見出し画像

考えてみたら、30年前からnoteやってた(苦笑)

 noteってなんでこんな面白いのだろう、と日々noteで記事を投稿していて思うのだが、考えてみると、私が小学5年生のとき、つまり30数年前の11歳の時から、noteの走りのようなことをやっていたものだと思い当たる。

 A4サイズの印刷用紙を縦に使って、自由に文章や絵を発信してよい、「個人新聞」作りというものが、クラスで始まったのだ。

 当時の担任の先生のアイディアによる、授業外での取り組みで、他にやっている学校やクラスは少なかったように思う。

 どういったものか、具体的に写真で見せれるとよいのだが、私が書いた新聞は実家に眠っているため、今は掲載できないのが残念だが、ようは、学級新聞の個人版である。

 ネットで調べると、学級新聞というものはでてくる。

 私たちがやっていたのは、新聞係や新聞委員会といったグループ単位ではなく、あくまで「個人」単位での発行である。

 表現する内容、発行ペースは任意、個人の自由である。1枚あたりA4サイズでおさめるということのみが規定である。

 発行した新聞は、教室の後ろに掲載され、スペースはクラス全員分ある。

 自分が複数発行すれば、重ねて掲載することになるのだが、上だけをとめるので、過去の掲載分はペラペラめくって読める仕組みになっている。

 こんな行事がありました、こんな遊びが流行っています、世の中ではこんなことが話題です、みたいな、自分が面白いと思っていること、書きたいことを、おのおの自由に発信できる個人向けのメディアだった。

 とはいえ、小学生。先生にやらされていたもので、大抵のクラスメイトはは、1、2枚書いておわっていたようだ。

 だが、わたしは違った。書くのが面白く、そしてクラスメイトに読んでもらうのが面白く、何枚も何枚も発行した。

 途中から、無謀にも「日刊」を宣言し、1日1枚の発行を目標に、新聞作りを行った。

 内容は工夫した。世の中にある新聞を模倣して、4コマ漫画を必ず入れたり、連載小説や、エッセイを入れるなどした。

(うん、やはり写真で見せたいので、今度実家に帰って写真とってこよう)

 結果、小学校5,6年生の2年間で、200枚の新聞を発行することとなった。

 枚数でいけば、私がぶっちぎりの1位だった。ちなみに、2位の生徒でいくと50枚、クラスメイトのアベレージでいくと10枚とかだったので、ダントツの発行数を誇っていたといえる(笑)

 それくらい、自分にとっては、何かを書いて表現するということは、楽しくて仕方がなかったのだが、その取り組みが話題になって、市の図書館でも出張掲載されたり、教育委員会に表彰されたりもした。

 その後、個人新聞作りというものが、他の学校にも伝搬し、取り入れられたようだ。

 これ、考えてみると、今のnoteを先駆けているなと思い返し、当時の担任の先生の先見の明に、舌を巻いています。

     なにせ30年前のことであるw

 先生は私の恩師であり、私が中学生に進学した時に、若くして病で亡くなられてしまったのだが、先生、その頃にnoteがあったらどうしていてだろうな、とか思いをめぐらしてしまう。

 私はといえば、書くことが好きなのは変わらず、19歳で本格的に文学にめざめ小説を書くようになった。大学ではメディア論のゼミに入り、今はメディアの会社で仕事をし、今こうしてnoteを書いている。

 これも、あの時の担任の先生が、私に「個人新聞」という玩具を与えてくれたことによるものだと思うと、感慨深いものがある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?