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『フィッシュ・アイ・ドライブ』第6話:魚人の血をひく者?

 昨夜の発砲事件により、六本木のショーレストラン『熱帯夜』には、警察の取り調べが入った。翌日も、オーナーと一部の従業員が警察に呼びだされており、事情聴取が続いているのだという。

「『熱帯夜』はしばらく休業する――」

 従業員全員のグループLINEに、オーナーからの連絡が入った。

「まあ、当面はオープンできないよね」

 樹里はそう言いながら、キャラメルフラペチーノのグラスの中を、緑色のストローでかき混ぜる。

「いや、オープン自体もあやしいんじゃない?」

 千春は朝から何も食べてないからと、チョコレートデニッシュを頬張っている。

「だって、発砲があった店なんて、誰が行こうと思う? やばすぎるよ六本木。昔からほら、半グレだっけ? 襲撃事件とかがあって人が死んだりもしているじゃん? 私はもう二度と近付きたくない」

 千春はスマフォをいじりながら、まくし立てるように言う。

『熱帯夜』のトップダンサーである樹里と千春は、目黒駅近くのスターバックスで時間を潰していた。

 昨夜の事件を目の当たりにしてしまった二人は、どちらが言い出したわけでもなく、二人で会おうとなった。自宅に一人でいようものなら、頭がどうにかなってしまいそうだったからだ。

「昨日の夜なんか、もう寝れなかったよ。銃砲?っていうの? ピストルの音が、頭の中にずーーーっとこびりついていてさ」

 千春は、今もなお、銃声が耳元で籠っているというように、眉を顰めながら、アイスコーヒーのグラスを口に運ぶ。

「おなじ。でも、あたしは希虹(のあ)さんが心配」

 樹里は窓の外を見ながら溜息を吐く。

 謎の黒服男の発砲があった時、希虹は樹里と千春に対してこう言っていた。

「大丈夫、狙われているのはわたしだから――」

 その言葉は一体どういうことなのだろう? 樹里にはそのことがずっと引っ掛かっていた。

 駅前の通りは、スーツ姿のビジネスマンやOLが、忙しなさそうに行き交っている。ベビーカーを押すママの姿もちらほらあった。
 六本木で起きた出来事など、みな、露ほどにも知らないというように、目の前では、日常の風景が過ぎていく。

 昨夜のことは、Yahoo!ニュースには取り上げられていたが、ほんの僅かな情報しか流れていなかった。ヤフコメも、数件ほどしかない。

――死者が出ていないのが不幸中の幸いだな

――日本て法治国家だよね? 港区は例外かw

――六本木だし、別に驚きはないな(笑)

 自分たちが味わった恐怖に対して、第三者でしかないネット民の反応は、冷めたものばかりであった。

「そうね。どうしてるんだろう、希虹さん。LINEしてもずっと既読つかないしね」

 千春は弱々しい声で返す。

「でも、希虹さんのことならきっと大丈夫だよ。根拠はないけど、あの人、どこかぶっ飛んでるとこあるでしょ。うまく立ち回っているんじゃないかな」

「ねえ、そういえば、希虹さんて、昔から変なこと言ってたよね?」

 千春は何かを思い出したというように、身を乗り出して話しだす。

「変なこと?」

「そう、酔っ払うと、私は何とかの血をひいた人間だ、どうのこうのって」

「ああ、なんだっけ」樹里はようやく何のことかを思い出し、頷く。

「そう。あれ、希虹さんの虚言癖か、それとも本当に頭がおかしな人なんだなあとかって、申し訳ないけど、そう思ってて・・・でも、昨日のことがあるとあながち・・・」

「確かにねえ」

『熱帯夜』での特別な公演が終わった日、希虹は「打ち上げだあ」といって、樹里と千春を引き連れて飲みにいくということがあった。

 テキーラは50杯までなら水のように飲めると豪語していた希虹は、恐ろしいまでに酒が強かったので、滅多なことで酔っ払うということはなかったのだが、ある時、樹里と千春がドン引きするくらいに、ベロベロになってしまったことがあった。

 二人は希虹をなんとかタクシーに乗せて帰らせようと思ったのだが、希虹は、まだ飲むぞとダダをこね始め、しまいには、二人を小突くなど暴力的な抵抗をしてくるので、仕方なく「パセラ」に入ることとなった。

 マイクを独占していた希虹は、『残響散歌』や『炎』、『残酷な天使のテーゼ』といった好きなアニソンをさんざん歌い通した挙句に、途端にゼンマイが切れた人形のように大人しくなったかと思うと、しばらくしてから突然、眼光を開いて、樹里と千春に対して妙なことを語り出したのであった。

 樹里と千春はそれが一体何の話だったのかまでは、はっきりと思い出せない。ただ、希虹が自分の家系のことについてと、水中ストリップはどうやって始まったか、といったようなことを語っていた気がする。

「魚人。そんなこと言ってなかったっけ?」

 千春が思い出したというように言う。

「ああ、そうだった。そうだった。だんだん思い出してきた。それでそのあと『ONE PEACE』読んでた時にさ、そんなキャラクターが出てきたから、あの話は絶対嘘だって思ってた」


「わたしのご先祖様ってのはさ、魚人の血をひく者らしくてね」

「ぎょじん?」
 
 唐突な希虹の語りに、樹里と千春の頭の中は、クエスチョンマークだらけであった。

「魚人って、化け物とかそういう話じゃないよ。なんか、日本にはそういう種族がいたんだってさ。陸に住む者と、海の近くに住む者。その海の種族のことをそう呼んでたみたいなんだけどね」

 希虹は普段から哲学とか、歴史とか、小難しいことをよく話す人だったので、その類のものだろうかとも思ったが、さっきまで呂律がまわらないほどに酔っていた人間の口から出てきた言葉である。二人には、なおさら意味がわからなかった。

「わたしの家、箱崎家ってのはさ、その種族の血を引いているってことで、昔から除け者にされてきたんだって話を、お祖父ちゃんから聞かされてきたわけ。子供の頃から。そんなの嘘に決まってるじゃん! わたしたちが、普通の人と違うって、なんでそういう悲しいこと言うの!ってお祖父ちゃんのことが許せないときがあったよ。でもね、お祖父ちゃんなんかは、そのことを逆手にとって、見世物にしようってなって、商売にしたんだよ。わかる? それが『水中ストリップ』の始まり」

 希虹の目はすわっていた。樹里と千春は互いに顔を見合わせ、苦笑する。

「まあ、魚人なんて言わずに、人魚ってお祖父ちゃんは言ってたね。人魚の水中ショーって。人魚のショーはさ、とうぜん、お祖父ちゃんの理屈からいけば、箱崎家の血を引いた人間がやらないといけない。お祖父ちゃんには、二人の姉妹がいたみたいでさ、身内の二人をショーに出してたみたい。信じられる? 実の姉妹にストリップやらせてたんだよ。でも、箱崎家の女は昔から美人揃いでさ、水中ショーは瞬く間に博多中に知れ渡って。金になるって、お祖父ちゃん味をしめたみたい。でも、いくつものショーをこなすには演者が足りない。それで、お祖父ちゃんどうしたと思う?」

 希虹は、樹里と千春の顔を覗き込みながら、二人の反応を伺っている。希虹はカラオケルームに運ばれてきた、レモンサワーのジョッキを手に取る。

「もう飲みすぎだよ」と樹里が希虹に忠告するが、希虹はポカリスウェットを飲むようにジョッキの酒を流し込むのであった。

 それからまた、話を続ける。

「自分が肉体を交えた女は、みんな魚人になれるって言いだして、お祖父ちゃんが当時付き合っていた若い娘集めて、ショーに使うようになったんだよ。お祖父ちゃんと交わった若い娘たちの中にはさ、お祖父ちゃんの子供を孕む者も出てきちゃってさ。お祖父ちゃんは、これで箱崎家の血を引くものが絶えることがない、もっと産めよ、増えよなんて神様の真似事みたいなこと言って喜んでいたらしいけど、その時のお祖母ちゃんはどんな気持ちだったんだろうって。わたしはさ、そんな話も聞かされてきてさ、お祖父ちゃんはとんでもない悪人だって思ったね」

 樹里と千春は溜め息を吐きながら、希虹の話を聞いていた。

 カラオケの続きをしよう!と言って千春が話題を変えようとするのだが、希虹の話は止まらない。

「箱崎家って、そういう悪い人が、悪い商売して繁栄したみたいなの。わたしは呪ったよ。家出とかもずっと考えてたよ。でも、ある時わたしは思ったんだ。それこそ、水の中を泳いでいる時にね。わたしは昔から泳ぐのが得意で、ほんと、地上にいるよりも、水の中の方がよほど自由に体を使えたの。それでさ、こう思ったわけさ。あ、やっぱりわたし、魚人の血を引く者なんだって」

 希虹は次々と止めどなく語るのだが、次第に体を揺らし始め、うつらうつらしているのがわかった。

 樹里と千春は、ここしかチャンスがないとばかりに、二人で申し合わせるようにして、その場を立ち上がった。申し訳ないが、希虹を部屋に残して、店から去ろうと思ったのだった。

 すると希虹は、二人がドロンしようとしているのを察してか、「ダメ、ダメよ、わたしを置いていっちゃダメ」と叫ぶのであった。

「やだなあ、希虹さん。そんなことするワケないじゃないですか。ちょっとトイレに行きたいだけ」と千春が誤魔化そうとする。

「箱崎家のわたしはね、いろんな人から狙われているの。魚人っていう種族はね、もう絶滅危惧種らしくてさ、お金目当てに、この血を欲している、悪人共が――」

 そう言って、希虹はソファに突っ伏し、そのまま鼾をかきながら寝入ってしまった。


「ねえ、どう? 昨日のこと考えると、信憑性あるよね。本当に、狙われてたんだよ、希虹さん」

 千春は、希虹の話していたことが今ようやく理解できたというように、興奮して話しだす。

「でもねえ、そんなことあるかなあ? 漫画とか小説の世界じゃん」

 樹里は、希虹の語りを思い出しながらも、半信半疑である。

「わたしたち、昨日の件に直面してるのよ。希虹さんが、黒服の厳つい男に銃撃された、これは紛れもない事実じゃん」

 二人は、昨夜の出来事はもう思い出したくないと、急に黙ってしまった。希虹のことは気がかりであったが、連絡がとれない以上、どうすることもできなかった。今はただ、希虹からの連絡があることと、事件の進展情報を待つばかりである。

 しばらくして、スマフォをいじっていた千春が「あ!」と店中に響くような声をあげる。

「どうしたのよ、いきなり」と樹里。

 千春がスマフォに映し出された映像を、樹里の前に差し出す。

「昨日の発砲した人、捕まったって」

「うっそ!」

 樹里の声も店内に響き渡り、他の客が一斉に二人の方を振り返る。

 六本木発砲事件の容疑者が自首。逮捕へ――という内容が動画ニュースになっていた。二人は食い入るようにその動画を見ていたのだが、映像に映し出されていた容疑者の姿を見て、二人は思わず顔を見合わせた。

「え、嘘でしょ。こんなひょろっちいやつじゃなかったよ。水槽からしか、見えなかったけど、こんな男じゃない」

 

続く

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