『ポストマン・ウォー』第38話:国際戦争
『ポストマン・ウォー』第38話:国際戦争
中谷幸平は、とても気が気でなかった。あの女がなぜそんな話を知っているのか? 本当に知っていたとして、『カササギ』が事件に絡んでいるということが噂されている?
「大丈夫。中谷サンは何も心配しないでいい」
ドルジさんの顔が思い出された。やはり、大丈夫なわけがないということだろうか。
終電の時間が近付いて来たころ「そろそろかな」と江原さんが言い出した。
「え、江原さんもう帰るんですか?」
矢部さんが名残惜しそうに江原さんを見る。
「ああ、お前らいるならいてもいいけど。俺は帰るわ。ここまでは払っとくから、この先は個人の責任でよろしく」
そう言って江原さんは、覚束ない足で、それまでの会計をカード払いで済ませ「じゃ」といって、何事もなかったように去っていった。
「どうする?」
残された、矢部さんと新堀さんとで顔を見合わせる。
「俺、個室指名いっていいすか?」
中谷幸平が突然声をあげた。
「え、中谷君、個室やってくの? やるねえ」
そう言って矢部さんに冷やかされる。
中谷幸平は江原さんについていた女の子を指名して「個室指名」をお願いした。
まさかその子にいくのか、という顔で矢部さんは驚いていたが、江原さんがずっと指名してきた女というわけでもないので、問題はない。
「自分の好みなんすよね」
中谷幸平は一万円をボーイに払うと、指名した女と階段をあがり別部屋へと向かった。
個室部屋は、なんてことはない。広々とした部屋に幾つかのパーテーションが区切られているだけの簡易的な作りであった。
二人掛けくらいのソファと小さな卓がある。他にプレイに興じている客はいないようだった。
こういう店のお決まりのBGMなのだろうか、アップテンポのユーロビートの曲が大音量で流れている。
中谷幸平がソファに座ると、女はすぐにもたれかかってきた。時間は三十分ということで、女もとっとと済ませましょうという感じで、中谷幸平のズボンを脱がしにかかる。
「ちょっと待ってくれ。やらなくていい」
中谷幸平が女の手を遮ると女は、「どうして?」という顔をして中谷幸平を見る。
「やらなくていいから、さっきの『カササギ』の話を聞かせてくれ」
「エ? ドウイウコトデスカ?」女は首を横に傾げる。
「『カササギ』には好きな子がいてさ。その子のこともあって、さっきの話が気になって仕方がないんだ。もし、ここじゃ話しづらいって言うなら、別の場所でもいいよ。君にもう一万お金払うから、話を聞かせてくれ」
女は首を左右にひねりながら、どうしようかなという顔をしていたが「別ニココデモイイ。誰モ聞コエナイヨ」と言い「お金ここでください」という感じで右手を差し出す。
中谷幸平は財布から万券を抜いて一枚渡した。
「デ、何ガ聞キタカッタノ?」
女は手にした万券を自分の胸の谷間に挟む。焼けた、色黒の肌だった。
「さっきの事件と『カササギ』の関係だ。なんで『カササギ』が関係してるんだ?」
「中国人トモンゴル人、仲ガ悪イ」
「それはさっき聞いた。殺し合うほど仲が悪いってこと?」
「ソウカモネ。昔カラ、暴力ガナクナラナイ」
「中国人の?」
「ソウヨ。中国人ノ、バックノ人タチ、向コウデモ有名。大キナ組織。コッチデヤリタイ放題。モンゴル人ノ女ノ子ヤ、スタッフ、ドレダケイジメラレテキタコトカ」
「じゃあ、モンゴル人には相当恨みがあるってことか」
「モンゴル人ダケジャナイ。ロシア人モ、頭ニキテイル」
ロシア人。ドルジさんが言っていたことと同じだ。ブルーウルフは、ロシアと繋がっているのだと。
「コレ、戦争ニナルカモネ」女はあっけらかんと言う。
「戦争?」中谷幸平は身を乗り出していた。
「ロシアと中国?」
そう、と女は頷く。中国人の好きにさせていたら、G町だけではない。K町も、それから台東区の方、上野や浅草まで、好き放題に支配されることを、ロシアやモンゴル側は懸念しているのだという。
その時、中谷幸平らがいる個室に、ボーイが通りかかった。チラっとこっちの様子を見ているのがわかったが、ボーイは黙って通り過ぎた。
「そのロシアって何者なの?」
中谷幸平は声を潜め、女をさらに問い質す。
「アタシ、ソコマデ詳シクナイヨ」
「名前くらいわからない?組織名とか」
ボーイが来たせいか。ここにきて女がすっとぼけ出し、中谷幸平は苛立ち始めた。
「ソレヨリオ兄サン、一発ヤッテイキナヨ。オ金モッタナイヨ」
女はそう言って、中谷幸平のズボンとパンツを強引におろしにかかるが、ちょっとまだいいと、中谷幸平が女を制する。
「名前、知っているだろう?」
中谷幸平はあえてもう一度訊く。女が中谷幸平の首筋に舌を這わせる。そして、目の前に右手を差し出してくる。さらに金をせびるのか。
中谷幸平はさらにもう一枚万券を女の手に渡した。
「・・・レッドウイング」
「え?」
女がぼそっともらした言葉に、中谷幸平は反応せずにはいられない。
「レッドウイング?」
「ソウ、ロシアノ怖イ人タチ。イエロードラゴンミタイナ、大キナ組織」
「レッドウイング? 赤い羽・・」
中谷幸平の頭の中が混乱する。赤い羽、その名は中谷幸平が小学生の時に「軍団ごっこ」をやっていた時の組織の名前だ。偶然だろうか?
「ソウ、中国人タチ、モンゴルトロシアノ仕業ダッテモウ勘ヅイテル。キット、中国人、ロシアヤモンゴルニ、報復スルヨ」
「そうそう、そういう話が聞きたいんだ。他にはもっとない?」
「K町デ、怖イコト、ソノウチ起キル。ワタシ、ソウイウ情報イッパイ入ッテクル」
女がなぜ、そのような裏組織の事情に精通しているのか、中谷幸平は疑うこともなかった。背景はどうでもよい。とにかく、ありったけの情報を引き出したかった。
「K町? 彼らは何をしようとしてる?」
「サア、ソレ以上ハ知ラナイ。アタシワカラナイ」
中谷幸平はその後も、女から話を聞き出そうと粘ったのだが、女はそれ以上の情報は持っていないのだろうと判断した。
「そうか、じゃあそろそろ帰るわ」
「エ? ドウイウコト?」
「終わり。これ以上は大丈夫だから」
中谷幸平はそう言って立ち上がると、そのまま部屋を出て行った。女はきょとんとし、中谷幸平の背中を不思議そうに見入っていた。
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