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『ポストマン・ウォー』第14話:モンゴルパブ


『ポストマン・ウォー』第14話:モンゴルパブ


 二軒目はどうするのだろうと思っていると、倉地さんたちは、誰に確認することもなく、一方向に向かって歩いていく。向かう先はもう決まっているようだった。

 派手な看板が並んだビルの前で、急に立ち止まったのでまさかと思ったが、キャバクラだった。三人は吸い込まれるように、地下にある店へと降りていく。思わず、新堀さんと顔を見合わせる。付き合うしかないよという感じで、新堀さんは中谷幸平の背中をぽんと叩く。
 
 扉を開けると「いらっしゃいませ、ようこそ『ブラックベリー』へ」というボーイの声。
 
 店内は薄暗かったが、壁一面が鏡張りになっていて、天井の所々にミラーボールがまわっている。値が張りそうな店だった。「倉地さん吉田さんこんにちわ」一人のボーイが、倉地さんたちを認識すると、擦り寄ように近づいてきた。

「リサいる?」倉地さんは慣れた感じであった。常連なのだろう。「はい、リサさんもアヤさんもいます」ボーイはそう言って吉田さんの顔を伺う。

「アヤいるのか」吉田さんも満足げだった。

「中谷君、もしかしたらキャバクラ初めて?」豪華なソファ席に案内され、中央にどっしりと構えた倉地さんが中谷幸平の方を見る。

「はい、初です」と中谷幸平は答える。

「キャバデビューだな」矢部さんがにやにやしながら中谷幸平の方を見る。
 
 そこから先は先輩たちの思いのままに身を任せるだけであった。最初の店で終わるだろうとタカをくくっていたが、勢いが止まる気配はなかった。中谷幸平も新堀さんも終電を気にしていたが、タクシーで帰ればよいと言われ、そこから二軒目三軒目と続いた。いずれもキャバクラで、どれだけお金がかかっていたかはわからない。すべて倉地さんと吉田さんが順に精算をしていた。「今日は中谷君の歓迎会だからな、行くところまで行こうや」ご機嫌になった倉地さんが中谷幸平の肩に手をまわす。
 
 目まぐるしく店の女の子が出てくる度に、焼酎の水割りを飲み続けていた中谷幸平は「どうにでもなれ」という感覚になっていた。酔い過ぎて、何を話していても顔が緩んでしまう。どんな話をしていたかは覚えていなかった。どうでもいいような他愛ない話でバカ騒ぎしていたことは確かだった。
 
 ただ、そんなやりとりの途中でも、組合活動の話が差し込まれ、その内容だけははっきりと、頭の片隅に残った。

「中谷君、次は、江原さんにも会わせるから」倉地さんが酔った体を左右にゆらゆらと揺らしながら言う。

「江原さん?」

「俺たちの大将。連絡会は違うけど、組合でずっとよくしてもらってるのよ」

「江原さんは東東京支部の支部長候補とされる人で、俺らの期待を背負っているリーダーなんだよ」矢部さんが口を挟む。

「お前のところに長田っていたでしょ。あいつ俺らの二個上で江原さんの同期なんだけどさ、あいつが異動になったのは、江原さんと対立したからなんだよ」吉田さんが機嫌悪い口調で言い放った。そのことは、以前に矢部さんからも聞いていた。

「その話はやめとけ」倉地さんは吉田さんを制す。何があったのか気になるところであったが、中谷幸平もそれ以上は聞かないようにした。
 
 二時はまわっていただろうか。人影も少なく、ほとんどの飲食店はシャッターを降ろしていた。ふらついた足で、話す言葉もおぼつかないまま「最後にモンゴル行くぞ」と吉田さんが叫ぶ。何のことを指しているのかよくわからなかったが、中谷幸平と新堀さんは先輩たちの背中を追ってついていくのが精一杯であった。その店は、繁華街からは少し離れ、高架下をくぐった駅の反対口にあるようだった。

「『モンゴルパブ・火症鳥』」と書かれた店の前のスタンド看板を目にし、吉田さんと倉地さんは肩を組みながら、勢いよく木製の玄関扉を開け店に入っていく。

「なんて読むんですか?」中谷幸平が「火症鳥」の文字を指す。

「ああ、これね『カササギ』って店」矢部さんが答えてくれた。

「カササギ?」

「モンゴルによくいる鳥の名前みたいよ。俺もよう知らん」

「よく来るんですか?」

「最後の締めは大抵ここよ」矢部さんはどういうわけかウインクする。
 
 店内はキャバクラというよりはスナックに近いカジュアルな趣であった。どこか独特な匂いが鼻につく。高さがあまりないステージが店の奥に見え、カラオケ機器が置かれている。壁に掛かったテレビモニターには、民族衣装を纏った女性の映像が流れていた。
 
 中に入ると、すぐに何人かの女性が出迎えてくれたが、その女性を見て中谷幸平は驚きを隠せなかった。チャイナドレスのような派手な衣装をまとった女性の中に、G町第五郵便局で国際便を出す女性二人がそこにいたからだ。彼女たちも中谷幸平を見て「オニイサン。豪サンノトモダチダッタノネ」とはしゃぎながら腕を組んでくる。豪さんとは吉田さんのことのようだった。

「あれ、知り合いなの?」倉地さんが目を大きく見開いて中谷幸平を振り返る。

「うちの郵便局のお客さんです」

「まじかー」皆が一斉に声をあげて驚く。
 
 この店では、吉田さんへの歓迎ぶりがすごかった。

「吉田さんガタイいいだろ、ここでは大きな男がモテるんだ」矢部さんが中谷幸平に耳打ちする。
 
 モンゴル人女性五人が列を作って順番にやってくる。小柄な日本人女性と異なり、体躯が大きかった。女たちはそれぞれの男たちの脇に座る。吉田さんと倉地さんはいつも指名する女のようだった。

「豪サンヒサシブリネ」一人の女が吉田さんにおしぼりを手渡しながら言う。「ミカ会いたかったよ」吉田さんは顔に似合わない甘い声を出して、ミカという女に抱きつく。女たちは左胸にネームプレートをつけていた。ミカ、ナオ、ミサ、ユキ、マリと日本人女性を意識した源氏名であった。
 
 G町第五郵便局にやってくる女性二人、ミサとユキは矢部さんと新堀さんについた。中谷幸平についた女性は、マリという女性だった。

「ハジメマシテ、マリ、トモウシマス」他の女性たちよりも日本語が片言だった。聞くとまだ日本に来て、一カ月も経たないのだという。体型も他の女性と比べても比較的小ぶりだった。中谷幸平の痩せっぽちの体型にあわせにきているのだろうか。年齢は二十ということだったが、見た目は厚い化粧のせいか、よほど大人びて見える。

「G町に、モンゴル人の店があるんだね」

「ワタシ、ヨクワカッテナイ。デモ、G町ハ外国人多イト思ウ。特ニ中国人ノ店多イヨ」マリという女は言葉を選びながら、一生懸命説明してくれる。どうして日本語がこんなにも喋れるのだろうと不思議でならなかった。

「ミンナ、日本デ働キタイ。ダカラ、日本語勉強シテカラコッチニクル」
 
 キャバクラでのバカ騒ぎから一変、この店ではみなしっぽりとした時間を過ごしていた。矢部さんは飲みすぎたのか、女の肩に項垂れながら目を閉じ、口をパクパクさせている。倉地さんもグラス片手に女性の話に頷いているだけで、自分から話題を振ろうとはしない。あまりこの店は好きではないのだなというのが態度からもわかる。
 
 しばらくして女性たちから歓声が上がった。吉田さんがカラオケをやるのだという。モンゴルの民族衣装であるマルガイという帽子を被らされた吉田さんが、女に腕を引かれながら部屋の奥にあるステージに向かった。流れてきたのは馬頭琴の音色だった。『馬の歌』というモンゴルの民族音楽のようだ。吉田さんはその歌をモンゴル語で歌うのであった。中谷幸平が驚きを隠せないでいると「すごいだろう?あいつ自分のことモンゴル人だと思っているんだよ」倉地さんは小ばかにしたように笑いながら教えてくれた。

「熱の入れ方すごいのよ、吉田は。ミカと結婚したいってマジで言ってるからな」
 
 吉田さんの熱唱は続いていた。お世辞にも上手とはいえない歌声の中、倉地さんが急に真面目な顔で中谷幸平に話しかけてくる。

「中谷君、今日楽しかっただろう?」

「はい、もちろんです。ありがとうございます」
 
 中谷幸平はステージの方に目をやる。女と腕を組んだままマイクを握る吉田さんと、バックで流れるカラオケの映像。民族衣装のモンゴル人が馬にまたがり、大草原を駆けていく。建物も何もない、延々と続く青い空と緑色の原っぱ。駆ける馬は最初一匹だけであったが、二匹三匹と次第に増え、そのうち大集団となって疾駆する。

「来月さ、組合の支部大会があるけど、来てくれるんだよね」

「もちろんです」中谷幸平は二つ返事する他なかった。

「中谷君、東東京支部へようこそ」吉田さんがステージ上から雄叫びのように声をあげた。 
 
 振り返ると、吉田さんが親指を立てて右手をあげている。
 
 

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