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『ポストマン・ウォー』第37話:『カササギ』の噂
『ポストマン・ウォー』第37話:『カササギ』の噂
「『カササギ』なくなっちまったみたいだな」
朝の更衣室で、矢部さんは中谷幸平に会うなり、ぼやくように言った。
「え、そうなんすか?」
中谷幸平はとぼけた感じで訊き返した。
矢部さんと会うのは三日ぶりだった。
マリと別れたあの日、夏季休暇を消化するでよいから三日ほど休ませてくれと局長に懇願した。さんざん嫌味は言われたが、体調不良で、とても仕事にならないと、中谷幸平も食い下がった。
あんな出来事の後で、平常に仕事などできたものではない。
三日の休みですら足りないくらいだが、矢部さんたちに迷惑をかけることもなきない。
「吉田さんのところに女の子から連絡があったらしい。唐突すぎるよな。吉田さん、カンカンに怒ってるよ」
「女の子たちと会ってないんですか?」
「K町にはいるから、会おうと思えば会えるんだろうけど。吉田さんとかは少し冷めちゃったかもな」
「そうですか、無情ですね、あっちの人たちは。でも仕方がないんですかね」
「それより、中谷君、あのニュース見た?」
矢部さんにニュースと言われ、中谷幸平は思わずぴくりとなる。
不自然な反応と思ったが「どんなニュースです?」と平静を保とうとする。
「ニュース見てないの? G町駅前の集合団地でさ、中国マフィアの大物が撃ち殺されたって。あれ確か、客の佐藤さんが住んでいる団地だったよね?」
「あ、そのニュースですか。夕方のニュース番組で少しだけ取り上げられていましたね。マフィア同士の抗争とかなんとか」
中谷幸平は他人事のように話すことを心掛ける。
「あの事件、犯人が出頭したらしいよ。G町のなんとか組の組員だって」
「え、そうなんですか」
その件については、中谷幸平は初耳だった。
ドルジさんが言っていたのは、そういうことだったのかと納得する。
G町の組と話は済んでいて、身代わり出頭させたのだろう。G町のヤクザも中国マフィアを煙たがっているはずなのだ。ブルーウルフの連中とは利害が一致している。
「こええ話だよな。だって、近所だよ本当の近所。日本でもそういう事件あるんだな」
矢部さんはニュースの内容に疑いはないようだ。その反応は誰だってそうだろう。マフィアが殺されたからと言って、その詳細まで気にする一般市民などいない。ただ、身近なところでそれが起きたという事実に驚きを覚えるのだ。
中谷幸平は少し胸を撫でおろし職場に向かった。
「チームプレイって中谷君わかる? 組織ってそういうものだから、休暇をとるなら事前に教えてくれる? あなたのせいで全部計画が台無し」
中谷幸平が勝手に休暇をとったということで、柴田主任の機嫌は悪く、終始冷たくあたられたが、中谷幸平は意に介さなかった。あの日を乗り越えている今、怖いものなど他に何があろうか。
*
「中谷君、今日、江原さんに呼ばれているから、少し付き合ってよ」
ある日の仕事終わり、帰り際に矢部さんに声を掛けられた。
中谷幸平は、気分転換にもなると思い、二つ返事で承諾した。江原さんたちに会うのは久しぶりのことであった。
『銚子漁港』で飲んだ。いつものメンバー、いつもの会話、いつもの光景に、中谷幸平は安堵を覚える。ここ半月ほどの出来事は壮絶すぎて、とても生きた心地などなかった。
今も、とても寝付けられるものでなかった。眠ろうとすると、あの光景がリフレインのように蘇り、眠りに就くことが怖くなってしまう。眠りたくないから、カフェインの錠剤をずっと飲み続けている。
日常の光景。それが何よりの安定剤だと思った。そこに埋没するということ、気の合う他者といること。それだけで人は自分自身の居場所と存在意義を確認し、心の平穏を保つことができるのだと、今さらになって思う。
吉田さんは『カササギ』に対して不満がたらたらだった。だが、ミカのことが余りにも好きだから、今日は錦糸町店の方に顔を出したいという。
「自分はフィリピンに行きたいです」
珍しく矢部さんが主張する。『カササギ』なき後、新たに発掘した店で、すっかり行きつけになっているという。
「矢部さんはまっちゃったか。好きだなあ」
新堀さんがにやにやして矢部さんを見る。
「モンゴルの次はフィリピンか。グローバルだな、矢部」
「ただのパブじゃないよ。気に入ったら追加料金で個室でのプレイあり」
「プレイって?」
「本番だよ。本番」
「大丈夫なんですか?」
「大丈夫じゃないだろうけど、まあ、ここはG町だしなあ」
「俺、そういうのは興味ないんでお前らで行って来い。俺はK町行ってくるわ」
吉田さんはあくまでK町に行くのだと主張する。
「俺もたまにはK町に行ってみるかな」
倉地さんは吉田さんに賛同する。
結局、K町の『カササギ』組と、新たにオープンしたフィリピンパブで別れることになった。倉地さんと吉田さんをのぞいては、皆、フィリピンへ行くことになった。
『New World』というベタな名前の店であった。
G町駅南口の商業ビルの真裏に位置する路地にあり、『カササギ』とは違い、洋風でストリップなどの店内を思わせるけばけばしい店であった。
実際、三十分に一回、ショータイムがあって、自分についた女の子が乳丸出しにして接客を始める。ボディタッチもありで、どうしてもその先を行いたい客は、別料金を払えば個室へ案内されるのだという。
矢部さん以外はフリーで入る。矢部さんはすでにお気に入りの女の子がいるようで、その子を指名していた。
江原さんはエロというよりも、若い連中と飲むことでただ騒ぎたいという人だったから、欲情する矢部さんの姿を肴に、一人楽しんでいる感じだった。
ショータイムが二回目を終えたあたりだっただろうか。江原さんがゲラゲラと声を立てて「おい、この女、面白いこと言ってるぞ」と言う。
「なんですか、なんですか」
女の子との会話や、乳繰り合いに夢中になっていた矢部さんたちが振り返る。女の肩を組む江原さんに注目が集まる。
「この子、『カササギ』がなんで急になくなったか、理由を知っているみたいなんだ」
「どういうことですか?」
矢部さんは今さら関心がないという感じで訊く。
江原さんは肩を組んでいた女に「言ってやれ」と顎で指図する。
「コノ前、中国人マフィア、ボスガ撃タレタ事件アッタデショウ?」
中谷幸平は女の方を見る。
それまでの酔いも覚め、急に背筋が凍りついた。
「アレヤッタノ、『カササギ』カモシレナイッテ、ウチラノナカデハ、噂ニナッテルヨ」
女の突然の話に、一同は静まり返る。
「おっと、いきなりヘビーな話題をぶち込んでくるねえ」と矢部さんが苦笑する。
「犯人、出頭してるみたいよ。あれは日本のヤクザだって」
芸能ネタや時事ネタに詳しい新堀さんが女の会話に乗っかる。
「な、面白いこという子でしょ」
江原さんが嬉しそうに同意を求める。
「中国人ト、モンゴル人ガ仲悪イノハ、ココデハ有名。怖イ人タチ同士デ喧嘩シテイル」
「怖い人?」矢部さんが首を傾げる。
「夜の街だからね。暴力団みたいな人たちのことでしょう」
新堀さんが説明する
「まあまあ、事件ていうのは、いろいろ空想を掻き立てるものだからな。あることないこと、色々出てくる」
江原さんがそう言うと、女はふくれっ面して反論する。
「嘘ジャナイ。『カササギ』ハ、アヤシイ」
「まあまあ、飲もうぜ。カンパーイ」
江原さんは相当酔っているのか、女の話は世迷いごとだとばかりにあしらって、またいつものように騒ぎ始める。
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