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『ポストマン・ウォー』第15話:支部大会


『ポストマン・ウォー』第15話:支部大会


 組合の支部大会に参加することは避けられなかった。支部大会に顔を出すということは組合活動にコミットするということだ。倉地さんも吉田さんも、もうそのつもりでいるからと、矢部さんに何度も念を押された。

「飲んだだけじゃないですか」とは言えなかった。嫌だったら、飲まないという選択肢もあったのだ。だが、あんな状況で断れる人間がいるのだろうかと中谷幸平は思う。よほど強い意志を示さない限り、人は流されてしまうのだということを、身を持って知った。
 
 大会については、開催の日程と場所だけ連絡をもらい、各自で行けばよいとのことだった。中谷幸平は心細くもあったので、新堀さんと最寄りの駅である北千住で待ち合わせをして、開催場所の足立区民会館に向かった。土曜日のため私服で参加できた。
 
 東東京支部大会は、台東区、墨田区、江東区、足立区、江戸川区、葛飾区、荒川区の特定郵便局の組合員が年に数度集まる大きな会であるという。
 
 改札を出ですぐに新堀さんと落ち合うことができた。「やあ、中谷君」新堀さんが中谷幸平に気付くと手を振る。

「この前はお疲れ。さんざん飲んだね」

「いや、まったく。翌日は二日酔いで死亡していましたよ」中谷幸平は苦笑する。
 
 開催会場である区民会館に着くと、一階の入口でメガホンを持って案内している者がいて、東東京支部大会は四階大会議室になります、と声をあげている。自分たち以外にも郵便局員らしき人間が次々とやって来たが、同期の人間はいない。
 
 会場へと流れていく人間たちについていく形で、エスカレーターで上の階へと向かう。

「同期はみなやってないんですよね、組合」

「ああ、俺らくらいじゃない。こっちは組合の力が強いんだよきっと」新堀さんが溜息交じりに言う。中谷幸平もババを引いてしまったような感覚になる。

「でも新堀さん、組合は本気でやるわけじゃないですよね?」

「まさか。こんなの付き合いだよ、付き合い。吉田さん怖いからさ、言われた通りにしているだけ」新堀さんの言葉を聞いて、中谷幸平は少し安堵する。

「でもどうします、本気でやれ、ってなったら」

「そんなに心配しなくていいよ。組合ってのは形だけさ。サラリーマンによくある、部署間交流だと思って割り切ればいんじゃないの?」

「そうですね、割り切りですよね」
 
 四階ロビーに到着すると、大会議室前のホワイエはすでに人で溢れていた。会議室を覗くと、数百人は収容できる広々とした会場であることがわかった。
 
 ステージ上には『全日本郵政労働組合・東東京支部・定期大会』という横断幕とともに日本国旗と郵便マークの郵政旗、組合のものと思われる旗が並んで掲げられている。
 
 倉地さんたち先輩方も来ていると思うが、この人数では見つけるのも至難だろうと思った。中谷幸平は新堀さんと一緒に、後方の席に座ることにした。周りの人間は、顔見知りがほとんどなのだろうか。椅子に座ることなく、数人の人間で固まり、立ったままさまざまな会話を飛び交わしている。

「やり過ごせばいいさ」新堀さんが振り返ることなく小声で言う。「そうですね」中谷幸平も頷き、静かに会の進行を待った。
 
 支部大会は、淡々と進んだ。スーツ姿の司会者がステージ上で会議を進行し、前年の組合活動や収支に関する結果を報告し、異議がないかどうかを聴衆に求め、異議無しということであれば拍手で示される。それから、今期二〇〇一年の計画へと議題は移るが、話はもっぱら小泉政権の動向についてであった。
 
 小泉純一郎への世間の注目は凄まじかった。「聖域なき構造改革」を掲げ、総理大臣となった小泉純一郎が掲げていた「本丸」の重要施策に、郵政民営化があった。当然、組合としてもその動向に無関心であることはできない。

「民営化は断固として反対」議会長とされる人間が叫ぶと、会場から喚声が起こる。そして、明治時代に開始された郵便事業と、その創始者である前島密の話になり、郵便局が地域で担ってきた役割がいかに重要なものであったか、民営化になることで何が起きてしまうのかということを、熱っぽく語り始めた。
 
 中谷幸平には今一つ実感が湧かなかったが、世間で、郵便局が公務であるべきかどうかの議論に沸いているということは把握していた。だが、そのことについて、ここにいる組合員がどれほど自分事として感じているのかは、甚だ疑問であった。「なるようになるし、どっちでもいいよね」新堀さんがぼそっと口を開く。中谷幸平も同じ感覚であった。

「今こそ、組合員としてのみなさんの一人一人の力が問われています」議会長は聴衆を鼓舞するように右手の拳を突き立て、エイエイオーの掛け声で締める。

「さ、帰ろうか」新堀さんはそそくさとバックを肩にかけ、立ち上がった。中谷幸平も会が終わればすぐに帰る、そのつもりでいた。
 
 エスカレーター前は帰る人でごった返していた。順番待ちしている時に、突然、中谷幸平の肩を叩く者があった。振り返ると、矢部さんだった。できれば顔を合わせたくなかったが、もちろん無視するわけにはいかない。

「中谷君、このあと有志の懇親会あるみたいだけど、行くよね?」議会長の話を聞いた影響か、矢部さんの声は妙にテンションが高かった。
 
 中谷幸平は「しまった」という顔で新堀さんと顔を見合わせる。

「せっかくだから、江原さんを紹介したいんだけどさ。あの人、顔広いからいろんなところで挨拶しているのかも」矢部さんは二人が戸惑っている様子に構うことなく続ける。

「会ったらもちろん紹介するから」

「懇親会の話は聞いてなかったんですけど、どこでやるんですか?」新堀さんは観念したのか、矢部さんに話を合わせる。

「すぐ近くのホテルの宴会場」矢部さんはそう言って、無造作に携帯電話を取り出した。

「じゃあ、俺は友人と会場向かうから、あっちで合流できたらしよう」

「乾杯だけ顔出そうか」新堀さんが中谷幸平を見る。

「そうですね、最初だけ」中谷幸平もそう返すことしかできなかった。

 矢部さんは電話をしながらどこかへと消えてしまった。
 
 

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