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『ポストマン・ウォー』第35話:イエロードラゴンとのご対面


『ポストマン・ウォー』第35話:イエロードラゴンとのご対面


 あとはその胸に刻まれているという黄金の龍の刺青が確認できれば良かった。風呂に入っているとは何て好都合だろうか。

 女は小包を両手で抱えながら立ちすくんでいた。

「案内しろ」と中谷幸平は顎で女を指図した。

 女は体を小刻みに揺らしながらゆっくりと後ろを振り返り、入って、という感じで中谷幸平の方を見た。

「それでいい」

 中谷幸平はそういう目で女を見て、女の背中に銃口を押し付けた。

「舐められたら終わり。例えどんな人間に遭遇しても、いつでも銃は撃つぞという気持ちでのぞめ」

 そう、ドルジさんに教えられた。その通りにやった。
 
 足音を立てずに、廊下を進んだ。狭い廊下だった。
 
 廊下の先にリビングが見え、食卓がありテレビはつけっぱなしのままだ。バラエティを見ていたのか。どこかで聞いたことがある芸能人が司会進行をしている。
 
 女は風呂場はこっちという感じで、顔を左に曲げる。

「そのまま行け」と中谷幸平は女に言う。
 
 拳銃を持つことによる他者への圧倒的な征服感。

 これはこれで、興奮を覚えるものだった。今、女は中谷幸平に何一つ抗うことなく、中谷幸平の指図のままだ。肌の露出が多い女の後ろ姿を見ていると、欲情さえ覚える。
 
 風呂場から、何やら鼻歌が聴こえてきた。
 
 男の声だ。イエロードラゴンの声だろう。

 物音で、風呂場の男は何か怪訝に思ったのか。
 
 突然、中国語で何かを叫ぶ。「どうした?」そんな感じの声だった。
 
 すると、女は中国語で応答する。
 
 まずい、何を話しているかわからない。中谷幸平は咄嗟に女の後ろ髪を引っ張り、自分の体に寄せると、女の目元に銃口を向けた。
 
 風呂場からさらに大きな声で男の声が聴こえてくる。「何があった」「どうした」そんな感じの声だ。

 風呂場から何か激しい物音がする。男が何かを察したのかもしれない。
 
 女がなおも何かを叫ぼうとするので、中谷幸平は女の口を塞いだ。これ以上ない力で女の口元を掌で抑えつける。
 
 女は、中谷幸平の片腕の中でもがき、さらに声を発する。
 
 風呂場の男は今何が起きているのか、それで確信してしまったかもしれない。中谷幸平は女を盾にしたまま、風呂場のドアを足で蹴り開いた。
 
 その瞬間、丸裸の男が銃を構えていているのが見えた。
 
 耳を劈くような女の悲鳴とともに、女はその場で身を屈めようとしたのだろうが、中谷幸平の反応の方が早かった。咄嗟に女の体を、風呂場の男に押し付けるように投げつけた。
 
 女が身を屈めると同時に銃を放つ算段だったのだろうが、女が覆い被さることになり、銃弾は女の体にめり込んだ。
 
 一瞬の出来事であったが、撃たれた女は、男にそのまま覆い被さり、風呂の湯が女の血で赤く染まる。「うお」と声をあげ、慌てふためく男。
 
 重くのしかかった女の体を手で払い、態勢を立て直そうとするが、中谷幸平は躊躇わなかった。男の胸元の黄金の龍の刺青を確認する余裕などなかったが、体中に施された絵柄があるのだけは分かった。
 
 女がスローモーションのように男に覆い被さっている間に、手元でスライドを引き、のけぞる男が恐怖に引きつる顔を見ながら銃を突きつけた。

「うおおおおお」思わずそう叫んでいた。引き金を押す。
 
 だが、何の感触もない。

 空撃ち?
 
 まさかの展開に中谷幸平はもう一度スライドを引き直そうとしたが、これも咄嗟の判断か。そんなことをしていたら、先に男に撃たれてしまうと思い直し、銃を持ち換えてグリップの先で男の顔面めがけて打ち下ろした。極限の状態において、人はこんなにも力が出るのかというくらい渾身のものであった。

 男の顔面の何かが砕けるような鈍い音がした。
 
 男は喚き、体ごと赤い血で染まった湯船に身を沈めたが、右手には拳銃を持っている。
 
 それを放たれてしまったら終わりだと、中谷幸平は拳銃を持っていた男の手を足で払いながら警戒しつつ、瞬時にスライドをもう一度引き、引き金を押した。
 
 今度こそ感触があった。
 
 それは最初、湯水につかる男の胸に放ったが、それでは確信が持てぬと、額に向けてもう一度撃ち放った。映画のそれと同じように、男の顔の前面を打ち砕いた。
 
 男の体は、引きずり込まれるように湯船の底に落ちていった。

「ああ」と中谷幸平は目を覆ったが、それで終われない。
 
 止まるわけにはいかない。
 
 すぐに「1011」の部屋を出た。

 何事もなく、誰に見られることなく出ていかなくてはならない。

 だが、幾つか放たれた銃声で、間違いなくこの集合団地はパニックになるだろう。

 最初は「今のは何?」という反応でしかないかもしれない。その何?という警戒の間に、この場を去る必要がある。

 中谷幸平は「1011」を出ると、エレベーターではなく階段を選んだ。エレベーターは誰かがそれを使用していたら、すぐに来ず、不確実であるからだ。焦らず、小走りで階段を降りた。それもドルジさんに予め教えられた。この人たちはきっとそういうことを何度も行ってきたのだろうと思わせるくらいの話っぷりであった。

 一階に降り立った時であった。
 
 よりによって、以前届け物にあがった佐藤さんと、踊り場で鉢合わせてしまった。
 
 佐藤さんは手にスーパーの袋を持っていた。買い物帰りなのだろう。中谷幸平は極力、平静を保とうとしたが、佐藤さんの動揺は凄かった。

「やだ。さっきの何? すごい音がしたけど。何があったのかしら」

「え?何かありましたか」中谷幸平は冷静に答える。

「聞こえなかった? パンパンって。何の音かしら。聞いたことないわ、あんな音」

「すみません、配達をしていましたが、自分はわからなかったですね」

 中谷幸平はそう言って、すぐにその場を去ろうとした。

「え、行っちゃうの? ちょっと私怖いわ」

 佐藤さんは何かを訴えるような目で見てくる。

「大丈夫です。何かあったら警察が来ているはずですよ」

 そう言って中谷幸平は会釈をし、次がありますのでと佐藤さんに言って、その場を去った。
 
 そのまま団地前の歩道に停めていた自転車に乗り込み、静かに息を吐いてから『カササギ』に向かった。

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