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『ポストマン・ウォー』最終話:赤い棕櫚
『ポストマン・ウォー』最終話:赤い棕櫚
指先で一枚ずつ、百枚束のお札をめくりながら、頭の中で数える。数えながら、頭は別の考えで、いっぱいになっている。
G町の中国マフィアはきっと、ざわついている。
イエロードラゴンという自分たちのボスを失い、誰の犯行かと躍起になっているのだろう。日本のヤクザが出頭したが、そんなことを彼らは信じない。
モンゴルの仕業だ、もっといえばそれを裏で操っている、ロシアンマフィア「レッドウイング」の仕業だ。
彼らの本拠地、K町は間もなく、戦争になる。
怒り猛った中国が復讐のために、K町の夜の街で働くロシアやモンゴル関係の店を潰しにかかったら、ロシアも黙っていることはできないだろう。
だが、中国マフィア「イエロードラゴン」という組織はとてつもなく大きい。ボスがいなくなったところで、幹部連中が、あちこちにいるのだ。その幹部連中を根絶やしにしないことには、中国の脅威を、払うことはできない。
ここまでは半分、中谷幸平の想像だが、それもほとんど当たっているだろう。江原さんとの会話で確信している。江原さんもまた、イエロードラゴンをなんとかしたいのだ。
「思うことは実現できる」
江原さんにその言葉を投げかけられてから、全国規模のネットワーク、郵便事業という国家インフラを持つ労働組合において、何が実現できるのかを、中谷幸平は考えていた。
江原さんのコネクションとネットワークをもってすれば、学生運動を組織する過激派の連中を動かすことだってできるはずだ。
そこで、彼らが常套として用いている手製爆弾を入手、またはプランに応じてのオーダーメイドをさせてもらい、江原さんの息がかかった組合郵便局員の数名が、その日ばかりは配達員に扮し、集配所の予備の車両に乗り込んで、爆弾が入った小包を一斉に届けにあがる。
中国マフィアの幹部の住所はあらかじめ洗い出しておく。そこはドルジさんたちから情報を入手しよう。そして、幹部たちに荷物は届く。
爆発は、開封後に起こる。同時か、時間差はわからないが、油断仕切った連中が、何の気なしに小包を開けることを想像するのは容易い。
これはとんでもない発想だと中谷幸平は我ながらと感心する。
郵便は全国インフラである。特定郵便局など、そんな巨大事業の、ほんの僅かな細胞に過ぎない。そう、その全国インフラこそが、巨大な生命体なのだ。
そして組合は、さながらその元気な生命体の細胞を侵食する癌細胞か。いや、宿主の破壊が目的ではない。巨大な生命体は器だけでよい。
われわれはその器を利用し、操縦し、理想を実現するために生命体を動かす、超越的存在である。このプランで実現できる力からすれば、イエロードラゴンのような輩の組織など、吹けば消せる程度のものである。
だが、爆破してどうする? イエロードラゴンの幹部を一掃しても、警察が騒ぐだろうし、中国本土の組織も黙ってはいないだろう。ロシアンマフィア、レッドウイングはどう出る?
日本のヤクザは、われわれ組合の動きを歓迎してくれるだろうか。
カオスだ。混沌が訪れる。
できることはまだまだある。考えるべきこともまだまだある。
もっと考えよ。精緻に考えよ。振り絞れ。想像力を振り絞れ。
そんなことを考えながら、中谷幸平はお札を、一枚一枚めくっていく。もはや数自体は把握できていない。
数えている振りである。
*
九月に入って三週目の水曜日だった。この日も、客の数は少なかったから、やることとえいば札束勘定である。貯金と保険のカウンターでは矢部さんが欠伸をしながら、計算機を叩いている。何を計算しているかはわからない。
昼休憩まで、あと三十分程あった。中谷幸平の順番であった。組み合わせは柴田主任と一緒である。
「いやー、休憩まで長いなあ」
矢部さんが伸びをしながら一人ぼやく。
「そうですね」
「中谷君、休憩代わってくれない」
「嫌ですよ」
「先輩の頼みでも?」
「はい。今日は嫌です」
中谷幸平は矢部さんをあしらう。
「矢部君、最近なんか変わったよな」
「何がです?」
「なんか、自信に満ち溢れているというかさ、そんなきっぱり言う人じゃなかったのにね」
「そうですかね。自分はいつものと変わらないですよ」
「いやー、嘘だね。変わったよ。まさかマリ以外の彼女とかできたとか?」
「何言ってるんですか、マリとだって別に付き合ってないですよ」
「ねえ、あんたたち暇だったら、お喋りするんじゃなくて、会議室の片付けをするとかさ、何かやること見つけてくれない?」
柴田主任が二人の会話に割り込んできた。
「あ、おれ今日の突合、完璧にするためにいろいろ計算があるんで。会議室の片付けなら、中谷君やってくれると思いますよ」
「俺は休憩入りますから、矢部さん、突合の計算は今やっててもすぐに変わりますから、意味ないっすよ」
「んなことはないよ、そこが大事なんだよ」
矢部さんが少しむきになって返す。
「もー」
柴田主任が二人の擦り付け合いに呆れる。
昼休憩の時間が来たので、中谷幸平は「お先頂きます」と矢部さんに向かって言い、二階の休憩室へと向かう。さて、今日は何を食べに行こうかと考え、休憩室に入ると、先に休憩室にいた柴田主任がテレビに釘付けになっていた。
「ちょっと何これ、見て見て」
柴田主任が大きな声を出す。
何かと思い、中谷幸平もテレビの画面を見ると、そこには巨大なビルの上層部に穿たれた穴から、黙々と灰色の煙をあげている絵が映し出されていて、興奮した様子でレポーターが声をあげている。
画面下には「NY高層ビルに旅客機衝突」のテロップ。
「え、何事ですか?」
中谷幸平も事態がすぐに呑み込めず、柴田主任の反応を伺いながら噛り付くようにテレビ画面を見る。
右画面から飛行機が水平に飛んできて煙をあげているビルに衝突する映像が映し出される。「2機目突っ込んだ瞬間」の文字。報道センターのアナウンサーが読み上げる情報に耳を傾ける。
「繰り返します。ニューヨークで大きな航空機事件がありました。ニューヨークの高層ビル、ワールドトレードセンタービルのツインタワーに、日本時間の今夜、十一時五分ごろ、二機の航空機が突っ込み、ビルは現在も炎上しています。CNNによりますと、二機の航空機は世界貿易センタービルに、十八分間の間隔をおいて突入したとのことです。また、ロイター通信によると、パレスチナ解放民主戦線が犯行声明を出したという情報もあります・・・・・六人が死亡、千人が負傷したとのことです。このビルはニューヨークマンハッタン島の最南端にありまして、いわばウォールストリート、アメリカの金融を支えている象徴となるツインビルです・・」
その間、煙を吐き出すビルが映し出される。煙を吐くというよりは、もはや煙に呑み込まれていくという感じであった。
黒と白と灰色の煙は、何か巨大な生命体を思わせるような恐ろしさがあった。ビルに穿たれた穴の奥には、燃え上がるオレンジ色の炎が立ち込めていて、これも煙草の先端を思わせるような細い炎なのだが、裂かれた傷口にじわじわと溢れ出てくる血のようにも見えてくる。
「何これ、事故じゃなくて、事件よね」
柴田主任は食べ始めようとした弁当に手が付けられず、固まっている。
中谷幸平も固唾を飲んで見入っていたが、一度呼吸を整え、正直、映画のようだ、というのが最初の感想として出てしまった。パレスチナ解放民主戦線云々の話が出た瞬間に、これは意図的に引き起こされたものだというのが分かった。
「十時四分頃、二機目の航空機が、二棟目のビルに突っ込んだ瞬間、あー、今その映像が流れています。その瞬間、真っ赤な炎が上がりました。FBIによりますと、二機のうち少なくとも一機は、アメリカン航空機がハイジャックされていたという情報もあります。現場にいる、安永さん、状況教えてください!」
「やだ、ハイジャックって何よ。ハイジャックして誤って突っ込んだってこと?」
柴田主任は、よくわからない、というように首を振る。
いや、二機が突入しているのだから、これは事故ではない。明らかに意図的なものだ。ハイジャック、突入、アメリカ金融の象徴、ツインタワー。資本主義に対するテロ?
中谷幸平は頭の中で整理する。
「ねえ、どうして、どうしてこういうことをする人がいるの。何かわかる?中谷君」
「いや、もう少し情報がないと何とも。でも、事故ではないです。何者かが引き起こした事件かと思います」
柴田主任は興奮していた。しかし、テレビの前騒いでも仕方がないというように、次第に落ち着きを取り戻し、自分の弁当を食べ始める。
しかし、テレビの向こう側の報道センターはだいぶ混乱しているようだ。
「サイレンの音が激しく響き渡っていますが、安永さん、何か情報はありますか」画面のニュースキャスターが声をあげる。その後ろで報道センターの電話の音が鳴り続けている。
「はい、現在分かっているのはアメリカ航空機ボーイング767がハイジャックさたものとみられています」
「ボーイング737ですね?」
「いや違います。767です」
「そうですか。767ということですね。ここで今、ワシントンに切り替わりました。三機目が、ワシントンのペンタゴンでも炎上しているとのことです。国防総省、先ほどブッシュ大統領のコメントもありましたが、これは明らかにテロであるということです」
国防総省? もはや情報が追いつかない。ここで番組は、CMに切り替わってしまった。
中谷幸平の体は、ぐっしょりと汗ばんでいた。
想像もできない惨劇。
飛行機に乗っている者は、ハイジャックされたとわかり、どこへ飛行しているのかわからない状態で、まさかアメリカの金融を象徴するツインタワーに自爆するために機体が動かされていたのだということを、誰が想像できるだろうか。
想像も確認も何もできぬまま、死者は死者になっていくのである。
飛行機をハイジャックし、飛行機そのものを凶器に変え、ビルを破壊するという発想。
ハリウッド映画でそれはありえても、現実で起こすことなど、狂気の沙汰である。こんなことはあってはならない。
待て。中谷幸平は自問する。
先ほどまで、のんびりとお札を数えながら、郵便インフラを使用して、中国マフィアたちの爆破を夢想していた自分はどうなんだ。
「思うことが実現する」という、江原さんの言葉に感化されていた自分はどうなんだ?
中谷幸平の頭は混乱する。
「すみません、ちょっとコンビニで昼飯買ってきます」
中谷幸平はもう少しテレビを見ていたかったが、気持ちの整理をしようと外に出ようと思った。休憩室を出て、階段を降りようとしたその時、一階から杉山局長の声があった。
「中谷君、ちょっと来てくれ」
何かと思い、中谷幸平は小走りで階段を降りる。
すると杉山局長は「お前に話があるって」と冷めきった口調で、顎を客用ロビーの方に向ける。
見ると、警察官が一人、ロビーからこちらを見たまま立っていて、その脇には女性が一人。見覚えのある顔と思ったが、すぐにG町団地の主婦、佐藤さんだということがわかる。
警察官が、佐藤さんの方を見て何かを言っている。口元から察するに「あの人で間違いない?」という感じである。佐藤さんがコクリと二度頷いているのがわかる。
「なんで警察が自分に用なんですか」
「俺も知らん。小包開封の件がばれちまったのかもな」
局長は、まるで他人事である。
「いったん話だけでもしてくれば」
そう言って杉山局長はオフィスチェアーに腰掛け、新聞を読み始まる。
中谷幸平の心臓は、途端に高鳴る。思わず、助けを求めるようにカウンターにいる矢部さんの方を見たが、矢部さんはなぜか先ほどと変わらず計算機を無駄に叩いていて、こちらを見ようともしない。
「ちょっといいですか?」
警察官が、中谷幸平の方に向かって声をあげる。
中谷幸平はすぐに動けなかった。
「局長、すみません。江原さんに電話をしてきてもいいですか?」
局長が頼りにならないのであれば、もはや頼る先はそこしかなかった。
すると杉山局長は読んでいた新聞越しに中谷幸平の方を見る。
「江原? あいつ、ここ数日、連絡とれてないらしいぞ。あいつのところの局長が言ってたよ。何でも、一緒にいた篠崎って女もいないらしいんだ」と言い放った。
江原さんが行方不明? どういうことだ?
矢部さんも、局長のその言葉に反応したのか、姿勢は正していたが、こちらを振り返ることなく耳を欹てていた。
「ちょっと話がありますので、こちらに来てください」
再び警察官に呼ばれる。
中谷幸平は鉛のように重くなった体で、ロビーにいる警察官に少しずつ近づいていく。
佐藤さんの目が、この世のものでないものを見るような目をしていた。
警察官の前に立つ。
「この方ですよね?」
警察官が佐藤さんに尋ねると、佐藤さんは小さく頷く。
「八月二十七日、G町団地で銃撃事件があった夜、あなたが踊り場で遭遇したのはこの方ですよね」
警察官がそう説明し「間違いないですかね」と佐藤さんの方を見て尋ねる。
「はい。間違いありません」
佐藤さんが、また二度頷きながら答える。
この光景は、どこか身に覚えがあると中谷幸平は思った。
そうだ、公園の棕櫚を燃やし、『赤い羽団』の先導者は、中谷幸平であると、クラスの皆に指をさされた時と同じだ。
明日からお前が軍団長だ。
そうのせられ、軍団長になりきった。
演じてみせた。
軍団長としての力を、示そうと、棕櫚を燃やしたのだ。
でも、演じきれない人間、なりきれない人間は、みな、梯子をはずすのだ。
「先生、中谷君です。私たち、中谷君に命令されていました」
ロビーに他の客が入ってきて、ATMの方に向かう。
「イラッシャイマセ」の機械のアナウンス。
続けざまに「イラッシャイマセ」の声が聞こえ、それはこだまのようにロビーに響き渡った。
棕櫚は、まだ燃えていたのであった。その炎の赤色は、安物の絵画で使われている赤色のように、どこまでも薄っぺらい。
了
ここまでお読み頂いた方、本当にありがとうございました! 以上で『ポストマン・ウォー』完結となります。
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