宇宙は無数に存在する!?〜現代宇宙科学はどこまで行くのか~
PIVOTで配信された【宇宙は無数に存在する】UCバークレー 物理学者が完全解説がめちゃくちゃ面白かった。ゲストは野村泰紀先生。米カリフォルニア大学バークレー校教授の物理学者である。
私は昔から、宇宙論は大好物で、数学や物理学はまるでダメだが、最先端の宇宙理論などには惹かれてしまう。新書での宇宙関連の本も読んでいたし、科学雑誌『Newton』は定期購読していた。スカパーに加入してディスカバリーチャンネルやナショナルジオグラフィックも見るのが大好きだったのである。
マルチバースは15年くらい前までは、多重宇宙発生論というような言い方をしていたかと思う。まだ漠然とした理論であり、科学者の空想力を駆使した仮説の一つ、フィクションの一つという捉え方だったような気がする。
ただ、私はその当時から多重宇宙発生論に関心を持っていて、『科学と技術の諸相』のサイトを運営していた吉田伸夫先生にこんな質問をぶつけたことがある。2008年のことである。
この質問の意図としては、スピノザの「実体」の考え方、「神」の定義を念頭に置いている。有名なスピノザの「実体」および「神」の定義はこうだ。
「属性」というワードがあるので、「属性」の定義もついでに。
何が言いたいかというと、宇宙は一つであれ、複数であれ、「この宇宙」という点では一つの実体であろうということを、質問の中に入れてみたのである。身体に細胞が何個あろうとも「この身体」は「この身体」でしかないように。
というような、柄谷行人が言うところの「無限」の扱いについて、科学者はどう考えているのだろうか、ということを訊いてみたかったのである。
先生の回答は次のようなものであった。
私の意図からは、ずれたものの、ものすごく丁寧にご回答頂けた。そして吉田先生から、「宇宙の複数性は否定できない」という言葉を引き出せたことに対し、私は異様な興奮を覚えたものである。
あれから15年近く。宇宙多重発生論、マルチバース理論はどのような進化を遂げているのか。この15年の間、宇宙論の本や新書はいくつか読んでいた。その際にマルチバース論は必ず最後の章あたりで出てくるのだが、どれも紋切型というか、やはりまだまだ想像の域を出ていないのだなあと、少しがっかりしていた部分があったのは確かなのだだが、今回の野村泰紀先生のお話には感銘を受けたし、本当にぶっ飛んだ。1時間半という尺の長さはあっという間である。
とにかく面白いのである。そしてマルチバースはこれまで机上の理論であったが、今後実証されないとも限らない、実験もできる、というところの解像度まで来ているようなのだ。
また、これまでマルチバースとは別に独自で構想されていて、これまた怪しいとさえ言われていたが、ある種の流行も見せていた「超弦理論」や「膜理論」も、この多重宇宙を説明できる原理の中に、「結果的」にマージされていたというような解説もあり、興奮が止まらなくなってしまった。
最先端の科学者たちが、世界の原理・物理構造を解き明かしていこうというプロセスにはすさまじいものがある。
私が多重宇宙論に関心を持つのは、そこには必ずスピノザ的な「無限」の問題が孕んでいるからだ。
たとえば、「宇宙を泡として見る」という考え方が、野村泰紀先生の解説にも出てくる。宇宙とは泡であり、一つ一つの泡には大きさはあるが、仮に外から見てどんなに小さい泡であっても、中にいる人にとっては無限の大きさである、といった内容の話である。
これは、すぐさま柄谷行人がスピノザにおいて捉えていた「無限の観念」と重なり合うのである。
「無限の観念」とは、順序や程度、数や量といった人間の概念とはまた異なる世界の捉え方である。スピノザは時間や空間は人間の概念であるとした。スピノザのこの無限の観念を持ち出さないと、先ほどの「どんなに小さい泡であっても、中にいる人にとっては無限」というのはイメージが難しいであろう。(私もイメージできているとは言い難いが・・)
とかく、多重宇宙論には知的好奇心をくすぐる内容に溢れている。
この多重宇宙論に限らず、現代科学における世界の解明には目を見張るものがある。
量子力学の発見においては、物質は単純な運動、メカニズムによって生成するものではなく、人間にとってはきわめて複雑で、偶然や確率的としか呼びようのない奇怪な振る舞いを見せることがわかった。
宇宙の大きさは、150億光年どころか450億光年へと拡がり、じつはそれすらも人間が観察できる範囲でしかなく、実際はもっと大きいのだともいわれる。ビッグバン理論においては、従来の物理法則では説明のつかない現象が発見され始めている。
惑星の数、銀河の数、あらゆる発見が、それまでの定説をくつがえしていく。世界に関する知は、どんどん書き換えられていくのだ。これはつまり、世界という知性がいかに無限そのものであり、人間の知性ですべてをコンプリートすることが不可能なまでの深淵を示している、ということに他ならない。
このような、われわれの定説や常識をくつがえすような新発見は、これからますます出現していくことになるであろう。そしてそのたびに、われわれは世界という「無限者」の顔を垣間見ることで、その途方もなさに打ちのめされ、畏怖することになるのだ。
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