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『フィッシュ・アイ・ドライブ』第0話:プロローグ・無重力の都

本編の位置付け

 
 こんにちわ。GUTTIです。現在、note創作大賞2024に、長編小説『フィッシュ・アイ・ドライブ』を投稿中です。

 
 今回の作品は、書下ろしで、原稿用紙150枚、約60,000文字を予定しています。20話くらいで完結できればと思っていますが、前後する可能性もあります。

 長編ですと、長いお付き合いになってしまいます。ぽっと出の、私なんかの小説に関心をもって頂くのは難しいかもしれませんが、少しでもご関心ありましたら、最後まで読んでいただけますと幸いです。

 もちろん、みなさまに関心をもって頂けるような、作品を心掛けたいと思っておりますが、ある程度、この小説のコンセプトをどのあたりにおいているのかなどを把握していただくために、第0話、プロローグ的なものを用意させて頂きました。

 なぜ、物語のタイトルが『フィッシュ・アイ・ドライブ』なのか。そもそも一体どんな物語なのか? その手掛かりとなればと思います。


プロローグ 無重力の都



 
 地上の重力とは無縁な魚たちは、泳ぐことの自由と引き換えに、いつ敵に襲われるかもわからない危険な状況に置かれている。

 魚の形態や鱗が持つ色彩は、捕食者から身を護るためのカモフラージュなのだとどこかで聞いたことがある。

 彼らの背中が青や銀だったりするのは、空から狙ってくる鳥たちが目にする海や川の水面の色に溶け込むためであり、腹が白いのは、水底からやってくる自分よりも大きい捕食者たちが見上げた時、射し込んでくる光が作る白色に同化するためなのだという。

 彼らの戦略はカモフラージュすることで敵から逃げることだ。

 逃げて、逃げて、逃げて、辿り着いた大海の片隅、河川の方へと逃げおおせた彼らの一部が、陸で生きることを選び、爬虫類として進化していったたようだ。

 この生命の進化という気の遠くなるような時間においては、彼らのような弱者は、逃げるという戦略において、勝者になるきっかけを手に入れている。もっともそれは、水の中の自由が失われることと引き換えに、地上の重力を選んだものたちのストーリーだ。

 陸にあがれたもものもいれば、そうでないものもいる。海の中に取り残されたままの種族は、今なお、日夜、水の中を泳ぎ続ける他ない。

 彼らは、自然が形造った最適解を身に纏いながらも、誰かの胃の中に収まってしまうことを露とも知らず漂う。

 そんなヒリヒリするような綱渡りの状況を生きる彼らに、箱崎希虹(はこざきのあ)はどこか親近感のようなものさえ覚える。

 彼女が血を受け継いでいる箱崎家のご先祖様が、もともとは海人族(あまぞく)であり、我々はその末裔であるということを、祖父から口をすっぱくするように聞かされてきたことに理由があるのかもしれなかった。

 海人族とは、航海や漁業など海上において活動し、大和王朝が形成された四世紀頃には、海上輸送で力をつけることになった集団で、陸地よりも海と共に生活を作ってきた、出雲系の氏族なのだという。

 そして、その海人族の中でも、九州地方に進出してきた家系の一つが、箱崎家であり、箱崎家はある「特殊な技能」を持つ人間であるゆえ、疎まれ、除け者にされてきたというのが祖父の話であった。

 とはいえ、祖父の話はどこまで本気にしてよいものかわからなかった。

 なにせ祖父という人間は常日頃、酒に酔うたびに自分が大江健三郎や寺山修司、アラン・ドロンといった文化人と同時代を生きてきたことを誇りにしていて、ノーベル文学賞をとるのは大江ではなくて俺であったかもしれない、人生は紙一重なのだというようなことを嘯き、若い頃は作家になることを志していたものの、ついに一度もその夢が叶わなかったことを、他界する七十八歳までずっと嘆いていたような人間であった。

 幼少の頃に聞かされてきた箱崎家に伝わる「特殊な技能」云々の噺は、祖父が作り上げたフィクションであるという可能性は拭い切れない。

 自分が海人族の末裔であるということの真偽はともかく、地上よりも水中こそが自分本来の居場所なのであるという感覚は、希虹の中で確かにあった。
 
 何より、今の希虹は、泳ぐということを生業にしている。六本木のショーレストラン『熱帯夜』で、連日連夜、巨大水槽の中で泳ぎ、水中ストリップショーを行い、客から金をとっている。

 水中ストリップは、もともとは、1960年代、まだ若かった祖父が、博多で行っていた商売だ。祖父が言っていた箱崎家が持つ「特殊な技能」というのは、ある意味正しく、なんであれ、箱崎家が「ワケあり」の人種であったのは間違いがない。

 そんな祖父がやっていた芸能ごとを、二十歳になった希虹が関心を持ち、上京とともに、『熱帯夜』に売り込んだのがきっかけで、希虹自身のダンサーとしてのキャリアが始まった。水中ストリップは、『熱帯夜』の名物となり、欠かせない演目となっている。

 そうやって、仕事において常に水の中にいる希虹は、たまの休日の息抜きにおいてさえも、泳いでいる。もちろん、それはショーのための鍛錬ということも兼ねていたが、どちらかというと、仕事や人間関係でのストレスを、泳ぐことで解消することの意味合いの方が大きかった。

 溜池山王のフィットネスクラブのプールで、日常や自己というものを忘れ、ただ無心で泳ぐ。

 もっとも三歳の頃から近所のスイミングスクールに通い、中学高校とずっと水泳部であった希虹にしてみれば、それがむしろ、彼女の「日常」であるのかもしれなかった。

 希虹は、プールに来ると、時間の許す限り延々と泳ぎ続けている。調子が良ければ、二十五メートルを四十往復は泳ぐ。クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライと四泳法のいずれもこなすが、希虹はクロールを特に好んだ。この泳ぎ方こそが、水中を滑らかに泳ぎ、時にたゆたうように浮遊する魚のものに近い。

 皮骨で構成された魚の鰭こそが、陸上生物の手と指へと進化を遂げたというのは納得がいく話だ。弧を描くように手を回し、土を掘るように指で水を掻く。粘性、造波、圧力という三つの抵抗を推進力と速度で打ち負かし、浮力によって重力が相殺された空間を何も考えず突き進むことができるこの時間こそ、「永遠」であればよいのにとも思う。

 希虹が泳ぎ続けている間、水と身体の輪郭の境界は消失する。願わくば、水上に顔を出し呼吸することさえ失くすことができるのなら、どんなによいだろうとも思う。

 そうやって、希虹は繁忙する週末以外に与えられた週二日間の休みのうちの一日はなるべく泳ぐ時間にあてる――




「わたしだってわかってるよ、所詮ストリップだって。客が見に来くるのは、泳ぎじゃなくて裸が見たいだけだってのもさ。でも、それを直接、ダンサーのわたしにわざわざ言ってくるってどうなの? わたしはともかく、一生懸命頑張ってる他のダンサーもいるのにさ」

 希虹のそんな愚痴に付き合ってくれるのは、溜池山王の駅前にあるバー「BRUNO」のマスター光男ちゃんだけである。

「BRUNO」は希虹が休日にルーティンで通うもう一つの場所で、フィットネスで何時間も泳いだ後は、結局お酒が欲しくなり、仕事終わりの平日こそは自宅のマンションでしか飲まないが、休日ともなれば、少しでも気を許せる人間と同じ空間にいたいという思いに駆られ、東京に住み始めて八年の付き合いになる光男ちゃんのところについつい顔を出してしまう。

 休日といっても、希虹の休みは月曜日と水曜日である。それゆえに店内は大抵客もまばらでカウンターに座るのは希虹くらいであったから、余計に落ち着くことができた。

「BRUNO」のコンセプトはイタリアンバルで、光男ちゃんはいつも最初に希虹がお気に入りのオリーブオイルたっぷりの蛸のマリネを出してくれる。
 
 希虹は蛸の身を奥歯でクチャクチャとやりながら、その身がまだ口の中で溶けるかどうかというちに白ワインを水のように流し込む。

 店内には、光男ちゃんが好きだというジャズの音楽が流れている。希虹はジャズには関心はないが光男ちゃんにいろいろと講釈を垂れられて、嫌でもいろいろと覚えてしまう。

「で、その演出家とはどうなったの?」

 光男ちゃんは、煙草を取り出し口にくわえると、火を点けながら希虹に訊く。

「どうなるんだろう。辞めちゃうんじゃない。わたしが、さんざんキレてやったからね。こう毎日毎日喧嘩してちゃ、向こうも嫌になるだろうしね」

 二杯目のワインでほろ酔い気味の希虹は、目を瞑りながらぼやく。

 光男ちゃんは、女の子のようなおちょぼ口で煙を天井に向かって吹く。マニキュアをした光男ちゃんの指に挟まれた煙草の先から白い煙が立ち込める。

 煙は、ある種の崇高さを帯びながらゆっくりと宙に昇っていく。

 常連から光男ちゃんと呼ばれ慕われている「BRUNO」のマスターは、京大文学部出身のインテリだ。大学院にも進み、フランス文学、映画芸術論などの研究をやっていたこともあり仏語も堪能だし、学術や芸術のみならず、料理やスポーツなど文化的なものについては何でも知っていて守備範囲が広い。

 誰にも気さくで立ち振る舞い方が上品。歌舞伎役者のような男振りの良さだから、世の女子の誰もがそれなりに惚れてしまってもおかしくはない。光男ちゃんが自分の恋愛対象は男性であると自覚したのは十三歳の時のようであったが、ゲイであることを周囲にカミングアウトしたのは、大学院を出てから就職した大手出版社を退職したあとのことらしい。

 サラリーマンは性に合わないと悟り、飲食店を経営するようになったようだ。そんな光男ちゃんは、希虹にはいろんな本を読むようにと薦めてくる。
 
 文学に造詣のあった祖父の影響で、人より読書をしていた希虹は、光男ちゃんとは話が合った。光男ちゃんと交わす会話は本や映画のことばかりで、お互いのプライヴェートのことは話さない。

 希虹がやっている仕事のことを光男ちゃんは知っていたが、希虹自身がそのことについて話すことが滅多にないし、若い女子たちが好んでするような恋愛話もない。

「そういえばシモーヌ・ヴェイユは読んでみた?」

 光男ちゃんは空になった希虹のグラスを見て、すぐに三杯目のワインを注いでくれた。

「うん、少しずつだけど読んでいるよ」

 希虹はそう言うとグラスに口を運ぶと、ワインを舌の上に転がし味わうようにしながら口を動かし、光男ちゃんが教えてくれた本のタイトルを思い出そうとしている。

「『重力と恩寵』よ」

 希虹が答えるよりも先に、光男ちゃんがタイトルを言ってしまう。

「そう、それ」

 希虹はなぜだか可笑しくなって吹き出してしまった。フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユは、光男ちゃんの卒論のテーマだったそうだ。

 光男ちゃんが教えてくれた言葉で、希虹にとってもお気に入りのものがある。

――架空の楽園よりも、現実の地獄を選べ
 
「人は実現できもしない理想に逃げたり、白馬の王子様を待ち望んだりしてしまいがちだけど、目の前の現実をしっかりと肯定しなさいってことよね」
 
 光男ちゃんと会話をしていると、仕事のことや、人間関係のもつれといった仔細なことはどうでもよくなってくるから不思議だ。

 その勇気をもらうために、希虹は足繫くこの店に通っているのかもしれない。ここで貯蔵したエネルギーを持って、またいつもの仕事をむかえることになるのだ。

 休日が空けるのは早い。自分がもっとも欲する時間ほど、早く過ぎてしまうものはない。

 そうやって、希虹が一人で過ごす休日は終わる。

 

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