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『ポストマン・ウォー』第11話:組合への誘い


『ポストマン・ウォー』第11話:組合への誘い


 
 矢部さんが局にやってきて二日目のことだった。昼休憩のシフトで矢部さんと中谷幸平が一緒になった。

「よかったら、外で食べよう」と矢部さんが誘ってきた。

「いいですね」と中谷幸平も愛想よく返した。

「あ、なんか羽織るものあったらそれも着ていきなよ」矢部さんはなぜか、私服の上着を着て行けと指定する。
 
 二人で向かったのは局から少し離れた中華屋だった。中谷幸平はあまり来たことはないが、矢部さんは常連のようだった。

「仕事終わったら、飲みの締めでよくこの店に来るんだよね」
 
 暖簾を分けて店に入ると、そこは小汚い食堂という印象だった。老夫婦が営んでいて、客数も昼時だというのにまばらである。壁いっぱいに手書きのメニューが書き連ねてある。

「ここはちゃんぽんと炒飯が絶品だよ」

「ちゃんぽんですか?」

「珍しいだろう? 中華そば屋なのに、長崎ちゃんぽんが絶品なんだよ」

「へー」そう言って中谷幸平はテーブルにあったメニュー表を手にとり、料理の写真を眺める。そうは言われても、他の麺類もそそられる。

 中谷幸平が何にするか決めあぐねている中、矢部さんは手をあげて「おばちゃん、瓶ビール一本」とそれが当たり前かのように頼む。おばちゃんと呼ばれる白髪の店員さんも「グラスは?」とさらっと聞き返す。

「中谷君、飲むよね」矢部さんが中谷幸平の顔を伺う。

「え、さすがにまずいですって。仕事中ですよ」

「そんなかたいこと言うなって。ビールなんて水と同じよ、って先輩に教わらなかった?」

「いや、接客業ですし、お客さんに見られたらまずいですよ」

「だから上着羽織ってきたじゃん。大丈夫、休憩時間はプライヴェートだから」
 
 矢部さんが、上着を羽織ってこいと指示してきた理由がわかった。しかしこんな狭いエリアでは、顔を見られただけでG町第五郵便局の人間であるということはわかってしまう。

「グラスはどうすんの?」おばちゃんが業務用の冷蔵庫から瓶ビールを取り出しながら声をあげる。

「二つお願い」矢部さんは指を二本立てて、中谷幸平に確認することなく答えてしまう。矢部さんに悪びれた様子はない。瓶ビールとグラスが二つ運ばれる。

「あと、餃子二皿と、ちゃんぽん一つもお願い。中谷君は何にする?」

「あ、じゃあ自分もちゃんぽんで」中谷幸平は少しうろたえながら答えた。

「まあまあ、新年度も始まったわけだし、出発の会ということで、よろしく頼みますよ」そう言って矢部さんは二つのグラスにビールを注ぎ、一つを中谷幸平に差し出した。

 中谷幸平が少しためらっていると「いいからいっちゃいなよ。祝いの時は酒を飲むのが日本式だよ」そう煽る矢部さんに、どんな理屈だと思いながら、中谷幸平は渋々ビールを口にした。

 その姿を見て、矢部さんも嬉しそうにビールを飲み、まるで夏場に麦茶を飲むように、勢いよく喉の音を鳴らしながら飲み干し、すぐにまた次を注いだ。その顔が、中谷君も飲み干しなよ、と言わんばかりだったので、中谷幸平も一気にそれを飲み干した。

「お、いい飲みっぷりじゃない」矢部さんはそう言って中谷幸平のグラスにビールを注ぐ。

「柴田主任とかにばれたら、矢部さんのせいにしますからね」

「はは、いいよ、いいよ。そんなことで咎められる職場じゃないから」
 
 何を根拠に言っているのだろうと思ったが、よくよく考えてみれば杉山局長が率先してそういうことをやっているのだと思い返し、中谷幸平は黙って飲み続けた。
 
 餃子とちゃんぽんが出てくるのはほとんど同時だった。矢部さんが言う通り、その味は間違いがなかった。

「どう?」

「うまいっす」

「だろ」

 矢部さんが嬉しそうに麺をすする。

「ところでさ、中谷君は、組合入ってないでしょ」

「はい、特に気にしたこともなかったです」

「郵便局員としてやっていくならさ、入らないとダメだよ」矢部さんは急に真面目な顔になって話し出す。

「いや、同期ともそういう話をするんですけど、組合活動は厄介だから絶対やらない方がいいって言われているんですよね」

「ダメダメ、新卒君はそういうことわからないから」矢部さんは口を尖らせながら、ちゃんぽんの麺をすすり続ける。瓶ビールが空になっていることに気付くと「おばちゃん、もう一本頂戴」と追加注文する。「ちょっと」と中谷幸平は制しようとしたが遅かった。
 
 矢部さんは、郵便局における労働組合の話を滔々と語り始め、とりわけ特定郵便局という小さな組織においては組合のネットワークがいかに大事かを説明した。
 
 そして、自身はもちろん、連絡会のほとんどの先輩が組合員であること、中谷幸平の同期である新堀さんも局の先輩に誘われ、組合活動を始めていることを教えてくれた。

「自分はそんな話、初めて聞きました。長田さんも高城さんも、組合活動してないですよね」中谷幸平は率直に思っていることを口にした。新堀さんが組合員であるということは忘年会でも聞かされたが、まだどこか他人事だった。

「長田さんがさ、なんで異動になったかわかる?」矢部さんが箸の動きを止める。

「いえ、わからないです」中谷幸平は首を横に振った。

「ここだけの話、長田さんは、ずっと昔から組合活動に反発していんだ。異動っていってもただの異動じゃないよ。連絡会飛び越えて外に放出されるっていうのはさ、よほどのことなんだ」

「え、そうなんですか」中谷幸平には矢部さんが話していることが信じられなかった。主任候補とまで言われていた優秀な長田さんが何かやらかしたのだろうか。

「組合への貢献度が低い人はそうなってしまうってこと。大変だよね、まったく知らない局で、また一から人間関係構築しなくちゃいけないんだもの」
 
 矢部さんは苦笑しながら、グラスに残ったビールを飲み干す。
 
 ちゃんぽんも食べ終わり、しばらく沈黙が続いた。矢部さんは背もたれにふんぞり返りながら、爪楊枝で歯の隙間を突っついている。

「まあ、中谷君もそのうちわかるよ。うちの連絡会は組合員ばかりなんだ。俺が良くしてもらっている先輩なんかは、みな幹部候補だからね。そうそう、今度先輩たちもちゃんと紹介するから」

「はあ」中谷幸平は気のない返事をする。矢部さんに何をどう説得されようが、組合活動などはやる気がない。自ら進んで人間関係を悪くするともりはないが、そういう付き合いをしなくても、自分はやっていけるという妙な自信があった。どんな理由をつけてでも断ればいい。そういう腹積もりだった。

「あ、そういえば、六月に組合の東関東支部の総会があるからさ、まずはそこに顔出してみるというのはどう?」

 矢部さんはしつこく組合の話を続ける。

「はい、もし気が向いたら」

 中谷幸平はそこではっきりと、自分にはそういった課外活動への意思はないことを告げるべきであった。矢部さんの気を悪くさせてもまずいと思い、曖昧な返しをしてしまった。

「まあ、考えといてよ」矢部さんは爪楊枝を空になった餃子の皿に放り投げると、「ここは出しとくから」と財布から札を取り出した。
 
 
 

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