲になった人々の魂を供養するために「千人塚」と名付けられた共同墓地もある。それ自体は、御宿に住む者なら誰もが知る歴史的事実なのだが、六夏は、
「いつかまた、この御宿は大津波に襲われる」と、まるで予言のようにして言い放ってしまったのだ。先生もクラスメイトも、六夏の発言に対し、困惑しているようであった。
そこからだ。六夏が「変わり者」であるとか「おかしな子」と噂され、そのことがクラスを飛び越え、弟の睦斗の耳にまで届いてしまうのは。
六夏はただでさえ幼少の頃から、周囲の友達から「不思議ちゃん」と呼ばれ、他の人とは違う変わり者という扱いを受けてきた。
御宿海岸で友達と遊んでいる時も、褐色の馬に乗ったお侍さんが浜辺を駆けているとか、ボロボロの衣服をまとった青い目をした外国人が、御宿より東側の岩和田海岸の方からぞろぞろとやってくるなどと口にし、周囲を驚かせていた。
「六夏ちゃんは、とても感性が豊かよね」
「ちげーよ、そんなこと言ってみんなを驚かせたいだけだよ」
「そんな言い方しないであげて」
六夏にはどうも、他の人には見えないものが見えてしまうという不思議な習性があるようであった。そのことで、友達にバカにされ、悩み、いっそうのこと、自分の目が見えなくなればいいのにと、太陽の光を見続けることで目を焼いてしまおうとしたことがあったくらいなのだが、たまたまその場に遭遇した祖父に止められ、「それはお前のお目目のせいではないんだよ」と祖父を悲しませたことがある。
「じゃあ、一体何なの」
六夏は反発するように祖父に訊ねると、祖父は「阿泉家の弱い血がそうさせるのだ」と意味深に答えるのだが、六夏にはよくわからない。
「とにかく、自分自身の体を傷つけるなど、そんなことは考えてはダメだ」と祖父は六夏を諭すのであった。
それだから、六夏が少し変わった子であるということは、周囲の誰もが思っていたことなのだが、「オオクニヌシの末裔」などと口にし始めたことによって、やはりあの子はそうだったのかと、皆が確信を抱くようになる。
今振り返れば、幼少の頃に六夏が見た光景というのは、祖父が手記に残している御宿の歴史の記述と奇妙に一致しているということがわかった。御宿海岸よりも東にある岩和田海岸は、かつて十七世紀のスペイン帝国、日本征服の野望を持ったドン・ロドリコを乗せた船が難破し、漂着した海岸であった。六夏が海岸から見ていた光景とは、まさにその出来事だったのではないか。第六章「阿泉家のご先祖様と夷隅について」には、こう記されている。
この奇妙な一致は六夏を驚かせたが、かといって当時のことを弁明するために、私の見ていたものは御宿の歴史そのもので、これがその証拠であるなどと祖父の手記を引き合いに出したとしても、余計におかしな子であると疑われるだけであろう。
一方で、そのことが理由で、六夏がいじめの対象にされるということまではなかった。集団生活においてはありがちな話だが、六夏に限ってそうならなかったのは、六夏が御宿町の地主である阿泉家の人間であり、阿泉家が町の有力者であるということは、どの家の者も知っていたことであるし、起業してからの父、龍二は、御宿町のドンのような存在になりつつあったようだから、阿泉家を敵にしてはいけないということが、暗黙の裡にあったのであろう。それだから、触れぬ神に何とやらで、誰もが阿泉六夏には取り立てて関心を持たないようにし、距離を置いていたのだ。
学校が終われば、一人で家に帰り、祖父の離れの小屋で本を読みながら時間を過ごす。そんな学校生活が、ずっと続いていた。とはいえ、六夏は強がりでもなんでもなくこう思っていた。何も起きない、無為な時間がこのまま静かに過ぎ去ってくれればそれでよいのだと。
しかし――
夷隅郡御宿町。
この小さくて狭い田舎町で、阿泉六夏の名前を町中に轟かせることになる出来事が、静かに引き起きされようとしていた。
夏から秋へと差しかかろうとする九月の終わりのことであった。
それは六夏が企図したものというよりは、自然の成り行きであり、それを止める者も、止める力も働かなかったというような事態であった。
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